「したたかな寄生」


本書は感染症や癌などについての医療研究者である成田聡子による「パラサイトによるホスト操作」に関する一般向けの紹介書だ.様々なホスト操作の例を次々に紹介し,最後にヒトが何らかの操作を受けている可能性,そしてヒトの腸内細菌による行動特性への影響というちょっとコワい話をおいている.


このパラサイトによるホスト操作という現象が注目を集めるようになったのは1980年代以降になる.それまでの「寄生体はホストと運命共同体なのだから,進化的にはホストにとって無害化していくだろう」というナイーブな考えが実は間違いであるということが認識されはじめ,数理モデルが現れ,病原体の毒性の進化が議論されるようになり,片方で性淘汰のハミルトン=ズック説に触発された研究者たちはその仮説の検証もふくめ寄生現象に夢中になった.パラサイトとホストの利害が相反する状況下であればそこにはコンフリクトが生じ,パラサイトはホストを自分の利益のために操作するように淘汰圧を受ける.これは後から考えてみると当たり前だったが当時は結構衝撃的に受け止められた.その際のシンボルというべきスターがカタツムリの眼の中でシマシマ模様を動かすロイコクロリディウムだった.この動画のインパクトは大きかった.


本書でも冒頭にこのロイコクロリディウムを登場させ,読者の興味を一気に引きつけることをもくろんでいる.著者はそこからドーキンスの「延長された表現型」の考え方を紹介し,ホスト操作はパラサイトの「延長された表現型」としてみることもできることを簡単に解説する.ここで寄生に関連した様々な概念を整理(相利共生,片利共生,片害共生,寄生,全寄生(完全寄生),半寄生,死物寄生,活物寄生などが整理されている.)し,その上で動物界に見られる様々な「パラサイトによるホスト操作」の例を紹介することになる.有名どころのハリガネムシとカマドウマ,ディクロコエリウムとアリ,フクロムシカニ,奴隷アリ,托卵鳥*1などの例が次々と紹介される.通読していくと中間ホストから最終ホストへの移動のための行動操作や去勢によるホストの栄養的な健康増進などが広く見られることがわかる.ここでは個人的に興味深かったところをいくつか紹介しよう.

  • エメラルドゴキブリバチは,胸部神経節に毒を注入して前翅を麻痺させた後に逃避反射神経細胞に毒を注入し,さらに触角を半分かみ切る.これにより触角を手綱のように操ってゴキブリをハチの巣穴まで歩かせることができるようになる.
  • ブードゥーワスプと呼ばれる寄生バチはシャクガのイモムシに産卵するが,このイモムシは80匹もの幼虫に生きたまま身体を食べられ,その後自分の身体から出ていって蛹になった幼虫たちを天敵から守る行動をとる.(行動制御方法はわかっていないが,何匹か体内に残った幼虫がその兄弟の利益になるようにイモムシを操作している可能性があるとされている)
  • テントウハラボソコマユバチはテントウムシに寄生する.テントウムシは先ほどのシャクガのイモムシと同様に自分の身体を喰った幼虫が体外に出て蛹になったときに防御行動をとる様に脳に感染するウィルスにより操作される.
  • ディクロコエリウムは中間ホストのアリを草の葉のてっぺんに誘導して最終ホストのウシに食べさせようと操作することで有名だが,一晩食べられなかった場合には,一旦洗脳を解き地面に戻して餌を食べさせ,また夕方から行動操作を再開する.
  • 2種のブラインシュリンプと1種のサナダムシと2種の微胞子虫は複雑な寄生系を形成している.サナダムシ,微胞子虫ともにホストに群れを作らせる操作を行うが,この場合操作が最終ホストであるフラミンゴへの移動を容易にする効果と他のパラサイトとの重複感染を引き起こす効果を持つ.(どのような進化動態が生じるのかまでの解説はない)
  • リベイロイアはカタツムリ,カエル,鳥とホストを乗り換える.カタツムリからオタマジャクシに乗り移ったリベイロイアは後にカエルの手足になっていく細胞に寄生し,カエルの手足に奇形を生じさせ,遊泳能力を下げて鳥に食べられやすくする.


この後に本書は著者の専門分野であるヒトの感染症にかかる部分に踏み込んでいく.

  • 狂犬病ウィルスはほぼすべての哺乳類に感染する.清浄国は日本を含めて世界で10カ国ほどしかない.ヒトに感染した場合に,10日から数年程度で発病する.一旦発病した場合の治療方法はなく致死率は100%という恐ろしい病気である.また感染しているかどうかの検査方法もない.ヒトへの感染源は圧倒的にイヌが多いが,ネコ,キツネ,アライグマ,スカンク,コウモリなども感染源になる.感染は口腔で噛まれることにより生じ,筋肉から神経に侵入し,脊髄,脳に達し,爆発的に増殖しホストの行動を凶暴化させる(これにより感染が容易になる).猫エイズもかみ傷から感染し,やはりホストのネコをより攻撃的にさせる.
  • マラリア原虫はハマダラカの唾液の成分を操作し,血を吸い上げにくくする.これによりカは吸血頻度を上げる様に操作される.リーシュマニア原虫もサシチョウバエを操作し吸血頻度を上昇させる.ペスト菌もノミに対して同じ様な操作を行う.


ここでヒトの腸内細菌についての解説がある.これがそのまま適応的なホスト操作かどうかははっきりしないが.これも最近いろいろわかってきて面白い部分だ.

  • 腸管は異物と体内組織が触れあう最前線であり,リンパ球が多く集まりバイエル版というリンパ組織を形成しているなど,実は体内で最も重要で最も大きな免疫器官だ.腸管神経系は,腸とそこに棲む微生物からの信号を受けて下痢や嘔吐反応を引き起こし,セロトニンドーパミンなどの神経伝達物質も多く合成している.これにより腸や腸内細菌がヒトの気分や感情や人格に影響を与えていることがわかってきた.
  • 腸内細菌は大きく,善玉菌(乳酸菌,ビフィズス菌など),悪玉菌(ウェルシュ菌ブドウ球菌大腸菌毒性株など),日和見菌と分けることができる.この種類や割合は個人によって大きく異なる.
  • 善玉菌(プロバイオティクス)を多く含む食品(ヨーグルトなど)を採ることにより健康に役立つのではないかということが言われており,不安や恐怖やストレスに関係するという報告がある.
  • 腸内細菌と自閉症の症状の強さ,学習・記憶などの能力,攻撃性との関連も調べられており,様々な影響が報告されている.


最後はネコ好きの人には気になるトキソプラズマの話.現在日本人の感染比率は10%前後らしい.

  • トキソプラズマは中間ホストのネズミなどの行動を最終ホストであるネコ類に食べられやすくなるように操作している(基本的に大胆不敵になる).これは免疫細胞に潜り込んで脳内に移動しドーパミン合成に関与することによって行っているらしい.
  • ヒトの行動にも影響を与えている可能性がある.感染していると交通事故のリスクが2.65倍に増えるという報告がある.これは反応時間が遅くなるために生じているらしい.
  • 性格の影響を調べた結果によると,男性は集中力の欠如,危険行動,独断的,猜疑的,嫉妬深くなる傾向が,女性では社会的,友好的になり,自信が増し,感受性や愛情が豊かになる傾向があり,男女共通しては不安,罪悪感,自己批判的な傾向が強くなる傾向があると報告されている.(なぜ性差が生じるかについては解説がない,まだわかっていないのだろう)
  • また感染してる方が,統合失調症がある場合の症状がより重篤になるとの報告もある.

腸内細菌やトキソプラズマの影響はまだまだわかりはじめたばかりなので今後のリサーチの進展も楽しみなところだ.



本書は楽しく興味深い動物の物語から,一転して恐ろしい感染症,腸内細菌にあるとわかってきた思ってもみない深い影響といくつものテーマに渡り一般の読者にとって興味深いと思われる最新の内容を扱っていて,一気に楽しく読める本に仕上がっている.まさに新書に期待される通りの内容で,誰にでも推薦できる一冊だ.


関連書籍


パラサイトによるホスト操作に関する専門書.トキソプラズマについても詳しい.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140914

Host Manipulation by Parasites

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ドーキンスの「延長された表現型」

延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子

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なおしばらく多忙になりますので,本ブログは2週間ほど更新を停止する予定です.


 

*1:カッコウの紹介のところで,カッコウのオスの「カッコウ」という鳴き声はメスにホストが巣を留守にすることを知らせている合図だと解説している.カッコウはつがいで子育てするわけでもないのに交尾後のオスとメスが協力しているというのは本当だろうか.デイビスカッコウ本ではカッコウのメスがホストの巣に卵を産み込むくだりが詳細に書かれているが,このオスのシグナルについては触れていない.ここで托卵に関連してあげられている論文は3つあるが主に共進化を扱っていてオスの鳴き声についての出典ははっきりしない.これはもう少し調べてみたいところだ