Language, Cognition, and Human Nature 第7論文 「ヒトの概念の性質」 その4

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

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ピンカーはここまで,カテゴリーには,それに含まれるための必要条件と十分条件が明確な「古典的カテゴリー」とプロトタイプとの類似性により決まり,メンバー内で複数の特徴が部分的に共有されているような「ファミリー類似カテゴリー」があること,ヒトの概念は「ファミリー類似カテゴリー」的だが,それへの反証もあることを説明してきた.ではこの謎はどう解決されるべきなのだろうか.

可能な解決法

  • この相反するエビデンスの可能な解決方法はいくつかある.
  1. ヒトの概念は基本的にはファミリー類似カテゴリーによっている.古典的カテゴリーは,学校教育のような明確なインストラクションによる特別ケース,あるいは人為的な構築物(artifacts)である.
  2. (逆に)ヒトの概念は基本的には古典的カテゴリーによっている.ファミリー類似カテゴリーは,限られた時間でカテゴリー判断をさせるという実験のタスクから生じた人為的な構築物である.
  3. (妥協的な方法として)ヒトの概念は両方のカテゴリーからなる.古典的カテゴリーは概念の「コア」で,推論に使われる.ファミリー類似カテゴリーは「同一性判断手続き」「ステレオタイプ」であり,利用できる感覚情報に基づいたカテゴリー判断や素速い近似的推論に使われる.
  • 多くの理論家はこの妥協的な立場を好んでいるが,レイコフ,ロッシュなどはファミリー類似カテゴリー基本に近い立場に立っており(レイコフ1987,ロッシュ1978,スミス,メディン,リップス1984),レイ,フォーダーなどは古典的カテゴリー基本に近い立場に立っている(レイ1983,フォーダー1981,アームストロング1983).またコア+同一性判断基準の妥協的な立場に立つものもいる.
  • これらはいくつかの疑問を生む.
  1. 心理的にあるタイプのカテゴリーだけがリアルで,それ以外は人工的構築物なのか.
  2. 両方ともリアルだとして,それは機能により区別できるのか.
  3. 両方ともリアルだとして,それは同じ計算アーキテクチャーで扱えるのか
  4. 片方,あるいは両方がリアルだとして,それは存在論的カテゴリーと対応しているのか.
  • レイ(1983)は,「世界にはどのようなカテゴリーがあるか」という形而上学的問題と,「人々が世界を理解するためにどのようなカテゴリーを用いているか」という認識論的な問題を区別することが重要だと主張している.
  • それは,「ヒトの認知能力には限界があるので,世界にあるカテゴリーと別のカテゴリーを心理的に使っているのか」,あるいは「認知能力は世界を理解するためにあるのだから,ヒトは世界にあるカテゴリーをそのまま使っているのか」という問題でもある.
  • ここからこの問題に対して,通常用いられることのないエビデンスを調べることによって光を当てていく.それは英語の過去形だ.

古典的カテゴリーは規則型の世界であり,ファミリー類似カテゴリーは不規則型の世界ということになるのだろう.ピンカーのさばき方が楽しみだ.