「植物をたくみに操る虫たち」


本書は東海大学出版部の「フィールドの生物学」シリーズの一冊.今回は虫こぶを植物に作らせるタマバチなどのリサーチャーの物語だ.

学位取得まで

著者は島根県の田舎で生まれ育ち,高校では生物部に所属してカゲロウを調べたりしていたが,砂漠の緑化を可能にするような植物の研究をしたいと考えて九州大学に進む.しかし進学して研究室振り分けの際,需要と供給の関係から結局昆虫を研究することになる.そして当初カゲロウと調べたいと考えていたが,新しく赴任してきた湯川教授からの勧めもありタマバチを調べることになる.
簡単に虫こぶとそれが昆虫が植物に作らせる「延長された表現型」であることを解説した後,リサーチ歴が淡々と描かれる.
エゴツルクビオトシブミのどの葉に営巣するかの選好性の季節差のリサーチ,モミの立ち枯れ被害の原因リサーチ(ゾウムシとキクイムシの複合被害と判明),シロダモタマバエの空間分布の地域差のリサーチ(産卵好適時期の葉の展開の地域差に起因する),農業害虫ランツボミタマバエのリサーチ(ハワイからの侵入種であった),同じくバラハオレタマバエのリサーチ(侵入外来種ではなく土着種だったが,未知の野生宿主からバラへの宿主転換が生じた)などをこなして著者は学位取得しPDとなる.

PD時代1

最初の九州沖縄農研,産総研でのPD時代についてはテーマ別に書かれている.
まず海外活動編:ブラジルのいい加減な学会運営,単身ロシアに乗り込んでのフィールド調査,台湾,ノースダコタ,タイの経験が語られる.
続いてタマバエ生活史解明編:エゴノキニセハリオタマバエの年一世代,エゴノキのみを宿主とし,ほとんどの時期を地中で寝て暮らす生活史.季節ごとに宿主を渡り歩くタマバチ(マタタビタマバエはマタタビ以外の宿主が未解明で,調べていくとさらに別の未解明タマバチを発見する)などが解説されている.
種分化編:宿主が異なることにより同所的種分化が可能だと考え,イヌツゲタマバエ属の2種を調べるが,結局異所的種分化の後同所的に分布するようになったという結果になる.
虫こぶ形成メカニズム編:微生物が作る虫こぶと異なり,昆虫の作る虫こぶは昆虫自身が植物ホルモンを産出することによって形成されると考えられている.著者はエゴノキハイボタマバエについてそのメカニズムを調べる.
ここで台湾への就職話が土壇場でひっくり返った話が挿入され,紆余曲折の結果著者は日本でPDを続けることになる.

PD時代2

農業生物資源研究所理化学研究所に所属し,ケブカアカチャコガネのホルモン誘因のリサーチ,フタテンチビヨコバイの虫こぶの適応性のリサーチ,遺伝子操作コムギを用いた虫害抵抗性,宿主決定機構のリサーチ,伊豆諸島のタマバエリサーチなどを手がける.

九大(任期付き)助教時代

ここで九大の高等教育開発推進センターで学生を教えながら研究する職のオファーがあり,著者は九大に戻る.ここからは学生への教育の話の比重が増える.ここではマサキタマバエが2種類の虫こぶを作ることと寄生蜂への対抗戦略の関係のリサーチ,インドアッサム地方でのフィールドリサーチなどが語られている.

佐賀大准教授(現職)時代

佐賀大農学部の教授が不慮の事故で亡くなり,急遽公募された後任に採用され,著者は佐賀大にパーマネント職を得る.
ここからは急遽引き継いだ研究室をいかに運営するかというマネジメント視点が前面に出てくる.様々な運営ポリシー,学生の指導方法,関わる多くの人々,県下唯一の総合大学としての地域貢献のあり方などについて率直に考えを述べ,最後に未来への夢を語って終わっている.

本書はこれまでの本シリーズの多くの本と異なって,生物学的なテーマを前面に出さずに,ひたすら著者自身の視点から見える風景がほぼ時系列に沿って淡々と書き込まれている.シリーズによくある「謎とその解決」だとか「伏線とその回収」などの想定読者向けの作り込みががあまりなくドラマティックな要素に欠けるのは否めないが,いかにも昆虫中心の研究一筋できり開いてきた人生という風情が醸し出されていて,独特の味がある.読み進めるとリサーチャーとしてのキャリアを積むに従って著者のフォーカスが移り変わっていくのがよくわかる.口絵に仕込まれた虫こぶミニ図鑑もうれしい.不思議な雰囲気の一冊だ.