協力する種 その20

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第5章 協力するホモ・エコノミクス その1


ここまで著者たちはどのように協力が進化したのかについて主に生物学的な議論を行ってきた.第5章ではそもそもの著者たちのホームグラウンド経済学での議論を概観することになる.経済学では「いかにして利己的な取引動機を持つ人々の参加する市場が相互利益を生みだしうるか」が説明されてきた.

著者たちは以下のように議論を進めている.

  • アダム・スミス以来の古典的経済学では市場の生みだす相互利益を考察してきたが,今から半世紀前に厚生経済学の基本定理が証明されてその頂点を迎えた.
  • この市場交換のモデルでは価格が市場において決定され,個人はその価格表を見ながら自らの効用を最大化する.ここには個人による取引相手の行動に対する戦略という概念がない.このような考察が可能になるのは「完備契約」という前提があるからだ.「完備契約」においては一旦結ばれた契約が必ず履行される(あるいはコスト無しで履行強制できることが保証されている)とみなされる.
  • 過去半世紀で経済学はこの前提をなくしたときにどうなるかについて考察するようになった.当事者による罰や脅しなどの戦略的相互作用により交換の結果が決定されるモデルが発展した.経済学におけるゲーム理論的モデルは報復により協力が推進されうるという洞察を精緻化したものだとして理解することができる.
  • このような経済学的なゲーム理論によって得られた最大の成果が「フォーク定理」である.
  • しかし結局これらのゲーム理論的モデルは利己的個人間の協力を適切に説明できない.3人以上のゲームではプレーヤーがナッシュ均衡を見いだすのは難しい.ゲーム理論的モデルにおける協力の達成や維持には非現実的な前提が必要になるのだ(そのような実現が難しい協力均衡解を本書では「進化的に無意味なナッシュ均衡」と呼ぶ).それをこの章で見ていく.


いかにもゲーム理論家らしい広角の視点だ.とりあえず著者たちについていってみよう.

5.1 フォーク定理と進化的ダイナミズム

著者たちはここでフォーク定理について解説を置いている*1.これは(自己利益のみを考えるプレーヤーによる)繰り返しのあるゲーム状況で時間割引率や情報エラーが十分小さい場合には,(1回限りゲームのナッシュ均衡を脱して)双方プレーヤーに(ナッシュ均衡対比)正の利益があるいかなる資源配分も均衡として達成可能だというものだ.
ここでは囚人ジレンマゲームを使って具体的に解説されている.
ポイントを私なりに要約すると,互いに条件付き戦略(ここでは経済学の用語に従ってトリガー戦略と呼ばれている)を採っているとして,繰り返しゲームの総利得をナッシュ均衡的に分析すると,「常に裏切り戦略」より有利になれる利得組み合わせはすべて均衡解になりうる.そしてどれが実現するかは両当事者の初期戦略の組み合わせに依存するということになる.

これは双方協力などのパレート最適な組み合わせの均衡が実現することを保証しない.ではどうすればそのようなより良い解が実現できるのか.それにはゲームの外側で採る戦略の組み合わせを調整することが必要になる.著者たちはそれは2人でも難しく,多人数では問題ははるかに深刻だとする.つまり問題の解決にはコーディネーション問題が重要になると指摘する.


ここで分析されているのはアクセルロッドたちなどが行った進化ゲームではないことに注意が必要だ.このフォーク定理の分析フレームはあくまで自己利益に基づいて様々な戦略を試みる個別のプレーヤーになり,繰り返しゲームの中でどのような均衡がありうるのかを分析している.つまり利得差に応じた淘汰過程は考えられていない.

5.2 公的情報が不完全である場合のフォーク定理

5.1節の議論はシグナルが公的で情報エラーが十分に小さいことが前提だった.しかしトリガー戦略は情報エラーに対して脆弱でありうる.著者たちは異なる情報環境下でフォーク定理がなり立ち続けるかを次に議論する.

本節では情報は公的だが,知覚エラーがある場合を取り扱う.著者たちはゲーム理論家らしく数理的に議論を詰めている(ここでも訳者の大槻が一部の式について間違っているので訳者の責任において修正すると訳注を入れている).ここではこの後の議論に絡む主な流れを紹介しよう.

  • n人の協力ゲーム(協力の場合コストcを払う.それによる利益bは行為者を除く集団全員で均等に分けられる)においてフォーク定理を用いるとどうなるかを調べると,割引率が十分に小さい場合には高い協力率が可能な解が存在するという結果が得られる.ただしこの結果は裏切り者に対しての罰が可能(裏切り者への罰の非行使についても罰が可能)という前提が必要になる.誰が裏切ったかという情報が公的情報であれば,エラーがあっても偶然以上の確率で裏切りを推測できれば良い.
  • 罰にコストがかかってもエラー率が十分に小さければこの結論は動かない.ただし罰にコストがかかるときには自己利益追求プレイヤーには罰を与える動機がない.だからフォーク定理を用いた協力均衡が成り立つためには「コストをかけても裏切り者を罰する」という社会的選好が必要になる.

ここから著者たちは高次罰まで取り込んだ解析モデルを組み立て,エラー率(協力を非協力と誤認する確率):5%,罰効率(コスの大きさ/コスト):1〜2,b/c:2〜3において,集団サイズが15〜20人程度で協力が保てるだろうと試算している.


本節の議論は進化生物学を離れているので,なかなか難解だ.裏切りについての公的情報のある繰り返し協力ゲームにおいてフォーク定理による協力均衡が存在するには裏切り者を偶然以上の確率で特定でき,高次罰も含めた罰が可能になっていることが必要という趣旨だろう.均衡があるかどうかだけを考えているから,現在全員協力になっているときに裏切っても得をしない状況があればいいということになる.それは,「裏切ったらばれるという状況があり,誰かが裏切ったら罰を与えるという戦略を全員で採っていれば,戦略を変えた(裏切った)方が損になる」ということであり,認知エラーが小さく,罰の相対コストや協力の相対コストが小さければそうなるだろうということは直感的にも明らかなようにも思われる.
なおここまで読んでいるともはや驚くべきでもないだろうが,至近的な動機をとにかく気にする著者たちのスタンスも相変わらずだ.

5.3 私的情報化でのフォーク定理.
  • 私的情報下では問題は複雑になる.自分が裏切り者だと誤認されているかどうかが,相手ごとに異なっていて,しかも自分が誰に誤認されているかもわからない.このために戦略をうまく調節できないからだ.
  • ナッシュ均衡の分析もより難解になる.関口(1997)のモデルでは公的情報ゲームよりかなり協力効率の低いナッシュ均衡になる.


この節の記述も難解だ.著者たち自身何らかの結論めいた言明を避けているようでもある.いずれにせよフォーク定理は「均衡がある」こと自体を示すもので,どのようにそれが実現できるかについては何も語っていない.次節以降ではフォーカスはその部分に移る.

*1:なおこのフォーク定理についてちょっと調べてみると.これはフォークさんが証明した定理ではなく,誰もが当然と思っていたが誰も証明していなかった定理なので民間伝承定理folklore theoremと呼ばれており,省略してfolk theoremつまりフォーク定理と呼ばれるようになったということだそうだ.これが経済学で教えられるようになるのは1990年代以降ということらしい.