協力する種 その24

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第6章 祖先人類の社会 その2

6.1 我々の祖先はコスモポリタンだった

ここでは人類の進化環境が,第4章の(正統的な進化生物学用語の血縁淘汰と数理的に等価である)マルチレベル淘汰が成立するような状況だったのかどうかの吟味を行っていくことになる.著者たちはまずバンドサイズがかなり小さかっただろうことを指摘し,しかし複数のバンドの結合や交流を考えるとバンドの規模は大して重要ではないとする.そして意味あるのは単純平均ではなく,何人の隣人を持つかの平均(つまり集団サイズで重み付けしてから平均する形に近くなる)だとする.
ここから著者たちは以下のような議論を行っている.

  • フランク・マーロウは現代の狩猟採集民のデータからバンドの平均サイズを37とした.ここから集団規模に応じた重み付け平均を計算すると77となる.さらに後期更新世にはこのデータにはない大きな集団があったと考えられることからこれは過小評価だろう.
  • さらに交易による結びつきははるかに大きい.現代の狩猟採集民の交易範囲は何十キロの範囲で何千人にもなる.こういう環境では相互作用が長期に繰り返されるか1回限りかを区別できない人間は適応度上不利だっただろう.
  • 狩猟採集社会の人口統計データは,人口増加が潜在成長率を大きく下回っていたことを示している.これは紛争や環境変動による破滅的な大量死があったことで説明できる.
  • 高い死亡率,頻繁な人口の激減と拡大という環境では(時間割引率が大きく)2者間における互恵的利他性の進化すら困難だ.


突っ込みどころはいくつかある.まず大きな交易市場では,相互作用が繰り返しか1回限りを区別することが重要だと著者たちは考えているがそうであろうか.このような交易市場では市場自体は長く続くもので,取引相手から見た自分の評判は非常に重要だと考える方が自然ではないだろうか.1回限りの相手を騙そうと行動することが成功に結びつくとはとても思えない.もう一つ高い死亡率があると2者間の直接互恵的利他性の進化すら困難としているが,これも疑問だ.いくら高い死亡率といっても個人の期待平均余命が数週間のような短い期間になるはずがない.現代の半分だとしても2者間の直接互恵的行動が生じるには十分だろう.

6.2 遺伝的な証拠

次は遺伝的なデータだ.ここではいくつかの現代の狩猟採集民族の集団のFSTが表にして掲載されている.大体0.05〜0.15ぐらいの数字になっている.ここで著者たちは集団遺伝学の基礎を少し解説している.そののちこう議論を進める.

  • ある程度の遺伝的分化が見られるが,もし小集団で孤立していたなら分化はこれより相当大きかったはずだ.祖先集団はかなり流動的だったと考えられる.
  • アボリジニ社会の詳細な研究からは狩猟採集社会の集団は長距離を旅し,しばしば交易のために他集団と接触し,成員の交換も行われることがわかっている.これ以外に遠隔地との交易や移住,季節的な大集団形成もある.これらを考慮に入れると,集団レベルの協力が互恵的利他性によって進化した可能性は低い.
  • 遺伝的分化の数字は理想的な人口構造モデルでは中程度の集団サイズと移住率を想定したものに近い.繁殖の偏り,人口変動,移動の偏りなどを考慮に入れると,理想的モデルから計算されるよりも集団規模や移住率はかなり大きかった(2〜3倍)だろうと想定できる.
  • これらは集団に属するメンバーが互いに近親ではないことを示している.これは血縁淘汰モデル*1の妥当性が低いことを示している.
  • アチェ族のバンド内成員の平均血縁度はr=0.054にすぎなかった.またFSTから推測された集団サイズはかなり大きい.これらはマルチレベル淘汰でも協力の進化が生じにくいことを示している.進化が生じるには非常に高いb/cの状況が必要になる.


これは血縁淘汰(等価であるマルチレベル淘汰を含む)が利他性の進化の1つの要因だろうと考えている論者にとってもある程度納得できる状況だ.実際に私たちは内集団のメンバーに対して無条件の(自らにコストのかかる)協力をしたりはしない.基本的に血縁淘汰や(数理的に等価な)マルチレベル淘汰だけでヒトの利他性を完全に説明することは困難なのだ.しかし著者たちはこれであきらめたりはしない.

6.3 先史時代の闘争

著者たちは桁違いのb/cが生じる状況として部族間戦争を挙げる.そしてそれを生みだす集団間葛藤,想定される死亡率等の議論を行う.

  • 後期更新世に深刻な集団間葛藤があったかなかったかについて,文字資料がないこと,考古学的資料も少ないことなどから,専門家の意見は一致していない.
  • その中で戦争について報告している考古学資料を集め,8つの民族誌的資料,15の考古学的資料からなるデータセットを作った.この分析の結果は先史時代には致死的な戦争が頻繁に生じていたという見解と一致する.(ここではいろいろと詳細が説明されている)
  • この集団間葛藤がもたらす死亡率を量的に推定するのは難しい.ただしいくつかの資料においては,総死亡の中の戦争による死亡の割合を推定できる.(一覧表になっていて0.00〜0.46まで様々な数字がある)
  • これはボームによる「更新世の終わりに現生人類が出現した後は集団の絶滅率は劇的に増加しただろう」というボームの推測と整合的である.


このあたりはいろいろな議論があるところだろう.ピンカーの「暴力の人類史」でも採り上げられている.基本的に農業革命とそれによる国家の成立前の先史時代には,部族間紛争が頻繁にあり,適応度上も重要だったという指摘にはそれほど違和感がないところだ.

*1:ここでは『血縁に基づく淘汰』という用語を使っていない.これは解説にあった用語使用の揺れの問題だろう