- 作者: 倉谷滋
- 出版社/メーカー: 工作舎
- 発売日: 2017/02/18
- メディア: 単行本
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本書は日本の進化発生学(エヴォデヴォ)の第一人者である倉谷滋の手によるゴジラ本である.倉谷は昨年末から今年初頭にかけて「分節幻想:動物のボディプランの起源をめぐる科学思想史」(2016/11)という800ページを越える超巨大本を執筆し,さらに2004年に刊行された「動物進化形態学」をほとんど全面的に書き直した,これも700ページを越える「新版 動物進化形態学」(2017/01)も出している.このものすごい執筆量にはただただ圧倒されるのだが,さらに本書である.おそらくこの巨大本を書いている合間に息抜きも兼ねて楽しみながら書いていたのだと思われるが,しかし実際に手に取ってみると小粒ながら濃密な書物になっている.
本書を読み始めてすぐにわかるのは,著者は進化発生学の第一人者であるというだけではなく,濃密な怪獣オタクでもあるということだ.怪獣映画,特撮ものに対する愛と知識が隅々まであふれ,そしてその上でゴジラをはじめとする「怪獣」について緻密な論考を重ねていくのだ.本書は全体で3部構成になっている.ゴジラの考察,ゴジラ以外の怪獣たちの考察,そしてその他エッセイという形だ.この最初の2章の怪獣の考察については映画のフィクションの世界における博士たち*1の見解という形をとっている.
ゴジラ
怪獣映画の小ネタ*2を振りつつ,まず映画内における説明,およびその矛盾を踏まえる.そこからゴジラの正体を考察していく.最終的に示唆されるのは,初代ゴジラから2004年のゴジラFINAL WARSに出現したゴジラまでとシン・ゴジラのゴジラを分けて考察するしかないということだ.これはシン・ゴジラでは変態が生じ,かついくつかの決定的な特徴が異なるからだという理由による.
(旧)ゴジラ
2004年までのゴジラ*3については,起源仮説を単弓類に3カ所,双弓類に4カ所示した上で,哺乳類的な特徴(耳介,表情筋の存在,まぶたが上から下へ閉じること.歯の形状に分化が見られること,(メカゴジラ作成に使用されたゴジラ骨格から示される)下顎骨の形状および骨性の外鼻孔)が数多く見られること,獣脚類恐竜起源説との矛盾点(前肢の指が5本あること,尾を引きずること,羽毛が見られないこと)があること*4を指摘,最節約法的に考えると単弓類起源仮説(この中で獣弓類起源と哺乳類起源が有力)が支持でき,獣脚類恐竜との類似は収斂と考えるべきだとしている.美しい比較形態学的な考察だ.
シン・ゴジラ
シン・ゴジラについては,まず劇中の「まるで進化だ」という矢口内閣官房副長官の台詞について,「まるで」というのは実は進化ではないと解釈できるし,確かにより正確には「まるでオタマジャクシの変態だ」と言うべきであったが,それでは緊張感のない台詞になってしまう以上演出上許容できるとコメントしている.これは私の感覚にも近くて納得できる.そして話は変態からヘッケルの「反復説」の蘊蓄に移り,発生的に考察が始まる.進化発生学的な視点から今回のゴジラの変態を見ると,成体は羊膜類的でありながら,幼体は全く羊膜類的ではなく,時に軟骨魚類,時に両生類的な特徴を見せている.第3変態時の鰓の消失と不要になった器官の退縮による大量出血を吟味し,さらにここでもう一度「まるで進化だ」という台詞に戻り,反復説まで踏まえると「祖先が上陸していった進化過程を見るようであった」と解釈でき,それは正当化されるとコメントしている.私はそこまでは考えられなかった.さすがに進化発生学者だし,怪獣映画愛を感じるところだ.
そしてそのような破格な変態振り,最終場面での尾部に見られたヒトを思わせる構造からして,ゲノム中に複数の脊椎動物の遺伝情報が無理矢理押し込められ,時に発生用遺伝子制御ネットワークが擾乱を受けているのではないかと考察する.そして「ゲノム量8倍」のくだりも,そのような意味であったとすれば許容できるのではないかとやさしい解釈を行っている.私としては「『ゲノム量8倍』なのでより優れた生物だ」というくだりはあの映画の完成度に影を落とす汚点の1つだと思っていたが,ここも著者の進化発生学者としての慧眼と怪獣映画愛に打ち負かされた気分だ.
ではシン・ゴジラの成体(第4変態)はどのような動物の遺伝情報を基礎にしているのか.著者は様々に考察する.まずこのゴジラは過去のゴジラと異なり,僧帽筋群の一部である胸鎖乳突筋が観察され,哺乳類的に見える.しかしこれは第2変態から第3変態に移る際に鰓孔を飛び越えて腹側に移動しており,いかにも不自然だ.その他様々な特徴が哺乳類的なものと主竜類的なものの混合体になっている.また皮膚の組成,背鰭が3列であることは,他の動物に類似例がなくこれまた破格である.さらに口だけでなく,尾の先端,および背鰭の先端からプロトンビームを撃てることから,尾や背鰭にまで気嚢的な構造があると疑われる.著者は以上の様々な特徴を,無羊膜類的派生形質,羊膜類的原始形質,有隣類的派生形質,主竜類的派生形質,単弓類的派生形質,固有派生形質に整理し,今回のゴジラと過去のゴジラの共通形質はわずかしかなく異なるものだとするしかないこと,また最節約法的に起源を特定しようとしてもあまりにも多くの二次的消失と平行進化を仮定するほかなく困難であるとまとめる.そしてこの生物は何者かによって意図的にデザインされた分子遺伝学的人工物であると結論を出している.ここから進化発生学的な視点からどのような形で遺伝的な操作,デザインが可能かを考察し,人為的発生プログラム構築に関する仮説も提唱している.ここは極めて深い考察で,学術的な視点から見た場合の本書の白眉となっている.
さらに著者はこのような仮説を元に「牧吾郎博士の日記」という形で,上記発生プログラム構築が具体的にどのようになされたのか,映画における牧吾郎博士の失踪の謎の真相は何かについての妄想を付け加えている.「牧吾郎博士の手によるスケッチ」がいくつも添付されていて大変な力作であり,楽しい.著者のシン・ゴジラへの愛を強く感じることができる部分であり,ゴジラ本としてみたときの本書の白眉となっているだろう.
ゴジラ以外の怪獣
第2章では,アンギラス,モスラ,バラン,ラドンがとりあげられて,様々に考察されている.面白かった部分をいくつか紹介しよう.
- アンギラスは映画内では当初「アンキロサウルス」の生き残りとされ,そのシノニムとして扱われているが,形態的にはいくつもの無視できない違いがある.また全体的にもアンキロサウルスのようながっしりした動物ではなく華奢で敏捷な生物であると思われる.
- モスラの形態はヤママユガによく似ているが,詳細に見ると前翅の大きな目玉模様の位置が異なる.一旦目玉模様が消失した後に二次的に翼端の小さな眼状紋系列の先端の目玉が巨大化したと解釈できる.
- ガの翼の目玉模様は対捕食者防御形質とされているので,モスラのような巨大生物にも捕食者がいた可能性を示唆している.50年代の米国にいた怪鳥はその候補になるだろう.実際に対ゴジラ戦闘で目玉模様を相手に向けるような仕草を見せている.
- モスラの幼虫は,外見的にはカイコの幼虫に似た形をしているが,眼や口器の位置は異なる.
- バランは前肢と後肢の間に皮膜を持ち滑空することができる.比較形態的に見るとこれは翼竜の祖先形態だと考えられる.
- ラドンはさらに翼竜とよく似ていて,映画内の説明(プテラノドンの生き残り)と整合的だが,頸部から手根部にかけての前方の皮膜がなく,小骨「プテロイド」の存在の有無に関する疑問とあわせて,翼竜起源が完全に確立しているとは言い難い.
エッセイ
そして第3章には著者の怪獣についての様々なエッセイが収録されている.ここにはもはやほとんど進化発生学者は登場せず,筋金入りの怪獣ファンによる楽しい怪獣エッセイがならんでいる.初代ゴジラやシン・ゴジラは現実世界にいきなり異形の物が侵入する話だが,続編になればなるほど,ゴジラにあわせた童話的セットアップが付け加えられていくという読み解き,一発勝負の特撮に対する愛,「南海の大決闘」の魅力,ガメラシリーズの情け容赦ない残酷描写,映画における分子遺伝学的手法の現れ方の変遷,ファンタジー世界のドラゴンや八岐大蛇と空想科学のリアリズムを持つ怪獣の違い,ウルトラQの想い出(これは4エッセイもある.私もウルトラQには同時代的な想い出があるが,著者の記憶力とその分析には圧倒される),著者による怪獣映画ベスト30.いずれも素晴らしい出来だ.
アニメや特撮については様々な濃いファンブックが存在する.しかし本書はその中でも学術的な基礎が特別に深い一冊となるだろう.そして稠密な生物学的な議論の中にファンならではの小ネタが何重にも織り込まれている.生物学に興味や造詣があり,かつゴジラが好きならば,買って決して損のない必読の一冊だと思う.
私的には,本書を繰り返し読み込んでおくことにより,もうすぐ届く予約済みの「シン・ゴジラ」ブルーレイディスク(3/22発売予定)をより深く楽しめそうで大変わくわくしている.
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こちらは一般向けの本.「形態学」についての私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150624,「個体発生は進化をくりかえすのか」についての私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060208にある.
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