「美の起源」


本書は共立スマートセレクションの1冊.「動物の認知から美を考える」というちょっと変わったテーマに関する本だ.著者はこのテーマについて長年リサーチしている比較認知科学者の渡辺茂.リサーチはいろいろな視点からなされていて,本書は基本的にその視点ごとに章立てがなされている.

第1章 経験科学としての美学の成り立ち

第1章は導入章として「美学」についての概説となる.著者は美学は「なぜある絵を美しいと感じるか」を考えようという学問であるとしている.そしてアレクザンダー・バウムガルテンから始まる学説史も簡単に紹介されていて,私のような門外漢には参考になるし,読んでいてちょっと面白い.

  • バウムガルテンは,18世紀の半ばに,人間の論理的認識と感性的認識を区分し,美学は感性的認識の方法論であり,論理より下位のものとし,そして何が美しいかという感覚は生得的であるとした.(合理主義的立場*1
  • 一方経験主義の伝統の強い英米では,美は生まれてからの経験によって形成されるという考え方(経験主義的立場)が主流だった.エドモンド・バークはこの立場から(それまで対称性とか均衡から議論されていた)美について「崇高性」の概念を打ち出した.
  • 大陸ではカントが同じく崇高性の概念を打ち出した.カントは認識論においては合理主義と経験主義の統合を成し遂げたとされているが,美学については経験主義の立場を採ったことになる.
  • 経験主義の立場を突き詰めると美は個人によって異なることになるが,実際には多くの人の感覚は共通している.これは美は「社会的構築物」であるという考え方につながる.英国経験主義ではこの「社会」はコモンセンスということになるが,カントは「世界市民社会」という理想化された観念としての「社会」を考えた.
  • マルクス主義に基づく唯物史観的美学も存在する.対象としての美と美意識の相互作用を強調するという特徴を持つ.
  • 美を経験科学の対象とする試みはドイツのグスタフ・フェフナーから始まる.彼は閾値の測定を行い,心理物理関数と呼ばれる感覚の強さと刺激の強さの関係を明らかにした.これは心理学を経験科学へと変化させる重要な一歩だと評価できる.美については,物理的次元がはっきりしないが,フェフナーは測定可能だという立場を採った.これは精神界と物質界の関係を数式で表そうという試みであり,今日的に見るとオカルト的である.
  • ダニエル・バーラインは20世紀後半の行動主義全盛時代に「美を行動を通して測定する」ことに取り組み,動物の美の研究に道を開いた.それは「快」の感覚を前提として鑑賞時間等を測定するという方法論であり,「快」が適応性を教えるシグナルであるとする進化的な視点と整合的であった.
  • 現在ではこの流れから,進化美学(美を適応の視点から考える),神経美学(美を神経生理学的に分析する),統計美学(美のスタイルを測定する),分析美学(美の批評などの言語分析を行う)などの分野が生まれている.

第2章 美の進化的起源

第2章は「美」とは何かを考察する章になる.まず美の定義にはいろいろあることが,哲学者のクラスター基準や脳科学者の法則探求などの話を交えて楽しく紹介されている.著者は,それは主観的判断だが,ある程度普遍性,そして生得性を持ち,さらに社会的構築物という側面もあって,言語や道徳に近いのではないかと書いている.するとこれは淘汰産物という議論になる.
ここで著者は「ヒトは生得的にサバンナにあるような水辺に草原があり大きく枝を広げた樹木があるような景色を好ましいと感じる」という仮説(サバンナ仮説*2),ピンカーの芸術に関するチーズケーキ説などの進化心理学的な考え方を紹介しているが,やや懐疑的な紹介振りになっている.そこからより一般的に生物の美について考察を広げ,性淘汰産物としての美について,ダーウィンとウォレスの論争,ザハヴィのハンディキャップ説,ミラーのヒトの芸術についての性淘汰仮説,ランナウェイ仮説*3などを紹介する.ただこれ以上深く考察することは避けている.本章の結論は「美のうちのいくつかの側面は進化的に説明できるが,美のすべてを進化によって説明することはできない」という(私のような読者にとっては)ややものたりないものだ.

第3章 美の神経科

ここでは至近的なメカニズムがテーマになる.まずいわゆる脳内報酬系の説明.ドーパミン系,内因性モルヒネ系,内因性カンナビノイド系があつかわれている.続いて機能的脳画像からわかることの解説.具象画と抽象画では活性部位が異なるなどの話が紹介されている.また美しさについては内側眼窩前頭皮質がかなり普遍的に活性を見せる*4こと,しかし崇高性の感覚は異なる部位の活性になること,絵画の付属情報は別の経路で処理されていること,脳損傷事例(損傷による機能促進,画風の変化などが扱われている)などが紹介されている.これまでにわかっていることの概要ということだろう.

第4章 動物たちの芸術的活動

ここからは楽しい動物の話.まず動物の作る美しい構築物として鳥の巣が採り上げられる.ハタオリドリやオキナインコの巣の図は結構手が込んでいる.次にニワシドリのアズマヤ,そして鳴禽の音楽的なさえずりが扱われる.

ここで著者はこれが芸術に近いかどうかについて「機能的自律性」(芸術のための芸術という側面があるか)を重視する立場を表明する.それは機能的自律性があれば,その産物そのものが「強化」になるからだということになる.ちょっとよくわからないところだが,何らかの正のフィードバックがあるとより複雑で精妙なものができやすくなるからそこに特に着目するということなのだろうか.

第5章 動物に芸術を教えられるか

最初にネコの引っ掻いた絵*5が前振りされ,次にチンパンジーに絵を描かせようとした試みが紹介される.チンパンジーは単に殴り描きだけでなく,一定の様式や規則性も持った絵を描けるようになる.これらのリサーチではチンパンジーは「自発的に」絵を描くとされている.著者は餌などの別の報酬の強化があった可能性について慎重に検討し,その上でここには機能的自律性の可能性があると評価している.ただしチンパンジーは完成した作品に執着することはないそうだ.これは作品自体が報酬にならないということで,著者はヒトの芸術活動とは大きく異なる点だと考えているようだ.
次はゾウの絵.しかしこれは象使いが描かせているとして著者はその「芸術性」について否定的だ.続いて鳥による音楽に合わせるダンスが採り上げられている.ここも著者は音声模倣の副産物だろうとその「芸術性」について否定的だ.

第6章 動物はヒトの芸術を見分けられるか

ここは美学というより動物のパターン認識能力の話題.最初はハト.ハトは白黒写真と輪郭線のみを描いた線画に対してかなり異なった認知を行う.写真については現物と対応できるが(視覚カテゴリーを持って般化・弁別できる),線画は現実世界と異なるものとして認知している.では絵画の画風を見分けられるのか.ハトは初見でピカソとモネを識別し,訓練を重ねるとキュビズム印象派,さらには日本絵画と西洋絵画,パステル画と水彩画を区別できるようになる.しかも画面を分割してスクランブルにしても弁別を維持する.これは絵の部分的な特徴について単一の手がかりでなくいろいろな情報を総合判断していることを示唆している.では夜行性の動物ではどうかということで,次はネズミだ.やってみるとネズミもカンディンスキーモンドリアンの区別ができるようになる.
ここまでやっておいて,ではハトは上手な絵と下手な絵を区別できるか.するとこれもできるようになるのだ.しかし画風とは異なって色情報にかなり依存し,白黒にするとできなくなる.またスクランブルでもできなくなる.上手下手の認知は画風認知とは異なる仕組みによっていることになる.
ここではこのほかの音楽も扱っている.ラットがバッハとストラヴィンスキーを弁別できること,ブンチョウがバッハとシェーンベルクを弁別できる*6こと,さらにヒトの言語のプロソディも聞き分けできること,さらにキンギョでも(訓練時間が非常にかかるが)バッハの「トッカータとフーガ」とストラヴィンスキーの「春の祭典」の弁別ができる(ただし般化はできない)ことなどが紹介されている.

ハトの画風弁別実験は,報道されてかなり有名になったものだが,詳細はなかなか面白い.

第7章 動物はヒトの芸術を楽しむか

章題は「楽しむか」となっているが,ここではどのような刺激が動物に強化効果があるかが扱われる.ブンチョウがどの絵の前でより時間を過ごすかを調べると,個体差が生じる(傾向としては印象派よりキュビズムの方が好きなようだ).マウスにはほとんど好みがない.
音楽がラットの迷路学習時間を短縮させるかどうかについては肯定と否定の両方の実験結果が報告されている.餌を出すキーと音楽を関連づけて調べてみると,ハトにもラットにもキンギョにもバッハとストラヴィンスキーについて好みはないようだ.しかしブンチョウには個体差はあるが,シェーンベルクよりバッハを好む傾向がある.著者は音楽についての好みはヒトと鳴鳥にのみ見つかったことから,複雑な聴覚コミュニケーションと関連があるのではないかと推測するようになった.実際に(やはり聴覚コミュニケーションを行う)デグーチンパンジーには一部音楽への好みが見られる.

第8章 洞窟絵画の謎

第8章はヒトの芸術の起源の話.様々な洞窟絵画や岩絵,なぜ洞窟絵画が描かれたのかに関する様々な仮説が紹介されている.著者は(おそらく性淘汰的なシグナルとしての)ボディ・ペインティングから洞窟絵画,そして絵画へという道筋を描き,まず(性淘汰に起源を持つ)美意識,そして美の強化効果がこのような進展を可能にしたのだろうと推測して本書を終えている.

本書は著者による様々なリサーチや考察を一冊にまとめたもので,一貫した叙述の流れがあるわけではないが,様々なテーマが取り扱われていて読んでいて退屈しない.その中で本書の最大の魅力は著者自身が行った比較認知科学の様々な詳細の知見だろう.そしてこれを統合する試みはおぼろげに示唆されるにとどまっている.個人的には性淘汰との関連をより深掘りして欲しかったようにも感じるが,著者としてはそこはやや留保したい,そしてより深い解明は今後のこの分野の進展を待つべきところということになるだろう.いずれにせよあまり類書のない面白い一冊だ.


関連書籍


オリアンズによる環境や絵画の好みに関するサバンナ仮説に関する本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140525

Snakes, Sunrises, and Shakespeare: How Evolution Shapes Our Loves and Fears

Snakes, Sunrises, and Shakespeare: How Evolution Shapes Our Loves and Fears


ダットンによるヒトの美的感覚の進化に関する本.

The Art Instinct: Beauty, Pleasure, & Human Evolution

The Art Instinct: Beauty, Pleasure, & Human Evolution

*1:なぜ美的感覚が生得的と考えることが合理主義なのかについての解説はない

*2:私の認識ではこれはオリアンズとへーワーゲンにより1990年代に提唱された仮説だが,渡辺は2009年の本を引いてダットンの説だと紹介している.

*3:突っ走り仮説という耳慣れない訳語を用いている.なおここでは現代アートの難解さをランナウェイの表れではないかと解釈しようとしているが,もしその解釈が性淘汰におけるものなら,現代アートが通常の人々にとって審美的に難解である理由を説明できずに疑問だ.あるいは著者は現代アーティストと現代アート周りの批評家の間だけのランナウェイを考えているのかもしれない.それならばピンカーによる「芸術家がヒトの本性を誤解して難解な理論に傾注してしまったため」という考え方と整合的で当たっているだろう.

*4:美しい数式についての数学者の反応にもみられるそうだ.ここでの美しい数式にはオイラーの等式が選ばれている.同じ部位は道徳的に正しいという感覚でも活性化されるそうだ

*5:ネコの描いた絵を集めた画集もあるそうだ

*6:これは協和音と不協和音の聞き分けによるようだ