「進化心理学を学びたいあなたへ」 その10

 

第4章 意思決定と組織陰影を進化から考える その1

 

4.1 ヒューリスティックス:不確実な世界を生き抜く意思決定の法法 ゲルト・ギゲレンツァー

 
最初はトヴェルスキーと認知バイアスの限定合理性や生態学的妥当性を巡って激烈な論争をしたことで知られるギゲレンツァー.意思決定やヒューリスティックスをリサーチエリアにしており,一般向けの本も数多く出している.

  • ヒトの行動についての進化的なアプローチは(1)意思決定の基盤になる至近的メカニズムは何か(2)行動はどのような至近的メカニズムと環境により生じるのか,という2つの問いを重要視する.ここでは自然淘汰の産物であるこの至近メカニズムがわずかな情報だけを用いて残りを無視する「迅速で簡易なヒューリスティックス」であることを説明する.
  • 自然淘汰が創り出す意思決定メカニズムは,クジャクのメスが,よってくるオスの中の3~4羽のみを注目し,最終的にオスの羽根の目玉模様の数だけで1羽に絞り込むように*1驚くほどシンプルで効率的だ.これは古典的な意思決定理論による方法(すべての選択肢について関連するすべての特徴を重み付けし,期待効用最大選択肢を選ぶ)とは大きく異なるものだ.
  • 同じことがヒトの意思決定についても言える.多くの経営者は,例えば顧客にカタログ送付を続けるかどうかを決めるのにすべての顧客情報を利用して期待効用最大化アルゴリズムを求めようとせず,しばしばたった1つの手がかり(過去9ヶ月の間に買い物したかどうか)だけを用いる「中断ヒューリスティック」を用いる.そして検証してみるとこの中断ヒューリスティックは平均して複雑な合理的モデルよりも予測力が優れている.つまりヒューリスティックは非合理的でも次善の策でもなく,ヒトや動物が多くの手がかりを無視するには理由があることを示している.
  • ヒューリスティックスの科学には2つの問いがある.1つは「ヒトにはどのようなヒューリスティックスがあるか」という記述的なものだ.もう1つは「ある問題に対して最も優れているのはどのヒューリスティックスリスティックか」という規範的問いであり,これは生態学的妥当性を問うものだ.
  • 初期の研究ではカーネマンやトヴェルスキーに見られるような「ヒューリスティックスがヒューマンエラーの原因である」という解釈が主流だった.しかし今では,この解釈は誤りであり,不確実な世界で優れた意思決定を下すさには関連情報の一部を無視する方がいいことがわかっている.この頑健性の数理的根拠は統計学におけるバイアスと分散のジレンマや生態学的合理性によって説明できる.
  • これまで行動については内的要因が重視されてきたが,行動は内的要因と外的環境要因の2つの帰結だと考えるべきだ.例えば多数派模倣やしっぺ返しのようなヒューリスティックルールもそれに従うかどうかは仲間や相手の行動に依存する.そう考えると道徳もヒューリスティックスから起源するかも知れないし,同一人物の道徳的非一貫性も説明可能になる.
  • このようなアプローチの有効性の例として,まれにしかない病気の検査結果の解釈問題を取り上げよう.医者も含めた多くの人はうまく事前確率を組み入れたベイズ推定を行うことができない.内的要因だけを考えるアプローチでは「ヒトは確率情報をうまく扱えない」とあきらめるしかなくなる.外的要因も考えて判断をフレーミングとの交互作用としてとらえると,進化的に新奇な確率情報ではなく頻度情報を用いればより正しい解釈にたどりつきやすいのではないかと考えることができる.そして実際に頻度情報で与えた方が正答率が向上する.この知見は医者や裁判官のトレーニングにも取り入れられ始めている.


ギゲレンツァーはストレートに「単純なヒューリスティックの方が予測力が優れている」と言い切っており,これは前提条件抜きではやや受け入れがたい印象だ.トヴェルスキーとの論争のきっかけがこのような言い回しだったのなら,トヴェルスキーが激高したのも少し理解できる.一般的には正確な情報収集,計算にかかる能力やコストや時間の制限から(複雑なモデルによる期待効用最大アルゴリズムの算出より)ヒューリスティックの方が(コスト込みで)有利な結果になりやすいということではないかと思う.


ギゲレンツァーの本

Bounded Rationality: The Adaptive Toolbox (Dahlem Workshop Reports)

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  • 発売日: 2002/07/26
  • メディア: ペーパーバック
Reckoning with Risk: Learning to Live with Uncertainty

Reckoning with Risk: Learning to Live with Uncertainty

Heuristics: The Foundations of Adaptive Behavior

Heuristics: The Foundations of Adaptive Behavior

  • 発売日: 2015/12/15
  • メディア: ペーパーバック
[asin:B00H7O86PI:detail]


邦訳されているもの



4.2 進化心理学へのシンプルな道 ピーター・トッド

ピーター・トッドは,数学専攻の学部を卒業し,機械言語と言語処理関連の研究を行って,哲学の博士号を取得,さらに心理学の博士号も取得,その後ヒトの発達や認知科学のリサーチを行っているそうだ.ここでは自分の研究歴を振り返りながら,得てきた知見が解説されている.

  • 私は,ヒトが適応上重要な場面において,わずかな情報・計算によるシンプルな意思決定システム(ヒューリスティックス)を用いていかに良い選択をするのかを探ってきた.ここでは私のたどってきた道を語りたい.
  • 1980年代私は学部で数学とコンピュータサイエンスを学んだ.大学院に進むときに認知科学に私を魅了することが集まっていることに気づいた.UCサンディエゴの博士過程ではラメルハートの元で神経ネットワークと進化的探索プロセスのための遺伝的アルゴリズムを研究した.1年後ラメルハートとともにスタンフォードに移り,そこで同じく院生だったジェフリー・ミラーと知り合い友達になった.ミラーの指導教官だったシェパードがコスミデスとトゥービィという2人のポスドクを迎え入れてから,心理学部全体で進化的な議論や論争がなされるようになった.
  • 当時大部分の心理学者は心が進化の産物であることには同意していたが,進化の過程を見ることができない以上そこから何か得られるかどうかについては懐疑的だった.私は「人工の心の進化ならコンピュータシミュレーションで研究できる」と考えた.
  • ミラーと私は脳の働きの要素(連合学習,鋭敏化,馴化など)の進化をサンのワークステーション20台を使ってシミュレートした.その成果を論文にし,学会で発表し,このツールは社会科学においても使えるのではないかと議論した.ミラーは性淘汰の心の進化に果たす役割を深く考察し,学位論文を書き上げ,それは「The Mating Mind」に結実した.
  • 1989年,スタンフォードの行動科学高等研究センターに新たな共同研究グループが設立された.そこにはコスミデスとトゥービィ,デイリーとウィルソン,バス,ギゲレンツァーたちが集まった.それは後の進化心理学の中核を担うグループだった.私とミラーはそこで議論に参加した.
  • スタンフォード時代は2つ,あるいは3つの神経単位を用いたニューラルネットワークの進化シミュレーションを行っていた.マサチューセッツのローランド研究所でのポスドク時代にはさらにシンプルな人工生命シミュレーションをスパコンを用いて行い,その後ようやく行動(環境に応じた意思決定)に立ち返り,デンバーに移ってからは人工生命のエージェントベースのシミュレーションを進めた.
  • そこでマックスプランク研究所の立ち上げにかかわっていたギゲレンツァーから新しい心理学チームへの参加のオファーをもらった.それを受けることはせっかく手に入れたデンバーでのテニュアを返上することを意味したが,その機会を断る気にはならなかった.この意思決定はそれぞれの選択によって生じるすべての結果を考慮して計算したものではなく,新鮮でエキサイティングな方を選ぶという単純なルールに従ったものだったが,結果は素晴らしいものになった.
  • 結局マックスプランクには10年間在籍し,適応行動・認知センターでシンプルかつ効果的な意思決定について研究した.私たちの得た結果は「良い意思決定というのは,特定の環境で入手可能な情報構造にマッチしたシンプルなヒューリスティックスや経験則によって導かれる」というものだった.意思決定メカニズムと情報構造がマッチしていると生態学的合理性が生じるのだ.
  • 私は,この「シンプルさ」について(単にシミュレーション上の便宜のためではなく)実際に生物が追求しているものだと考え,さらに「シンプルさ」について研究を進めた.そしてある状況を他の状況に一般化させるような場合にはシンプルな方法が複雑な方法より有用であることを発見した.これはギゲレンツァーとの共著「Simple Heuristics that Made Us Smart」に結実した.
  • ヒューリスティックスの生態学的合理性の研究については実証的に進め,その過程で様々なヒューリスティックスや意思決定方略で構成される心の適応的道具箱の青写真を作り上げた.
  • シンプルな順次探索戦略において配偶者選択をいつ停止すべきかという問題については,スピードデートを使った実験によりデータを採取した.この問題についてハーバート・サイモンは「相手の質がある閾値を超えたところで停止する」というヒューリスティックを提唱した.この方略がうまくいくためには,最初の数回で自分の質についてアセスすることが重要になる.実験の結果は,まず最初の数回で(自己評価により)閾値を設定し,その後単純なルールに従っているという仮説を支持した.この実験は豊富なデータを産出することができ,参加者が熱心に参加してくれることもあり,様々な工夫を加えながら,今でもこの枠組みを使って研究を続けている.
  • マックスプランクで10年過ごしたあと,私はアメリカに戻り,インディアナ大学で意思決定の研究を続けている.現在私はヒトの認知メカニズムは従来考えられていたよりさらにシンプルではないかを考え始めている.心の道具はすべて領域特殊で別々だとは限らない.情報環境構造が類似していれば道具は共通かも知れないのだ.
  • 私は,空間的食糧探索と記憶探索が本質的に共通のメカニズムを利用している可能性を検証し,一方の領域における探索が他方の領域における行動をプライムするという結果を得た.この結果は進化による心のメカニズムは領域固有ではなく,環境構造の特定パターンに特化したメカニズムの集合体だという見方につながるだろう.
  • これまでの私の研究生活の成り行きを振り返ると,最先端に飛びついたり流行に乗るよりも自分の興味に従うことや突然現れる新たな方向性にその興味をつなげるチャンスを追い求めることが大事だと思う.よいサイエンスをしよう,人々にヒトのシンプルかつ複雑な美しさを気づかせよう.世界に発信しよう.


これを読むとコスミデスとトゥービィがいかに巨大な影響を周りに与えるかがわかる.ギゲレンツァーもミラーもトッドもポスドク時代の2人に多大な影響を受けているのだ.
内容的には前節のギゲレンツァーのところで省略されているヒューリスティックスが有用になる条件として生態学的合理性が強調されている.これはある意味自己利益の定義にかかる部分になるだろう.なおコストや時間や情報の誤差の制約についてはここでも触れられておらず,少し気になるところだ.
最後に述べられている領域固有性の議論はなかなか興味深い.結局領域固有なモジュールといっても脳が細かく区分されているわけではないので,その働きは様々な共有回路を利用しているということになるのだろう.とはいえある領域の問題についてある働きをするモジュールがあるという状況には変わりはないもののように思われる.


これは上でも紹介したが,ギゲレンツァーとトッドの共著になる.

*1:これについては疑問を呈する長谷川チームの研究があることが訳注されている.