「ルービンシュタイン ゲーム理論の力」


本書は経済学者でゲーム理論家であるアリエル・ルービンシュタインによるゲーム理論をテーマにした本だ.理論の解説書でも単なるエッセイでもなく,ゲーム理論と社会の現実の問題の関係についての深い洞察を様々なお話を通じて緩やかに語る不思議な本になっている.原題は「Economic Fables」となっており,ゲーム理論の本質は一つの「寓話」であるととらえるべきだと著者の思いが込められている.*1

序章

冒頭は著者が会計士だった父親へ尊敬の念を抱いていたことを語り,しかしイスラエルで所属する大学が会計学の講座をもうけようとしたときには一人で抵抗したという思い出話から始まっている(著者は親の代に東欧からイスラエルに移住したユダヤ人だ.).これは経済学が簿記のような実務的な問題解決の学問ではないという著者の意見表明なのだ.著者は経済理論は「モデル」と呼ばれる「寓話」を通じて表明される「思想」であり,科学的に探求される「絶対的な真実」ではないと主張する.

ここから著者は様々なゲーム理論のモデルとその帰結を説明し,それが示唆する物語,しかしそれは前提に大きく依存することなどを具体的に語る.経済モデルは人生の理(ことわり)を探求するためのものだが,だからといって予測や助言にすぐ役立つものではない,というのが本書の大きなテーマになる.

第1章 合理性と非合理性

ちょっとした思い出話の後,経済学の前提である合理的経済人の仮定を扱う.ここではまずよく世間に誤解される微妙な部分「選好の意味(それは金銭的なものだけではない)」「あたかも何らかの最大化を行っているような行動(真の意思決定過程には興味がない)」「選好と幸福との関係には無関心」あたりを解説しする.なかなか微妙な部分がわかりやすく解説されている.
続いてカーネマンとトヴェルスキーが明らかにした非合理性の実例に話が進む.ここでは1970年代のイスラエルの政治状況の解説が面白い.ユダヤ人の権利をひたすら主張する強硬派のペギンと事実に基づき冷静な主張を行うラビンが登場するが,著者は最後に(心情的には全くペギンを支持できないが)両者の評価は難しいとコメントしている.また感情的な出来事に際しては自らも時に非合理的な心情に陥ることを告白している.
また心理学や行動経済学の実験でよく行われる「少額の金銭的報酬をインセンティブとする」という実務とその金額の少額性を問題にする批判についてもコメントしていて面白い.著者は大きな金額が関わる問題だけが重要ではないし,そもそも被験者の選択は仮想的な報酬をイメージさせたときとほとんど変わらないのだから実際の報酬自体不要ではないか,さらにはなぜ哲学のように研究者の自己申告では満足できないのかとまでコメントしている.またここでは統計的な有意性の問題より研究者の信憑性の問題の方が重要であるとも指摘していて興味深い.
またここでは合理性の仮定の擁護に進化論を持ち出す論者についてもコメントがある.これは進化心理学的なきちんとした考察ではなく,ナイーブな「合理性がある方が有利だからそう進化したはず」という議論のようだ.著者は「非合理的な個人が本当に絶滅するかどうか明らかでないし,そもそも非合理的な個人がいなければ合理性が有利にならないのではないか」とコメントしているが,これも進化動態についてナイーブな議論だといわざるを得ず,いただけないところだ.
最後に著者は「結局私は合理的でありたいのか」という哲学的な問いを行っている.著者はそれはたどらない方がよい道であり,「(私は)合理的人間が打ち負かされるのを観察して喜びを得ている」とだけコメントするとしている.なかなか含蓄のあるところだ.

第2章 ゲーム理論:ビューティフルマインド

冒頭でナッシュの思い出が語られ,ゲーム理論ナッシュ均衡の概念について様々な逸話を交えた解説がなされる.相手の手を読み合っていけばどういう均衡点にたどり着くかというポイントがうまく描かれていて読みどころだ.
では現実世界でナッシュ均衡はどういう意味を持つのか.著者は「人々がそういう場面でどういう手を選ぶのかはわからない」とする.
ここで例に挙げられているのは「2人のプレーヤーがそれぞれ180ドルから300ドルの金額を選ぶ.低い方の金額をAとすると,より低い金額を選んだプレーヤーはA+5ドル,より高い金額を選んだプレーヤーはA-5ドルを受け取る」というゲームだ.(このほか最後通牒ゲーム,ナッシュ均衡が生じない形のゲームなども扱われている.)
このナッシュ均衡は180ドルになる.しかし実際に人々がプレーするとナッシュ均衡である180ドルを選ぶのは2割ほど,4割は最高額の300ドルを,2割が295〜299ドルという戦略的な金額を選ぶ(そして様々な国と地域で同じような傾向になる)そうだ.
著者は「他人を蹴落としてまで得をすることをいやがるような選好があれば300は最適になりうる」とコメントしている.あるいは純粋に金銭的な選好だけでも人々の選択の分布について推定(つまり人々がどの程度ナッシュ均衡からはずれた手を選ぶかという推定)があればナッシュ均衡以外の手が最適になりうると思われるが,著者はそこはコメントしていない.(著者は,最後通牒ゲームの50%オファーするという選択への解釈についても「公平さを選好にカウントすれば最適になる」というコメントを行って一貫しているが,やはり公平さに無関心でも「相手は自分が損になっても報復するだろう」と予想していれば最適になりうるだろう)

そして著者はゲーム理論の均衡が実務上の有用性には結びつかないことを力説している.ゲーム理論的状況での人々の行動にはパターンが見いだされるが,それは理論的分析とは弱い結びつきがあるだけなのだ.またチキンゲームや囚人のジレンマではゲーム理論的な分析通りの選択は世界を悪い方向に導くとコメントする.(このあたりはそれぞれのゲームの単純化した前提と現実の差異,そして先ほどと同じ人々の行動予測の問題でもあるという気がするところだ)

最後に著者はナッシュの逸話に戻り,ゲーム理論の面白さを,それは世界を考える方法に触れることであり,その中にビューティフルマインドを見いだせるのだと語っている.

第3章 ジャングルの物語と市場の物語

この章では「モデル」の寓話のとしての性格を際だたせるために2つの仮想的経済概論を提示している.片方は「ジャングルモデル」で財の分配は力によって決まり,片方は「市場モデル」で財の分配は自発的交換によって定まる.
ジャングル経済は楽しい頭の体操で,各プレーヤーに戦闘力と選好が与えられると初期分配から均衡分配にどのように導かれるかが解説されていて楽しい(市場モデルでは各プレーヤーの選好と初期価格がパラメータとして設定されると均衡分配が導かれる)

著者はここから「パレート最適」「外部性」などの概念を解説し,配分に与える影響は制度よりも選好の方が大きいとコメントする.なおこのジャングル経済は,「最も強い戦士が全ての財を独占する」という均衡にならないために「複数財の同時保有に制限がある」という前提がおかれている.この前提も制度に含めれば,著者のこのコメントには疑問もあるところだ.

第4章 経済学と語用論,そして7つの落とし穴

この章は学際領域がテーマになっている.そして語用論の経済学的な考察が始まる.
ポール・グライスに始まる語用論の初歩をまず解説してから,著者は「説得の場面における語用論」を考察する.著者の考察はゲームの場面に沿って展開されるが,要するに「互いに利害が一致していない場面での発話は相手の操作を目的としているはずだ」というドーキンスとクレブスによる進化生物学的シグナル理論に近いものになっていて面白い.
議論は例に挙げられているゲームと著者による読者の説得というメタ構造を巡り,制度設計問題に発展し,専門家の意見を引用する複雑なゲームを行うモデルを組み立て,選択問題試験への回答方法を考える.ここは著者が自由に発想を広げていて興味深い話題が満載だし,所々に読者をはっとさせる警句(落とし穴*2)を提示していて大変楽しい.

第5章 (ある種の)経済政策

子供の頃のユダヤ教社会主義を巡る思い出話の後,著者は経済政策は「どのようなゲームを行うか」に似ていると主張する.それはプレーヤーとしての参加資格は誰にあるか(移民政策,外国人労働者政策のみならず,出生奨励政策や教育政策も含まれる.そして経済学では参加が望まれないプレーヤーにどうすればいいかという問題には対処できない.)どのような行動が許されるか(ありとあらゆる規制の問題)を定めるものなのだ.
またここではプレーヤーサイドにある厄介な問題にも触れている.非常に富裕な人たちがさらに成功自体や権力に魅せられてしまうと富が集中する.また資産について私的保有と公的保有をどう定めるかについては感情的な議論しかないと著者は指摘している.さらにプレーヤーの非合理性やゲームのルールの柔軟性も面白い問題を引き起こす.ゲームのルールの変更は利害の対立を生み政治問題化する.そして特にイスラエルについては国防にどこまで税金をつぎ込むかという問題も大きい.
著者は特に何らかの結論を出しているわけでもなく,ゲームの外側の様々な問題をエッセイ風に語っているだけだが,長年いろいろ考えていたことだけあって深さを感じるところだ.

本書は経済モデル,特にゲーム理論の本質について第一人者による洞察が語られていて内容的に深い.そしてそれを著者自身の人生経験,イスラエルの難しい政治状況,いかにもしゃれた数々のゲームの解析をちりばめながら語るという形で提示し,さらに語り口に独特の味があり,かなり抽象的なテーマにも関わらず読者を飽きさせない.
私としては合理的経済人の仮定の部分が興味深かった.ヒトの非合理性は損失回避などのバイアスを生み,様々な経済理論に影響を与えるはずだが,価格に対する取引の意思決定の問題においては合理的経済人の仮定は近似的にはほぼ成り立っていて全体的にそれほど大きな破綻をきたさない.しかしナッシュ均衡を選ぶかどうかという意思決定問題に対しては大きくずれてくるというのはなかなか面白いところだ.それはしばしば経験するゲーム状況においてナッシュ均衡を回避することに大きな適応度的なメリットがあったために様々な心理的な性質(その中には著者がいう公平などの道徳感情もあるし,それ以外にもコミットメントとしての感情などがあるだろう)が進化したということなのだろう.だから進化心理学的にも囚人ジレンマや最後通牒ゲームがよく問題になる背景ということになると思われる.
おそらく様々な読者がそれぞれの視点で興味深い論点を見いだせるだろう.ゲーム理論に興味がある読者には特に推薦できる深い書物だと思う.


関連書籍

原書

Economic Fables (English Edition)

Economic Fables (English Edition)

*1:そういう意味ではこの邦題の付け方はややずれているような気がするところだ

*2:多くは学際研究に巡る落とし穴だが,「研究者の利害に注意せよ」「実際のところ私たちは自分の取り組んでいることについてはっきりわかっていない」というものもあって面白い.