第9回日本人間行動進化学会参加日誌 その1 


大会初日 12月10日


2016年のHBESJは金沢での開催となった.前身の研究会時代を含めて本州の日本海側での開催は初めてである.冬の北陸は大気が不安定になりやすく,曇天でいきなり雷が鳴って雨が降ったりするのだが,しかし食べ物はカニもブリもやはり冬だ.というわけで,少し前入りして兼六園や金沢城公園などを観光し,香箱ガニ,ブリ,ノドグロなどをいただいた.百万石を豪語するだけあってさすがに雅で美味しい.



肝心の学会の開催場所は香林坊の少し北,尾山神社そばにある金沢市文化ホール.尾山神社にも足を伸ばしてみたが,前田利家やお松の方が祀られている由緒ある神社で,正面には明治の初めに建てられた擬洋風の神門がそびえ立つ不思議な空間だ.


簡単な開催の挨拶があったあとすぐに基調講演となる.まず生成文法家で,日本進化学会で何度も言語進化のセッションを主催している藤田から言語進化の講演だ.

基調講演

人間言語はどのようにして生まれたか ―併合がもたらす統語と語彙の平行進化― 藤田耕司
  • そもそもは生成文法の研究者であり,英語や日本語の生成文法を研究してきた.90年頃より言語能力,普遍文法の起源に興味を持つようになり,そして起源は進化しかあり得ないと言うことで進化言語学に足を踏み入れた.
  • 進化言語学は様々な隣接領域(哲学,言語学,人類学,生物学,人間行動学,遺伝学,脳科学,神経科学,考古学など)と関連する学際研究でもある.ここでの言語学者の役割はアームチェアーディテクティブとして言語進化のモデル化を行うことだと考えている.ちなみにジャッケンドフは「言語進化の理解は言語理論次第だ」と言っている.
  • 言語の特徴は何か.まず階層構造への依存性があり,併合こそそれを生みだすものだと考えている.では併合はどう進化したのかが問題になる.
  • かつて言語の起源研究はタブー視されたこともあった.それは化石がなく祖先形態の証拠が無いこと,ヒト独自の特徴であり他種との比較研究ができないこと,そして言語の構造が非常に複雑であると考えられていたことに理由がある.
  • 確かに以前は言語の理論は複雑であった.しかし複数の下位システムの集合体と捉えるとコアの計算システムはシンプルで,併合とインターフェイスだけで記述できると考えられるようになってきている.
  • そして言語を下位システムの集合体と考えると,言語の前駆体は単一だと考える必要もなくなる.下位システムの一つずつについて詰める必要があることになる.
  • 前駆体的能力からヒト言語がいかに進化したかが本日のテーマになる.そしてさらに個別の言語がどう形成されていったのかという問題もあるが,それは本日は扱わない.
  • 言語のサブシステムは以下の図のようになっていると考えている.これはハウザー.チョムスキー,フィッチの論文で採用されているものだ.この階層構造のところが演算システムになっている.


  • 前駆体としては発声・知覚のところは鳥に見られ,概念・意味のところはチンパンジーなどにも見られる.
  • 構造依存性は「階層構造」に依存しているという意味になる.これは語順ではないというところが重要.そしてこれは併合によって作られる.また次々と現れるものをすべて最後に受けていく形(<赤い<家の<屋根>>)をPot-Merge,まずサブシステムとして併合して,さらにそれを併合していく形(<<赤い<家>の>屋根>)をSub-Mergeと呼ぶ.
  • このような併合による階層構造は単語を文節にする際だけでなく単語の中にも現れる(unhappinessなど).また音韻も音素の組み合わせを見るとそうなっていると考えることができる.
  • 表面には現れてこないような場合もある.「太郎はまた窓を開けた」という場合,太郎が2回開けたとも,誰か別の人のあとで太郎が開けたともとれる.(それぞれで因果の階層構造が異なっている)
  • 要するに言語の諸場面で併合がキーになっているのだ,だから統語論も語彙もともに生産的,再帰的,組成的,心に依存,刺激を必要としないという特徴を持つ.
  • このような併合が動物にもあるかというのは争われている.霊長類や鳥類でいろいろな議論があるが,私の見解ではいずれも併合による階層性があるとは言えない.
  • 再帰的な階層性はヒトのみに見られる.そしてこれは脳部位的にはブローカ野の一部が関連しているようだ.ブローカ野は広くて,その損傷はいろいろな症例を産むが,(モーターコントロール障害の症例だけでなく)「受動態が理解できない」という症例も観察されている.これは階層構造の理解に問題があるために語順のみから理解しようとして生じていると考えられる.そして再帰的な階層性を作るのに必要なのは併合だけだ.
  • では併合とは何か.2つのものを組み合わせて(再帰的に利用できるような)1つの集合を作ることだ.
  • かつては統語論的言語操作には内的併合,移動,変形などいろいろなものがあると考えられていた.また統語論と語彙は別のシステムだとも考えられてきた.しかしこれらは全て併合という一つの操作で説明できるというのが「併合のみ仮説」だ.
  • というわけで真ん中の階層構造は併合による.しかしこれを外側に出す発声・知覚の部分では語順を決めてリニアに展開しなければならない.これは実は使いにくい.だからチョムスキーは,このような併合によるシステムはコミュニケーションには不便であり,そもそも思考のために進化したのではないかと考えられると言っている.私もこれを支持したい.言語の本質は(思考による)意味にあるのだ.このような考え方はメイナード=スミスやドーキンスも採っている.
  • このような併合は言語だけでなく動作や音楽にもあると考える.動作についてはジャッケンドフが「珈琲を入れる」という作業についての複雑な階層ツリーを提示している.
  • ではこの併合の起源はどこか.チョムスキーはいきなり現れたと言っているが信じがたい.ディーコンは言語以外の分野における何らかの仕組みの転用だと議論している.私も賛成だ.そして具体的には運動からだと考えている.
  • まず運動分野における併合があり,それが汎用の併合能力になり,さらに音楽,言語,心の理論,などの特定分野への併合になっていったのではないか.なお心の理論における再帰的構造については信念を表す埋め込みが特に重視されることがあるが,単なる従属節構造でもそれは可能だ.
  • 汎用的な併合が言語用の併合になる際には,サブマージが非常に重要になっただろう.またワーキングメモリや抽象化も重要だっただろう.
  • これらの併合においては脳科学的にはブローカ野の中での様々な部位が絡んでいるようだ.
  • なぜ汎用的併合だけでなく,言語用の併合が必要だったのか,チョムスキーならこれこそが普遍文法だと言うだろう.あるいは中心の階層構造から発声への出力,概念・意味から中心階層構造への入力に必要だったのかもしれない.ハウザーは各領域特有のインターフェイスとして考えているようだ.
  • 最後にまとめよう.運動において併合能力が進化した.それによる汎用併合能力から言語における併合能力が産まれたのだ.すべては併合により始まったのだ.“In the beginning was the Merge.”*1


言語の階層構造の運動制御起源仮説のついての講演.私にとってはこの夏の日本進化学会でのプレゼン(およびそれについての拙ブログ記事についていただいた直々のコメント;http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20160922参照)を補完するような内容で大変勉強になった.私としては引き続き階層構造の前駆体が運動制御なのか心の理論なのかについては検証待ちという感想.
なお運動制御により生じた汎用的な併合能力が言語にある階層構造を作る併合能力に進化したのは,コミュニケーションのための適応ではなく思考のための適応であると考え方についてはなおやや疑問だ.私達の思考は言語のような階層的なものだけではないように思われるし,語順のみのコミュニケーションから段階的に階層を持つようなコミュニケーションが進化しても不思議ではないように思う.このあたりは現在読み進めているピンカーの論文集に,2002年のハウザー,チョムスキー,フィッチの論文への反論論文「The faculty of language: what’s special about it? 2004」が掲載されているようなので,ちゃんと読んでみなければというところだ.

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles


類人猿も他者の思考を推し量る ―アイ・トラッキングを用いた「誤信念」理解の研究― 狩野文浩
  • ここでのテーマは「類人猿は他者の誤信念に基づいてその行動を予測するか」という問題.これはいわゆる「心の理論」が類人猿にもあるかという問題になる.
  • 「心の理論」を持つとは他者の心的状況を推し量ることができるということを意味する.これは社会的知能仮説と関連するとされ,バーンの「マキアベリ的知性と心の理論の進化論」という本で議論されている.
  • で,これが類人猿にもあるかというのは30年間争われているテーマだ.トマセロたちはチンパンジーにも心の理論はあると主張しているが,しかし誤信念課題(サリーとアン)をチンパンジーで成功させることは難しいと認めている.
  • ここでアイ・トラッカーを使ってこれを検証してみた.チンパンジー,ボノボ,オランウータンを合計40個体用いてテストし,うまく誤信念課題を成功させることができた.
  • 具体的には,目的物の隠し場所について誤信念を持った実験者が,目的物を探すだろうというというシチュエーション動画を作り,それを見せた際にチンパンジーがどの位置に注目するかを観測するという手法で行った.(なお典型的なヒトに対するサリーとアン課題では目的物は第3者が動かした場所にそのままある状況を作るが,ここではさらにそこから取り出して,どちらにも目的物はないという状況で揃える.そうすることによりなぜそちらを見たかの解釈がよりシンプルになる)
  • 結果,誤信念を持った人が探すであろう場所を有意に先に見ることが示された.これによりチンパンジーたち大型類人猿も誤信念課題をこなせると主張したい.なお3種の間で差は無かった.
  • この結果についてはヘイズから批判されている.彼は「単に視覚的手がかりから連合学習したのではないか」「行動のルールを推測しただけではないか」と疑問を呈している.最初の疑問については検証が可能なので,これに取り組んでいくつもりだ.2つ目については(なぜそう考えたのかの質問ができないので)明確に反論するのは難しい.今後は実験のバリエーションを増やしたり,サルやカラスについての実験も考えていきたい.


非常に巧みな方法で類人猿の心の理論について結果を得たという報告.講演の中ではなぜこのやり方がうまくいったのかという部分が大変に面白かった.
まずチンパンジーたちに動画を見ることについて飽きさせないことが非常に需要で,このために類人猿の着ぐるみをかぶった人物が演じる怪しい動物を登場させ(共同研究者の演技力が光る),さらにシナリオの中に研究者との間で,叩く・しばくなどのコンフリクト状況を巧みに織り込む.さらに動画は動きにメリハリが出るように2倍速で再生する.すると彼等は非常に興味を示してくれるということだった.
また典型的なサリーとアン課題では対象者に質問をして答えさせるという形になるが,そもそも質問の意味を把握してそれに答えるという課題自体が非常に難しいという問題があるという指摘もあった.幼児に質問方式でこの課題をやってもらうときには,まず先立って質問に答えることをトレーニングしておくと成績が上がるそうだ.


マキャベリ的知性と心の理論の進化論―ヒトはなぜ賢くなったか

マキャベリ的知性と心の理論の進化論―ヒトはなぜ賢くなったか

  • 作者: リチャードバーン,アンドリューホワイトゥン,Andrew Whiten,Richard Byrne,藤田和生,山下博志,友永雅己
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 2004/06/01
  • メディア: 単行本
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基調講演はこの2つ.ここからしばしの休憩時間になる.



これは金沢に来てまず食したお寿司.ブリづくし,ノドグロづくし,香箱ガニになる.ブリと香箱が特に美味でした.


*1:聖書のヨハネ伝にある”In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.”(初めに言があった.言は神と共にあった.言は神であった.)という語句を踏まえての表現と思われる.