「生きざまの魚類学」

生きざまの魚類学: 魚の一生を科学する

生きざまの魚類学: 魚の一生を科学する


本書は中堅から若手の研究者たちによる魚類の生活史に焦点をあてたアンソロジー.個別のテーマは漁業資源的なものから進化生態的なものまで幅広い.


第1章では魚の生活史の概説がある.生活史と卵の性質(沈性卵か浮性卵か,さらに沈性卵の場合に付着沈性卵か不付着沈性卵か,浮性卵の場合に凝集浮性卵か,分離浮性卵か)の関係,仔魚と親魚の形態に著しい差があることが多いので,孵化から稚魚までの変化は「成長」ではなく「変態」という用語が多く使われること,仔魚のみに特化した分類(稚魚分類学)があることあたりの説明は面白い.また例示として提示されているシラウオの生活史もなかなか興味深い.


第2章はマサバの回遊を扱う.かなり漁業資源に焦点が合わされた記述で,伊豆諸島で産卵,孵化の後北太平洋を回遊し最後に戻ってくる様子,黒潮の蛇行パターンと産卵場所の移動などが描かれている.なお最後に近時マサバの資源回復の兆しがあることと,それが若齢魚の漁獲圧が下がったことによるらしいこと,東日本大震災後の漁獲努力の減少も効いているらしいことがコメントされている.


第3章は駿河湾の深海底棲性魚類の生活史と生息場所,及びその移動パターンの調査.いくつかのタイプに分かれる様子が浮かび上がっている.


第4章は福島県の特産魚メヒカリの回遊パターン.黒潮を利用した大規模なものであったことが明らかになる.なお産卵場所が特定できていないが,それは今後の課題ということになる.


第5章はクサカリツボダイの生活史.やはり北太平洋全域を利用する大回遊パターンを持つ.面白いのは天皇海山海域で産卵するのだが,産卵海域に戻った後の親魚が数年間産卵しながらだんだんやせ細っていくという事実だ.なぜそうなのか(なぜ別の場所に移動して餌をとってから戻って来ずにそうする方が有利なのか)というのはなおよくわかっておらず,今後の課題ということになる.この章は天皇海山についての蘊蓄話*1が大変に楽しい.


第6章は安定同位体比を用いた食物連鎖の群衆構造の解析.手法の解説の後,相模湾でのリサーチ結果が解説されている.


第7章はスズメダイによるイトグサ農業(栽培共生)の話.沖縄のクロソラスズメダイが,ハタケイトグサを選択的に栽培し,雑草や食藻者を排除しているというリサーチは読んだことがあるが,そのテーマをより広い視野から俯瞰した解説.
栽培共生のあり方について,近縁のスズメダイとの比較(クロソラスズメダイのように狭い面積のナワバリに集中的に栽培努力をつぎ込む集約型のほかに,アイスズメダイのように広い面積のナワバリを持つが,世話はそれほどしない粗放型がある),全世界のクロソラスズメダイ間での地理的比較(沖縄では単作だが,インド洋やオーストラリアでは必ずしも単作ではなく,近縁のイトグサ類が複数栽培されていることが多い)などが扱われている.


第8章は魚の左右性.
タンガニイカ湖で他の魚の鱗を食うスケールイーターであるシクリッドに(左側から襲うものと右側から襲うものという)左右性があることは有名だ.そして実はその左右性はほとんどの魚にある.これについての詳細な解説.このテーマは生活史ということではないように思われるが,実は本書の中では最も面白い章になっている.少し詳しく紹介しよう.

  • この採餌行動における左右性は,形態的には口の形に顕著だが,筋肉の付き方や骨格も異なっており,上から見て脊椎が少し湾曲する.
  • この左右性はヒラメやカレイにおけるどちらが下側になるかという左右性とは独立に決まっている.
  • メダカとゼブラフィッシュによる掛け合わせ実験の結果,この左右性は,左利きを優性とする単純な1遺伝子座のメンデル型遺伝で決まり,かつ優性ホモ接合体が致死(あるいは不和合性を持つ)であることがわかった.これはカワヨシノボリやシクリッドの繁殖ペアとその子の利きの観察からも裏付けられている(右×右は右の子のみ,左×左の子は左:右が2:1となる).
  • 右利きと左利きの頻度分布は双峰型になり,利き比率が時間的に振動する現象が,シクリッド13種,ハス,アユ,ヨシノボリ,ブラックバスで確認されている.
  • スケールイーター以外の魚においても餌を捕食するときに右利きと左利きで襲う方向により効率が異なり,その結果頻度が異なる.また捕食される側の回避行動にも利きによりどちらに逃げる方が回避効率が上がるかが異なる.また交差捕食(餌と捕食者で利きが異なる)の方が,回避が難しく捕食が容易になる.これは筋肉の左右非対称性による瞬発力の差,どちらの目で捕食者をとらえやすいかなどが関連すると思われる.捕食魚の解剖により実際に交差捕食の方が多いことも確かめられている.
  • このような左右性の種内多型の維持メカニズムとしては異型交配と負の頻度依存淘汰が提唱されている.負の頻度依存淘汰については3種間の数理モデルも発表されていて,3種すべてにおいて頻度が振動することが示されている.

大変興味深い解説だ.特にこれが優性ホモが致死になるメンデル遺伝で決まっているというのは驚きだ.この優性左利き遺伝子が淘汰されてなくならないというのは,利きの多型に関する非常に強い淘汰圧があることを示している.そして負の頻度依存淘汰があって多型が保たれるにしても,頻度にはこの効果による非対称が現れるのではないだろうか.少なくとも数理モデルには組み込むべきだろう.また左利きが致死にならなければならない理由にも興味が持たれる.何か物質代謝の問題ではないのだから,致死にならないまま左利きになるような変異が生じても良さそうで,もし生じればすぐにでも固定しそうなものだが,幅広い魚種においてそれが生じていないということ自体驚きだ.
なお種内多型が保たれるメカニズムとして異型交配と頻度依存が並列して解説されているのは残念だ.異型交配は至近因で頻度依存は究極因だから,レベルを分けて議論すべきだっただろう.そして進化的に説明するなら,なぜ異型交配選好が保たれるのかまで議論しなければならない(特に右利き個体は上記左利きホモの致死性によって同型交配への強い淘汰圧を受けるはずだ)だろう.
いずれにせよこの章の記述は面白い.非常にエキサイティングな知見だと思う.



第9章は,カジカの生態と,洪水の影響.洪水の影響は,そのときの隠れ家的な環境の多さに依存すること,特に産卵への影響が移動パターンやそもそもの営巣場所の選好に影響を与えているらしいことが描かれている.


第10章は有明海沿岸域のクリーク網の生態的な意味.有明海沿岸は少なくとも平安時代から干拓が営まれ,様々な水路が造られている.これは人工的な環境で直線的な形が多いが,保水用の水路はメンテナンスの容易性から土羽護岸が多く残されており,魚類の多様性維持に役立っているというもの.


第11章は近時の霞ヶ浦の魚類層の変化について.近時霞ヶ浦では大型の魚種が増え,さらに同じ魚種でも大型化が生じている.これについて様々な生態要因,人為的な要因を考察したもの.なかなか複雑系の挙動は難しい.


第12章はサケの産卵床作りがその川の生態系に与える影響.基本的に川底の攪乱と栄養の持ち込みということになる.中規模であれば生態系の多様性に役立つと考えられるが,実際にはいろいろ複雑だということのようだ.


全体としてあまりまとまりはないが,いろいろな面白い魚の話にあふれている.また所々にカラーページがあって,魚類愛にあふれる魚の写真が挿入されているのも楽しい.魚好きにはうれしい本だろう.


関連書籍


魚の運動の左右性の問題については以下の書籍で説明がある.


私がスケールイーターの左右性の問題を最初に読んだのは堀道雄の編集による1993年のこの本においてだ.左右性の話は川那部浩哉による第14章に書かれている.

タンガニイカ湖の魚たち―多様性の謎を探る (シリーズ地球共生系)

タンガニイカ湖の魚たち―多様性の謎を探る (シリーズ地球共生系)


スケールイーターの左右性は,さらにこの本の堀道雄による章で普通の魚でも左利きと右利きがあるという話に拡張されている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080304

生態と環境 (シリーズ 21世紀の動物科学)

生態と環境 (シリーズ 21世紀の動物科学)


これは魚類の行動生態学に焦点が絞られたアンソロジー.左右性の話は竹内勇一による第7章に収録されている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140926

魚類行動生態学入門

魚類行動生態学入門


魚ではないが,左右性についてはこの本も外せない.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120226

右利きのヘビ仮説―追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化 (フィールドの生物学)

右利きのヘビ仮説―追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化 (フィールドの生物学)

*1:これは日本人学者ではなく米国人学者による命名だそうだ.いきさつの推測もあって面白い.