協力する種 その30

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第7章 制度と協力の共進化 その5

7.6 制度の利他性の共進化

ここでは,ここまでの彼等の議論,つまり戦争によるグループ間淘汰を強調し密度依存効果を入れ込んだマルチレベル淘汰モデルによる利他性進化の結論をもう一度強調する.

  • データから明らかなのは,様々な集団と様々なパラメータの妥当な値に対して,その遺伝的分化度は,ごく稀に闘争が起きれば非常にコストのかかる利他性が進化する程度に十分に大きな値である.
  • また繁殖均等化があれば,利他性進化の条件はより緩くなる.


そしてここから「遺伝子と制度の共進化」についてのモデル化の説明が始まる.
最初に解析方法について断りがある.彼等のモデルは個体とグループの2段階で,制度と遺伝子の共進化を扱うために,単純なプライス方程式による解析は行えない.だから基本的にシミュレーションにより解析を進めることになる.これはグループ内,グループ間の淘汰の大きさが制度進化自体により影響を受けるために,このダイナミズムがカオスを含む複雑系になるからだということだろう.


次に前提が整理される

  • グループ内では似たタイプ同士がより高頻度で相互作用を行う傾向があることをモデルに導入する.(これによりペア形成はランダムではなくなり「区分化」される)
  • この区分化の程度はζで表す.ζjはグループjの区分化の程度を表す.A個体がグループ内のA個体から利益を得る確率はpjではなく,ζj+(1-ζj)pjになる.これにより同じグループにあるNとAの利得の差はcではなくc-ζjbに減少する.
  • これは繁殖均等化と同じように利他性の進化条件を緩和する.(もしζj>c/bであればグループ内ではAはNより有利になる.ここでは利他性の進化を考察するためにζj < c/bを仮定する)
  • 区分化は文化的に伝達される慣習であるとする.
  • 繁殖均等化もモデルに含める.これによりあるグループ内のNとAの利得の差は(1-τr)(c-ζjb)となる.
  • ζとτrはグループ間で異なり,それらはグループの生存率の差に起因する淘汰圧を受けて進化する.
  • グループ間の闘争の勝敗はそのグループの利得の総和により決まる.
  • 制度は確率的な変動を受ける.
  • 区分化が進む事による「多様性減少によるコスト」,繁殖均等化が進む事による「資源獲得動機の減少によるコスト」も勘案する.(正式なモデル化はしないが,ζやτrの大きめの数字についてはそのグループの平均利得を減少させる形で考慮する*1


前節のモデルではグループ内の利他者の頻度により勝敗が決まることになっていたが,ここではグループ内総利得により決まることに変更していることに注意が必要だ.前節モデルでは「自己犠牲的行動を取る兵士の多い軍隊の方が勝ちやすい」というロジックだったのが,「グループ内総生産が大きい方が勝ちやすい」というロジックにすり替わっている.
また「区分化」はまさに正の同類性を増大させるものであり,包括適応度理論的には血縁度の上昇を意味する.単に同じタイプの相互作用確率を増加させるだけでなく,その程度がグループ間淘汰の影響を受けるようにしているところが著者たちのモデルのポイントになるということだろう.要するに利他者が利他者と相互作用しやすいという「区分化」文化程度は確率的に変動し,たまたまそれが高いグループの利他者頻度が高いとグループ内総利得が増加して戦争に勝ちやすくなり,それを通じて高い「区分化」文化が広まっていくという過程を考えているということになる.

7.7 遺伝子と分化の共進化をシミュレートする

この節ではシミュレーションの様子が解説されている.
いろいろダイナミズムが詳しく説明されているが,典型的なカオス的な挙動が見て取れる.
またζやτrの与える影響については,予想通り初期値をともにゼロにすると利他性が進化しにくくなる.また利他者頻度pが低いままの場合には,これも(pが高くないと繁殖均等化や区分化自体が戦争で有利にならないため)予想通り制度が進化しにくくなる.
このほか様々なパラメータの値がどのように影響を与えるかについても図示されている.いずれもおおむね予想通りの結果という印象だ.

7.8 均等化と戦士

ここからシミュレーションを踏まえた考察がなされている.

  • 我々がモデルに組み込んだ諸条件(遺伝的分化度,戦争,その他の条件)は,少なくともある初期人類の集団には存在しただろう.
  • 繁殖均等化や区分化などの制度が集団中に広がるのは利他性の進化に貢献するからだ.それらの制度にコストがあってもグループ間淘汰によって利他性と共進化できることをシミュレーションは示している.
  • このような制度がない場合には利他性の進化条件は非常に厳しくなる.
  • この過程で特に重要なのは,区分化や繁殖均等化の制度は(自己利益中心的な個体の最適反応を前提にしているので)利他的選好が事前に存在していることを必要としない点だ.(最初は)小数のグループにおいてそれにに従わないものは直接互恵や間接互恵により不利を受けるという状況があればいい.そして一旦(最適反応としての)規範が確立してしまえばグループが大きくなってもそれは保たれる.ある種の食物共有はそういう形で説明できそうだ.
  • この推論は想像上のものに過ぎないが,後期更新世の物理的社会的環境はこの共進化を可能にするパラメータ領域上にありそうだ.そうであればマルチレベル淘汰モデルは,少なくとも部分的にはこの重要な時期の遺伝子と分化の共進化を説明できるだろう.
  • モデルの結果は制度化された資源共有,グループ内の同類性,グループ間闘争が原因となって生みだされている.だからヒトに特有の認知的言語的あるいは他の能力がこの過程において重要な役割を果たしていたことが示唆される.(だから他の動物では起こりにくかっただろう,しかしいくつかの動物においてはこのモデルの適用が可能かもしれない)


私の感想は以下の通り.

  • まず利他性の頻度が高い方が戦争に勝ちやすいという前提には引き続き大きく疑問符がつく.少なくとも著者たちはこの前提について何ら深い吟味を行っていない.この節のシミュレーションの前提となっている「グループ内の総生産」が重要だとしても,それは相利的な状況における協力の推進,分業,交易,市場などによって大きく決まるのではないだろうか.
  • 戦争に勝ちやすいかどうかは利他戦士の頻度や総生産だけでなく,軍事技術,軍事的戦略,強いリーダーシップ,残虐な規律のある軍隊に大きく依存するだろう.戦争が利他性進化にとっての大きな淘汰圧だという議論には賛成できない.
  • 制度が最適反応系だというのは著者たちの前提であって事実がそうであるかどうかについてはやはり吟味が必要だろう.一旦少人数の罰システムにおいて食物共有が規範として成立したからといって,大人数になって罰システムが機能しなくなれば,それはもはや最適反応系とは言えなくなる.そして著者たちは食物共有を非常に重要視して強調しているが,では何故それ以外のリソースの共有システムはほとんど見られないのかについて全く説明できていないのではないかと思われる.
  • またこの戦争淘汰圧による利他性進化シナリオでは,進化する利他性は100人前後の集団に対する自己犠牲的な勇敢さということになるが,実際にそういう利他性がヒトにあるようには思えない.まず戦争などで見られる「戦友のためなら自分の死もいとわない」(手榴弾の上に伏せるなど)様な自己犠牲的かつ勇敢な行動は,「自分の背中を預けられる」様な絆を持った数人程度の少数の仲間間でしか見られない.ハイトのいうミツバチスイッチ(スポーツにおいて自分のひいきチームや母校を熱狂的に応援するような気分)はもう少し大きなグループで見られるが,これは自己犠牲的な利他性というより相利的な協力推進と見る方が実態に近いだろう.
  • 彼等はここまでに血縁淘汰を否定する際に,赤の他人に対して手をさしのべるタイプの利他行為を問題にしていたが,これと戦いのなかでの自己犠牲的な勇敢さはそもそも異なるものではないのだろうか.要するに彼等は進化する「利他性」についてかなり広い一般化したものを想定し,それが様々な局面に大きな影響を持つと考えているのだろう.しかし進化する心理モジュールはもっと狭い条件依存的特定的なものだろう.これはどのような心理的特徴が進化によって実装されうるかという点における著者たちのスロッピーさを示しているのだろう.仮に自己犠牲的勇敢さが戦争によって説明できるとしてもそもそも彼等が問題にしている「社会的選好」を説明できるようには思えない.
  • この点は著者たちの議論のダブルスタンダード性もよく示しているように思う.著者たちは「一回限りの相手や見知らぬ他人にも親切にする様な利他性が観察されるから血縁淘汰や直接互恵性の説明は当たらない」と主張する.しかしその議論をひっくり返すと,「そのような大きなグループのために無条件に命を差し出すようなことは観察されないので著者たちのマルチレベル淘汰の説明は当たらない」ということになるだろう.
  • また別の論点としては,もしこのようなシナリオで利他性が進化するなら,先史時代の戦士はほぼ全員が男性であったので,利他性について大きな性差が観察されるはずだが,そうはなっていない.
  • さらに,このような形で制度と遺伝子が共進化したのなら,異なる制度の下では異なる利他性があるということになる.これは利他性についてのヒューマンユニバーサルを否定することになるが著者たちはそう考えているのだろうか.あるいは後期更新世において(出アフリカ前に)特定の制度文化を持った集団がすべての人類集団を皆殺しにして,その制度とそのグループの子孫のみが残った結果であり,その後は一切制度と遺伝子は共進化しなくなったという主張なのだろうか.いずれにせよこの制度と遺伝子の共進化を,現在のヒトの本性のユニバーサルな性質を与えた主要因と考えるのはハードルが高いだろう.

*1:なぜ正式のモデル化しないのかについては解説がない.具体的にどう考慮しているのかがわからず,なぜモデル化しないのかも含め,はっきり言って意味不明だ