協力する種 その9

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第3章 社会的選好 その1

第3章は著者たちの協力行動の至近的な説明「社会的選好」についての(そしてそれが遍在していることを主張する)章だ.(行動生態や進化心理的な説明としての)血縁淘汰(包括適応度理論)や直接互恵性,間接互恵性からの説明は究極因の説明であるので,それらによっても至近的メカニズムとして社会的選好があるということで全く問題ないのだが,著者たちは血縁淘汰や直接互恵性,間接互恵性からの説明が「血縁認識」「後日の取引の意識」「評判の意識」を前提にした至近的説明だと誤解しているので,この社会的選好の偏在が示せれば血縁淘汰等の説明を否定できると考えて無駄に力が入っている.ここはその部分を注意しながら読むことが必要になる.
なおここでは「社会的選好」について,無償の博愛的利他的行為だけでなく,可罰心理(可罰にコストがかかれば利他行為をいうことになるので理論的には一貫している)も含めて議論している.ここも注意が必要だ


さて著者たちは冒頭で最後通告ゲームの問題を採り上げる.ゲーム理論的には提案者は最少額の分配を提案し,受け手は拒否しないというのがナッシュ均衡になるが,実際に人々はそうしない.これはゲーム理論家でもあるギンタスにとっては重要なところになる.以下様々なゲームの例を採り上げていくことになる.

3.1 強い互恵性はありふれたものである

まず著者たちは「強い互恵性」という用語を「何の見返りも期待できないのに利他的行動をしたり,他者の協力的行動には利益を与え,フリーライダー的な行動には罰を与えるような選好」としてことさらに定義する.これは「いずれ見返りがあるから」という自己利益的動機に基づく利他性と区別するためということだそうだ.ここも行動生態的な互恵性の説明が意識的なものに限ると考えている誤解に基づくこだわりだろう.

それはおいておいて著者たちが挙げる社会的選好の存在の証拠をみていこう.

  • 一回限りの囚人ジレンマにおいて一定割合のプレーヤーは協力を選ぶ.
  • (雇用者と労働者に別れてプレーする)一回限りの贈与交換ゲームで多くのプレーヤーは最低労働量や最低賃金を選ばない.またその後にフリーライダーへのコストのある罰機会を与えると,再対戦がないことが明示されていても多くのプレーヤーは罰をあたえることを選択する.

これらはよく知られたヒトの行動傾向であり,進化心理学リサーチでもおなじみのところだ.

3.2 フリーライダーが蝕む協力

次に著者たちはフリーライダーの問題を採り上げる.

  • 同じメンバーで公共財ゲームを繰り返すと,当初高い協力率で始まるが,集団内にフリーライダーが存在することが明らかになると協力率は急激に下がっていく.

この現象をどう説明するかが問題になる.著者たちはこう議論している.

  • よくある「自己利益からの説明」は,「人々は最初これが厳密に匿名状況であるということが理解できない(だから評判にかかわる場合の行動ルールに従ってしまう)が,ゲームを繰り返すうちにそういうセッティングでの自己利益最大化するための振る舞いを学習するのだ」という説明だ.
  • しかしこれはこのような繰り返し公共財ゲームを,別のメンバーで行う場合の結果(やはり最初は高い協力率で始まり,その後協力率が下がっていく)を説明できない.
  • これを説明するには,プレーヤーは非協力者を罰したかったがこのゲームの形式では罰を与えるのは非協力という形でしか行うことができないため非協力を選択するようになった,つまり「参加者にはフリーライダーを罰したいという社会的選好がある」と認めるしかない.


繰り返し公共財ゲームで協力率が下がっていく現象も社会心理学リサーチでおなじみのところだ.なおここで著者たちが挙げている「よくある自己利益からの説明」は通常の進化心理学的説明とはずれているだろう.
一般的な解釈は,実験者が行う「匿名状況である」というインストラクションを受けても,進化により形成された心理的カニズムはそれを完全に信じて行動をするようには調整されないというものだろう.EEAにおいては「匿名である」というインストラクションがあってもそれが信じるに足りるかどうか常に怪しいし,「誰にもばれない」と知覚されても,実際にはばれることがあり得ることが前提になるだろう.そして今目の前のゲームで提示されているペイオフに比べて,一旦評判が悪くなったときの悪影響が巨大なので,「ばれない」と知覚したかどうかで極端に行動を変えないという行動が基本になると考えられるだろう.
そしてプレーヤーは,評判への影響や今後の見返りの可能性を阻害しないように,まずは協力的なスタンスを示し,自分がカモになるという評判を避けるために,フリーライダーに対しては協力を拒否するという行動を取る(この後の公共財ゲームの罰ステージと異なりこのフリーライダーへの拒否は利他罰というより自らの評判を高める行動という側面が強いだろう,ただし至近的には著者たちが言うような可罰的な心理も含まれている可能性はある).そしてそれは無意識的であってよく,至近的には「まず協力,しかしフリーライダーにはつけこまれたくない」という「社会的選好」を持つように見えるだろうと考えているということになるだろう.


結局著者たちはここで,まず互恵性説明の究極因と至近因の取り違え,つまり「互恵性などの進化的な説明が成り立つにはそれを意識的に理解して行動している必要がある」という誤解を持ち,さらに「実験者のインストラクションは完璧であり,ヒトはそれを全面的に受け入れて行動するだろう」というかなりナイーブな解釈を採ることにより,この「協力率の低下」が「自分のタフさに関する評判形成」という戦略的な利己的行動として解釈できる可能性について否定できると主張しているということになる.このナイーブさは高橋の解説にもある通りだ.そしてこの態度は本書全体に散在する.


著者たちはこの節の最後に対戦者を選択できるようにセッティングした場合の結果を示している.

  • 最初のゲームセットの結果を見せて,希望対戦者を選択させ,互いに希望したものを優先してセッティングを行い次の公共財ゲームセットを行うと,選びあったもの同士の組では(なお非協力者が含まれていても)より高い協力率で始まり,(終末効果を除くと)より高い協力率が維持される.これは協力的な性向を持つ人々が同じ志向を持つ人々とつきあう場合には協力を維持することがそれほど困難でないことを示している.


この部分では著者たちは至近的な動機の解釈をおこなっていないので,なぜこの例をここに持ってくるのかよくわからないところがある.おそらく「正の同類性」を持つ場合には協力維持しやすいことを示す事例をその事例と同じゲームの解説を行っているところで(いわば予告編として)示しておこうということなのだろう.著者たちの説明を読む限りは「互いに選び合ったかどうか」で結果が変わるかどうかは示されておらず,一定以上の高い協力率で始まれば,ごくわずかの非協力者があっても協力率が下がらないことを示しているだけのように思われる.「正の同類性」の問題は第4章で扱うことになる.