書評 「遺伝子」

遺伝子―親密なる人類史(上) (早川書房)

遺伝子―親密なる人類史(上) (早川書房)

遺伝子―親密なる人類史(下) (早川書房)

遺伝子―親密なる人類史(下) (早川書房)



本書は前作の「病の皇帝『がん』に挑む:人類4000年の苦闘」(文庫化されて「がん:4000年の歴史」に改題されたようだ.なお原題は「The Emperor of All Maladies: A Biography of Cancer」)でピューリツァー賞を受賞したインド系アメリカ人医師で研究者のシッダールタ・ムカジーによる遺伝学説と倫理問題を扱った大著だ.カール・ジンマーの遺伝にかかる啓蒙書を読んだところなので,話題になっているこちらも読んでみることにしたものだ.原題は「The Gene: An Intimate History」.(なおこの副題について邦書では「親密なる人類史」とされているが,本書内で1つのテーマになっているムカジー自身の家系の遺伝のことも含めた副題だと思われる.うまく訳すのは難しいが,「遺伝子:ある親しき歴史」ぐらいの方がよかったのではないだろうか)


プロローグはムカジー自身の家系に現れる精神疾患の話から始まる.ムカジーの父方の叔父2人といとこの1人は統合失調症や双極性障害を煩っていたのだ.ムカジーの父母は叔父たちの問題はインドとパキスタンの分離という大変動がもたらしたものだと考えていたが,それを知らないはずのいとこにも発症するに及んで,それは遺伝性の問題である可能性が一家の中にのしかかる.ムカジー自身は医師であり,がんの研究者だが,がんもまた遺伝と深く関係がある.そして本書が書かれることになったのだ.

第1部 遺伝という未だ存在しない科学:遺伝子の発見と再発見(1865~1935)

 

メンデルの法則*1

本書は基本的に遺伝学説史が大きな縦軸になって進む構成を取っている.話は当然ながらメンデルから始まる.メンデルはブルーノ大学で神学,歴史,自然科学の講義を受け,ブルーノの主任司祭として赴任するが,司祭の仕事は向いてなく,高校教師になるためにウィーン大学に入り直す.


ここでムカジーは古代ギリシアの遺伝の考え方を紹介している.ピタゴラスは遺伝情報は男性の精子のみにより伝えられると唱えた.アリストテレスはもしそうなら女性がなぜ生まれるのか説明できないはずだと考え,胎児は男性と女性が提供する物質相互の貢献により形作られると唱えた.これらの考えはいろいろ間違ってはいるが,遺伝が情報の伝達であるという本質を見抜いていたとも言える.中世にはこの情報はホムンクルスにより伝えられるという考え方(前成説)が主流になった.
ここでムカジーはダーウィンに話題を移す.若いときからの略歴,ビーグル号航海記,自然淘汰説へ至る道,ウォレスの書簡とリンネ学会での発表と「種の起源」の執筆と有名な話が続く.そしてムカジーはダーウィンが提唱した遺伝理論「パンジェネシス説」をここで紹介しようとしている.しかしムカジーはダーウィンの遺伝についての考えを融合遺伝説と誤解していて,ここの解説はよろしくない.ダーウィンのパンジェネシス説の最大のポイントは遺伝が離散的なものであることと,まれに獲得形質が遺伝することがあること(いくつかの事実をダーウィンが誤って解釈したもの)を同時に説明しようとしたものであり,ダーウィンは融合遺伝を否定していたのだ.この部分は本書で唯一残念な記述だ.


ここから話はメンデルに戻る.ウィーン大学で学んだがやはり教員試験に落ちてしまったメンデルは1853年にブルーノに戻り修道院でエンドウマメの交配実験を始める.実験は8年間におよび,遺伝が対になる離散的な要素で決まることを解明したメンデルは1865年に論文を発表する.しかしこの論文は当時の学界から完全に無視された.メンデルは有名な植物学者であったネーゲリに助言を求める.ネーゲリからヤナギタンポポで追試をするように言われ,追試を試みるが(あとからわかったことだがこの植物は無性生殖種であったため)失敗し,1873年に研究から手を引く.*2


続いてはメンデルの法則再発見の経緯になる.1880年以降ヴァイスマンは獲得形質の遺伝が生じないことを実証し,ド・フリースは遺伝形質の離散性に気づく.そして1900年にド・フリースは1900年にメンデルの古い論文に出合う.同じ年にコレンスとチェルマク=ザイゼネックもメンデルの論文を再発見し,メンデルの仕事は世に出ることになった.ベイトソンは離散的遺伝と変異体の研究について遺伝学(Genetics)という用語を創設する.

優生学

ここからムカジーは優生学の歴史を語り出す.優生学(eugenetics)という言葉を作ったのはフランシス・ゴールトンになる.ゴールトンはダーウィンの進化学説に感銘を受け,遺伝の謎を探求したいと考える.そして今でいう量的遺伝の問題を扱った法則を提示し,遺伝単位が離散的であるとするベイトソンと論争になる.ゴールトンは理論よりも応用に興味を持ち,遺伝の法則を人類の改良に役立てないかと考える.彼の主張は当時「人種の退化」をひどく恐れていた英国のエリートの琴線にふれた.ゴールトンの死後1912年に開かれた第1回国際優生学会議では,英国だけではなくドイツやアメリカの参加者も国家的優生学プロジェクトに向けて積極的だった.
ここで1920年代のアメリカの優生学プロジェクトの実態についてムカジーはキャリー・バックという少女を襲った運命とともに詳しく解説している.

第2部 部分の総和の中には部分しかない:遺伝のメカニズムを解説する(1930~1970)

 

染色体

冒頭で自分の家系に流れる遺伝の影についての逸話を置き,そこから遺伝の離散的な性質についての探求学説史が語られる.トマス・ハント・モーガンは遺伝の性質よりも,それを伝える物質そのものを知りたいと考え,ショウジョウバエの研究を始め,数十種類の突然変異体を見つける.そしてメンデルが見つけていなかった連鎖の振る舞いが明らかになり,遺伝子は染色体に乗っていることが強く示唆された.モーガンの弟子であるスターバントは連鎖を利用して染色体地図を作成する.(ここでムカジーは遺伝子が染色体の上に乗っていることがよくわかる例として,性染色体の上にある血友病遺伝子とロマノフ王朝の話をおいている)

遺伝と進化

遺伝学は少しずつ成長し,進化との関連が解明されていく.まずロナルド・フィッシャーは数学的な取り扱いを駆使して,離散的な遺伝子により連続した表現型が生じることを説明した*3.そしてドブジャンスキーは野生集団に自然淘汰のもとになる遺伝的な多様性が豊富に見られることを見いだし,遺伝型と環境と偶然の相互作用により表現型が定まることを示し,交雑を不可能にする何らかの要因が生じると種の分岐が生じうると指摘した.
ドブジャンスキーはこのような遺伝と進化の関係の理解から初期の優生学への粘り強い批判者となった.彼の主張は「遺伝的多様性は普通に見られ,それは当該生物種にとって通常利益をもたらすこと」「突然変異も多様性の1つに過ぎないこと」「個体の身体や精神の特徴と遺伝との関係は予想以上に複雑であること」に基づいていた.

遺伝子の実体

遺伝子の化学的実体は何か.この謎の解明への最初の糸口は1920年代のグリフィスによる細菌における「形質転換」(水平方向の遺伝子の移動により形質が移転すること)の発見になる.これにより遺伝子の実体は何らかの物質であることが明らかになった.ハーマン・マラーはショウジョウバエを放射線に晒すことによって突然変異を誘発できることを見つけた.遺伝子は外からの操作によって変化しうる物質なのだ.
ここでムカジーはマラーの優生学との関わり(初期には好意を持っていたが,アメリカの優生学の実情を知り,批判的になる),私生活の破綻や政治傾向に話題を移す.マラーは1930年代にアメリカに嫌気を指してドイツに渡り,ナチスの台頭を目撃することになり,ソ連に渡る.ムカジーはナチスの優生学がどんどん先鋭的にそして大規模になっていく様子,そしてルイセンコが政治的権力を手にして学問をイデオロギーによって破壊していく様子を詳しく迫力を持って描写している.
ムカジーはナチスが生みだした大量のがらくたの中に2つの遺伝学への貢献があったと指摘している.1つは現在の行動遺伝学に続く双生児研究の理論,もう1つは多くの優秀なドイツ人研究者をアメリカに集め,遺伝学への興味をもたせたことだ*4


1940年代には,遺伝物質の候補は核内のクロマチンにあるタンパク質と核酸に絞られていた.当初核酸は単純な構成要素が延々と結合されている退屈で野暮ったい物質だと考えられており,タンパク質の方が有望だと考えられていた.しかし1944年,エイブリーがタンパク質を除いても形質転換が生じることを見いだし,本命は核酸だということが明らかになった.
ここからムカジーはワトソンとクリックによるDNAの二重らせんの発見の物語を詳しく語っている.ウィルキンズによる結晶学とX線解析による構造への探求,ロザリンド・フランクリンとウィルキンズの反目,才気あふれるワトソンとクリックの出合い,フランクリンの質のいい写真とワトソンとクリックによる模型作りの橋渡し(それはフランクリンに無断でウィルキンズが2人に写真を見せたことによる),二重らせんへの啓示,1953年の論文発表と物語は続く.大変有名な逸話だが,その化学的な意味をきちんと解説しながらコンパクトにまとまっている.明らかになったのは遺伝の本質はDNAの二重らせんに組み込まれた情報だということだった.それは1種のコード(暗号)なのだ.


ではコードはどのように形質に影響を与えるのか.1930年代から40年代にかけてビードルとテータムはアカパンカビを用いて体内での代謝機能の鍵がタンパク質である酵素にあることを見つけた.そしてそれは1つの遺伝単位が1つのタンパク質を作るための暗号をになっているのではないかという推測に結びつく.ではそれはどのようにコードされているのか.二重らせんの発見後の解明物語にはワトソン,クリック,ライナス・ポーリング,ジョージ・ガモフ,ジャック・モノー,フランソワ・ジャコブ,シドニー・ブレナーたちが登場し,3つ組みの塩基配列が暗号であり,それが転写され,タンパク質に翻訳されるという解答(後にそれはセントラルドグマと呼ばれるようになる)に向かって迫っていく様子が詳しく語られている.次はその調節の謎だ.これはジャコブとモノーのラクトース・オペロンによる調整スイッチの解明物語として語られる.さらに二重らせんの複製自体もタンパク質のスイッチにより調整されていることが明らかになる.これらはおおむね1950年代になされた仕事になる.

発生

次の問題は遺伝子はどうやって生物の体を作るのかになる.胚が発生するには,マスタースイッチの遺伝子が特定の場所で作動し始める必要がある.様々な取り組みの末にそれは胚にある化学的な濃度勾配が鍵になっていることがわかる.ムカジーはここで線虫C. elegansを用いた細胞地図のリサーチを紹介している.それにより遺伝子は細胞死もプログラムしていることがわかり,さらに近くの細胞間での相互作用によっても発生が影響を受けることがわかった.このような発生は非常に複雑な過程により進むという理解は大体1970年代までに得られることになる.


ムカジーはこの第2部の最後で,これらの知見を私たちはどう使おうとするのかと問いかけ,また叔父の狂気の逸話を1つ挟み込んでいる.

第3部 遺伝学者の夢:遺伝子の解読とクローニング(1970~2001)

第3部は人類による遺伝への介入がテーマになる.まずその技術の解明史が語られる.

遺伝子編集

ウィルスによる宿主細胞への遺伝子の挿入現象,ゲノムの切り貼りを行う酵素の発見,組換えDNA実験の成功,大腸菌プラスミドへの挿入,抗生物質耐性をマークにした遺伝子組換え株の選別増殖法が最初の流れ(1968~1973)になる.
片方で塩基配列の読み出し技術が進む.1971年にサンガーはDNAポリメラーゼ複製反応を利用した解読法の開発に乗り出す.これを用いた最初のウィルスの全塩基配列の決定がなされたのは1977年になる.ここから解読が次々に進み,動物の遺伝子はエクソンとイントロンに分かれた複雑な構造であることがわかる.続いて逆転写酵素の発見,これを利用した発現遺伝子カタログの作成とクローニング技術が開発される(1970~1984).ワトソンは遺伝子操作の夢を見始め,多くの遺伝子ハンターが遺伝子の解読作業に没頭するようになる.

バイオハザードリスク

ここからムカジーはこのような遺伝子編集技術の持つ問題を語り出す.当初の遺伝子技術への不安はバイオハザードへの懸念が主なものだった.
まず1973年のスタンフォードで開かれた会議(アロシマI)では,バイオハザードの危険性の指摘がなされ,勧告こそ出なかったもののその流れは「否定」だった.さらに同年開かれたマサチューセッツの会合でいくつかの「危険な」DNA組換え実験についてモラトリアムが提唱された.さらに1975年にアロシマIIが開かれ,これには研究者だけでなく弁護士や記者や作家も招待された.当初モラトリアムについての意見は分かれたが,弁護士たちがぞっとするような法的リスクの話をするに及んで雰囲気は一変し,バイオハザードリスクをランク付けしてそれぞれの封じ込め対策を推奨する提案が採択された.ムカジーはこの採択の様々な側面について,当時の参加者へのインタビューも交えていろいろ語り,しかしこの採択にはまだクローニングの倫理面の問題は提起されていないことに注意を促している.

バイオテック

1974年,コーエンとボイヤーはカエルの遺伝子を大腸菌に組み込む技術(これにより安価にインシュリンを作ることが可能になるので経済的なインパクトが大きいものになる)を確立し,特許を出願する.科学者たちは激怒するが,これは投資家の興味を惹き,遺伝子組換えはバイオベンチャービジネスの世界に組み込まれるようになる.ムカジーはここでこの技術を用いたインシュリン製造ビジネスの成り行きを詳しく語っている.紆余曲折の末,コーエンとボイヤーも関わったジェネンティック社は1978年にインシュリンの製造方法特許を獲得する.また当時ちょうど勃発したエイズにより,血友病患者にとって天然の凝固因子より遺伝子技術を使った人工凝固因子の方がはるかに安全であることがわかり,アロシマIIで示されていた恐怖は逆転する.

第4部 人間の正しい研究題目は人間である:人類遺伝学(1970~2005)

第4部の冒頭はまた家族の物語.ムカジーの父は2014年にロッキングチェアーから転倒して病院に運ばれ,正常圧水頭症と診断される.それも遺伝性である可能性の強い疾病だった.ただし1個の遺伝子によるものではなく多数の遺伝子と環境の影響を受けるものだ.ムカジーはそこから遺伝子はいかにしてほかの遺伝子や環境と相互作用するのか,そして(いかにも医師らしく)正常と異常を分けるものは何かと問いかける.

遺伝性疾患

様々な知見を得て遺伝学は人間についての探求を開始する.最初は1遺伝子が1つの疾病を引き起こすものについてだ.ムカジーはその代表例としてフェニルケトン尿症を取り上げて詳しく語っている.遺伝性疾患にはこのほかに染色体異常によるもの(ダウン症など),さらに複数の遺伝子が相互作用して働く多因子遺伝性疾患がある.
ムカジーはこの多因子遺伝性疾患の特徴を整理し,重要な知見として「変異とは絶対的な概念でなく,統計的な概念である」ことを強調している.ここはムカジーが常日頃から強く感じていることらしく,変異体に対する世間の誤解を解くべく,ミュータントヒーローであるスパイダーマンまで登場させて熱く語っている.

新優生学

1966年段階で羊水穿刺と遺伝子検査,そして妊娠中絶により,望まない遺伝型の子どもをスクリーニングすることは技術的に可能になっていた.アメリカでは1970年に連邦最高裁のロー対ウェイド判決で法的にも可能になる.
これは見方によっては新しい優生学の取り組みにもなり,遺伝子検査の科学的な標準化と自由意思による新優生学として擁護者を獲得する.さらにスクリーニングだけでなく,精子バンクを利用した積極的選択も可能になった.
片方で新優生学に懐疑的,批判的な人々も現れる.ムカジーは多因子遺伝性疾患の複雑性を強調し,批判者に同調的なコメントを行っている.

遺伝子地図とヒトゲノムプロジェクト

1978年ボットスタインとデイヴィスはDNA多型を利用して遺伝子のゲノム上の位置を正確に特定する手法(ポジショナルクローニング)を考えつく.そこからムカジーはウェクスラーによる10年以上に及ぶハンチントン病の遺伝子特定物語,さらに別のチームによる嚢胞性線維症の遺伝子特定物語を詳しく語っている.
遺伝子特定の利点が明らかになり,ヒトゲノムの全体を解読しようという機運が生じる.ムカジーは専門家らしく,がんについてのその利点を詳しく解説している.がんは遺伝と進化と環境と偶然がすべて組み合わさって生じる.それを解明するにはまず正常なゲノムを知ることは重要なのだ.同じような多因性の問題には統合失調症もある.また当時には犯罪のプロファイリングへの応用期待(これについては批判的な紹介になっている)もあった.
マリスによるPCR法の発見はヒトゲノム解読が可能であるという見通しを高めた.1986年にワトソンが開いた「ホモ・サピエンスの分子生物学」会議はその印象を世間に与え,ギルバートはその費用を30億ドルと推定し,ヒトゲノムプロジェクトは動き始める.ムカジーはここからワトソン率いるNIHプロジェクトとクレイグ・ベンダーによる激しい解読競争,ワトソンの退場とコリンズへのバトンタッチ,クリントン大統領の介入と土壇場での手打ち,2000年の解読完了共同発表への経緯を詳しく語り,最後に読まれたヒトゲノムについての詳しい解説を置いている.

第5部 鏡の国:アイデンティティと「正常」の遺伝学(2001~2015)

ヒトゲノムプロジェクト以前の遺伝学は「異常」な形質の遺伝を追っていた.ヒトゲノムの解読はこれを逆転させた.そして人類遺伝学は個別のテーマに焦点を当てたものになった.ここからムカジーは現在の状況について(これまでの編年体をやめて)テーマごとに記述するスタイルを採っている.

人類の起源

遺伝子を読むことにより,多元発生説とアフリカ単一起源説の争いは決着がついた.ムカジーはルイ・アガシとダーウィンまでさかのぼり,アラン・ウィルソンの分岐年代推定とミトコンドリア・イブ,カヴァリ=スフォルツァとフェルドマンの分析をふくめた学説史を追い,さらに人類の出アフリカについて語り,最近の分析により人種について何が言えるのかを扱っている.人種についてはマレーとハーンスタインの「ベル・カーブ」が引き起こした論争をどちらかといえばスティーヴン・グールドに近い視点から丁寧に追っている.最終的なムカジーの主張は以下のようなものだ.

  • 議論になったg因子のような概念は確かに遺伝性を持つが,その厄介な点はIQテストが知能だけではなく,テストへの適性や自尊心やエゴや不安をも測定しているところだ,テストの構成を変えると簡単にグループ間のスコアの差異は変化する.
  • ヒトゲノムに基づいて人々をひとまとめにすることもできるし,無数に分類することもできる.
  • それは選択の問題で,例えば特定の遺伝的疾患の原因を調べるためにゲノムを分類するのは理にかなっているだろう.マラソンが遺伝的スポーツになりつつあるのにも理由があるだろう.
  • しかし測定する特性や形質の幅を広げるほどその形質に単一の遺伝子が関与する可能性は低くなる.
  • ある特徴の定義を狭めるか広げるかは実際にはアイデンティティの問題だ.文化的,社会的,政治的な意味で自分たちが人間をどう定義し,分類し,理解しているかの問題なのだ.


ここは人種と知能の議論に集中していてちょっと物足りない.遺伝子系統樹や系統地理学の話題も取り上げて欲しかったところだ.

アイデンティティと遺伝

ムカジーはここで一卵性双生児である母と叔母の人生を紹介している.彼女たちは(嫁ぎ先の違いにより)全く異なる環境におかれ,その人生は大きく分かれた.外観は随分異なる2人になったが,物事へのアプローチや気質は驚くほどそっくりのままだそうだ.これをムカジーは人格の一次導関数(そしてアイデンティティ)と表現し,アイデンティティと遺伝について語り始める.


遺伝子はアイデンティティを決めるのだろうか.ムカジーはまずジェンダーから話を始める.ヒトの性染色体が発見されたのは20世紀初頭だった,そして性決定のメカニズムが探索され,遺伝的にもっとも脆弱なY染色体にある1つの遺伝子がマスタースイッチになっていることが解明される.性決定は遺伝的なのだ.ではジェンダーはどうか.当初ジェンダーは環境依存の可塑的なものだと信じられていたが,様々なジェンダーの修正試行の失敗事例が積み重なり,これも極めて強い遺伝的な影響の元にあることが明らかになった.性決定のマスタースイッチがあり,その元に遺伝子が階層的に組織化され,トランスジェンダーアイデンティティを含む連続的なジェンダー表現型が現れるのだ.ムカジーは続けてヘイマーによるゲイ遺伝子の探索プロジェクトの顛末*5も語っている.


心理的傾向,あるいは行動傾向はどうだろうか.その遺伝的な影響を調べる一番いい方法はなお双生児研究法だ.ムカジーはここでミネソタ大学の双生児研究の事例を解説し,見つかった興味深い知見をいくつか紹介している.
ではどのような行動傾向がどのような遺伝子によって決められているのか.エプスタインはビッグ5と遺伝的多型の関係を調べて,D4DR遺伝子と新奇探求的傾向の関連を見つける.


様々なアイデンティティが遺伝的な影響を受けることはわかった.では個々の個人を形作るものは何か,同一ゲノムでも異なる気質や人格が現れることがあるのはなぜか,ムカジーはこれを遺伝学の最後の1マイル問題と読んでいる.ムカジーはそれはおそらくランダムな偶然の出来事,あるいは運命なのだろうと思弁し,このようにして生じる生物の個々の多様性を「自己」と呼ぶのだとコメントしている.

エピジェネティックス

ここでムカジーはエピジェネティックスを扱っている.オランダのナチス占領下の飢餓が与えた影響の研究*6の話を振ってから解説を始める.
カエルの体細胞クローンを作成したガードンはなぜ体細胞からクローンを作るのがこんなにも難しいのかを考え始めた.それは何かエピジェネティックな印が刻まれているためではないか.メアリー・ライオンはメス体内でのX染色体のランダムな不活性化現象を見つける,これもエピジェネティックなマークがつくことによるのだろう.そして科学者たちは1970年代末にDNAのメチル化の仕組みを見いだす.これらのメチル化は同じ遺伝組成からなる細胞の「個性」を説明できる.
ではヒトの個性もそういう形で環境が遺伝子に付けたマークとして解釈できる部分があるのだろうか.この話題は記憶のエピジェネティクスとして議論されているが,まだ具体的なメカニズムは何も見つかっていない.
ここでムカジーは最初のオランダの飢餓研究の事例を飢餓体験が食糧欠乏に耐えやすくするように遺伝子のメチル化に影響を与えた可能性,それが生殖細胞にも生じた可能性を論じている.なおここでは,体験が常に適応的な方向の変化を生じると考えるべきではなく,飢餓のような進化過程で繰り返し生じたもののみこのような可能性があること*7について断り書きがあり,さらにエピジェネティックスがニセ科学の正当化に利用されやすいことについても警鐘を鳴らしている.

遺伝子の起源

ムカジーはここで遺伝暗号の起源について,まず生命の起源についてショスタクの原始海洋のスープと自己複製RNA仮説を紹介し,その後バックアップコピーの有用性からRNAからDNAに移り変わったのだろうという考え方を解説している.

第6部 ポストゲノム:運命と未来の遺伝学(2015~ )

ムカジーの遺伝子の物語,最終部は遺伝の現代テクノロジーとその倫理的な側面について.

レトロウィルスによる遺伝子挿入治療

最初はウィルスによる遺伝子組み込みの医療応用の試みだ.初期の試みは,生殖細胞へは遺伝子挿入できないこと,体細胞への遺伝子挿入もランダムにしか生じず,さらに発現が抑えられてしまうことから失敗した.
しかしES細胞の実用化からトランスジェニックマウスが実用化されると,ヒト医療への応用が期待されるようになった.しかし当初はヒトES細胞がマウスのそれに比べて扱いにくく技術的な障壁を越えられなかった.このため体細胞への遺伝子挿入がもう一度考えられることになる.いくつかの試みのあと,OTC欠損症に対する臨床実験が1999年に行われたが,ベクターに使われたアデノウィルスの安全性確認がずさんだったため結果は悲惨な失敗となり,FDAは遺伝子治療臨床実験の全般的な一時中断を命じることになる.

遺伝子診断

片方で遺伝子診断は急速な進歩を続けていた.ムカジーは非常に明確な結果が得られた例として家族性の乳ガン遺伝子の単一遺伝子BRCA1のケースを挙げている.
片方で難しいケースとして家族性の統合失調症と双極性障害のケースが取り上げられている.家族性の多因性遺伝疾患の遺伝子特定は実は非常に難しい.遺伝学者たちは様々な技術を組み合わせて統合失調症の遺伝子候補を108選び出しているが,それらの遺伝子が何をしているのかはほとんどわかっていない.おそらく特定の組合せが確率を上げるように働くのだろうし,未知の要因も隠されているのだろう.この全貌を理解するには疾患患者にどんな遺伝子があるのかではなく,ある遺伝子があると疾患になる確率がどのぐらい上がるのかを知ることが必要になる.
ここでムカジーは家族の逸話に戻る.叔父の1人は双極性障害だったが魔法のような才気の持ち主でもあり,それは躁状態と連続していた.そして狂気と才能を巡る逸話は多い.つまり精神疾患と創造的な才能を区別できないなら,疾患遺伝型と才能遺伝型の区別もできないということになる.病気は絶対的な障害ではなく,ある表現型の環境へのミスマッチと考える方が適切なのだ.
さらにムカジーはある会議で出合った稀な遺伝性神経筋疾患の女性の逸話をおいている.彼女の疾患は単独では大きな不利益があるわけではない稀な変異が重なったために生じたものだった,


ここからはムカジーの思索になる.遺伝性疾患には様々な形があり,それぞれ遺伝子診断に対する難問を生じさせる.BRCA1の変異を持つ女性は70~80%の確率で乳ガンを発症するが,それは100%ではなく,どのようなガンがいつ発症するかは確率的にしかわからない.すべての予防治療はそれぞれ身体的心理的苦痛を伴うものだ.家族性統合失調症や双極性障害は浸透性の高い複数の遺伝子の組合せで生じる.予防治療もなく,完治もできない.稀な遺伝子変異が重なったための神経筋疾患は患者をひどく消耗させる不治の病だが,目的を持って人生を前向きに生きることは可能だ.胎児の遺伝子診断と中絶を組み合わせるとこの原因遺伝子を遺伝子プールから取り除くことは可能になる.遺伝子診断を受けた人はこれからその疾患とどう対処していくかの決断を迫られる「プリバイバー」*8になるのだ.
ムカジーは問いかける.我々はどこまでゲノムから未来を読むことができるだろうか,それを利用することができるだろうか,そしてそのような状況なら運命への介入が許されるのだろうか.ムカジーは以下のように思索を続けている.

  • 解読には2つの制約がある.1つは遺伝子に書かれているのはレシピだということだ.レシピの変更が最終産物にどう影響を与えるかを推測するのは難しい.そしてもう1つは遺伝子の相互作用は極めて複雑だということだ,これも完全な解読を困難にしている.しかし限られたケースでより精度の高い予測ができるようになっていくだろう.
  • 着床前遺伝子診断を行うと堕胎することなくスクリーニングが可能になる.これは難しい倫理的問題を提示している.
  • 最近まで遺伝子診断および介入については3つの原則により導かれてきた.それは「決定的な病気の因子である単独遺伝子変異のみを対象にする」「これらの疾患によって患者が正常な人生を送ることが不可能になる場合に介入が許される」「介入の正当性は最終的には社会的医学的な総意により決める」というものだ.これらは最後は主観的に決まる要素を残し,そして実際にはこれらを越える介入が行われている.そしてナイーブな遺伝型を元にしたナイーブな社会工学的なアイデアが真面目に議論されている.
  • 私の家族のバックグラウンドを考えると,遺伝子診断は臨床的個人的な現実だ.3原則のありようは個人の未来に直結している.
  • 我々は20世紀の歴史から,遺伝的なスクリーニングの決定権を政府に与えることの危険性を知った.ではそれを個人に与えることはどうなのかが現在直面している問題なのだ.

 
 

遺伝子治療

一旦中断された遺伝子治療は復活しつつある.生殖細胞系列遺伝子治療はあと一歩で可能になりそうな情勢だ.CRIPER-Cas9の技術は正確な遺伝子編集を可能にする.あとは遺伝子改変が施されたヒトES細胞(あるいはその遺伝子の丸ごとのセット)をヒト胚に組み込む(あるいはヒト生殖細胞に変化させる)だけだ.ムカジーはこの最後の障壁は技術よりも倫理的な問題としての側面が大きいだろうとコメントしている.2015年には科学者グループが遺伝子改変技術をヒトES細胞へ応用することの一時中断を求める共同声明を出している.ムカジーはこれはヒトを遺伝的にエンハンスメントすることの是非という問題だと見做している.そして最後にムカジーなりの遺伝とゲノムに関する見解と制限なしのエンハンスメントに対しての懐疑的な結論をおいている.(なおこのあと本書のテーマを振り返るエピローグも置かれている)

以上が本書のあらましになる.医師でかつ研究者である著者の真面目な著述スタンスによって,遺伝学の発展がメンデルから始まって(途中優生学にも触れつつ)時系列に沿って丁寧にまとめられている.途中から遺伝学の中でもヒトに関するものに焦点は絞られ,最後に遺伝子診断と遺伝子治療に関する倫理的な問題を取り上げて深く悩むという内容になっている.そして家族にある遺伝歴が著述内容に重みを加えている.倫理的な問題についての意見にはいろいろな立場があると思われるし,ジンマーの本のような華やかさや興味深いテーマのてんこ盛りという雰囲気はないが,実直でいい本だと思う.


関連書籍


原書

The Gene: An Intimate History (English Edition)

The Gene: An Intimate History (English Edition)


ムカジーの前著

病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 上

病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 上

病の皇帝「がん」に挑む ―  人類4000年の苦闘 下

病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 下


同文庫版

がん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐ 下 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐ 下 (ハヤカワ文庫NF)



同原書

The Emperor of All Maladies (English Edition)

The Emperor of All Maladies (English Edition)



カール・ジンマーによる遺伝の啓蒙書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180903/1535927931

She Has Her Mother's Laugh: The Powers, Perversions, and Potential of Heredity

She Has Her Mother's Laugh: The Powers, Perversions, and Potential of Heredity

*1:以降の小見出しは私による便宜的な項目建てになる

*2:ムカジーはネーゲリは素人学者に冷淡だったという書き方をしているが,おそらく当時似たような実験は数多く行われたが,連鎖や無性生殖などのためにメンデルのようなきれいな結果は得られていなかったということが事情としては大きいのではないかと思われる.なおメンデルの統計データ捏造疑惑(比率が3:1にあまりにも近い)ことについてはムカジーは考えにくいと否定的だ

*3:ムカジーはホールデンとライトについては触れていない.フィッシャーについてもごく簡単に触れているだけで,この辺はやや物足りないところだ

*4:ナチスによる遺伝学への貢献については,別の部分で,優生学のおぞましさを世界に明らかにしたことも挙げられている

*5:結論としてはゲイ決定のごく一部はXq28遺伝子の影響を受けるが,大半は不明のままということになっている.ムカジーはおそらくわずかな効果を持つ多数の遺伝子が関係しているのだろうとコメントしている.

*6:当時胎児だった人々は大人になってから肥満や高血圧になる傾向が高かった.そしてその次世代の子どもにも同じ影響が見られたと報告されている

*7:もう1つ本当に生殖細胞にそのようなメチル化が生じる可能性があるのかについてもやや疑問とせざるを得ないと思うが,そこは扱われていない.この章のムカジーの解説はやや曖昧で,真っ当なエピジェネティックスと怪しいエピジェネティックスの区別をきちんと説明できているとは言いがたいだろう.

*8:ムカジーは疾患から生還した人はサバイバーと呼ばれることから,これから疾患リスクに対処することを迫られる人をこう呼ぼうと提唱している