「The Ape that Understood the Universe」付録 その1

The Ape that Understood the Universe: How the Mind and Culture Evolve (English Edition)

The Ape that Understood the Universe: How the Mind and Culture Evolve (English Edition)


前回書評した本書だが,巻末には大変面白い付録が2つ掲載されているのでそれもレビューしておこう.最初は「ブランクスレート派との議論に勝つ方法」(How to Win an Argument with a Blank Slater)だ.これは進化心理学に対する社会構築派やフェミニストたちからの批判に対する対処法ということになる.よくある解説だと,淡々と相手の主張を紹介し,それがどのように成り立たないかを説明するというものになるが,この付録は「議論に勝つ方法」であり,相手側の矛盾の指摘や相手側の主張が仮に正しいとしたらどうなるかなどの厳しい攻撃もあるのが特徴だ.
 
 

付録A ブランクスレート派との議論に勝つ方法

 

  • 進化心理学を憎むものは多い.一部は進化心理学者の傲慢さに理由があるが,多くは生物学恐怖に根ざしているのだろう.ここではよくある批判に対しての反論をまとめておこう.

 
 
1. 進化心理学は伝統的な性役割や社会的不平等を正当化することを目的にしている.それは右派のプロパガンダだ.

  • これはほとんど陰謀論だ.右派=悪という暗黙の前提の是非は置いておくとしても,そもそもほとんどの進化心理学者は政治的にはリベラルだ.そしてこの批判は全く正当化できない前提「何かが進化産物であればそれは容認されなければならない」に基づいている.これは自然主義的誤謬として知られる.何かが自然淘汰産物だとしても,それが道徳的政治的に容認されうるかどうかは全く別の問題なのだ.暴力は自然だが悪であり,薬品は自然ではないが善なのだ.

 
2. それでも進化心理学は悪に対して言い訳を与えている.それはニュルンベルクディフェンスの生物学版だ.
 

  • もしこれが進化心理学の問題なら,すべての社会学も全く同じ問題を抱えていることになるだろう.どちらも悪行の因果的説明を試みているのだから.
  • 仮に進化的説明が責任を溶解させるのだとしても,それはそれが誤っていることを意味しない.
  • そしてそもそも進化的説明は責任を溶解させるわけではない.そもそも責任とは何か.それは人々を良い行いに動機づけるためのものだ.そしてそれは悪行への動機が進化的なものか社会的なものかによって変えるべきものではない.

 
3. それでも進化心理学は,特定の望ましくない行動傾向について,それは究極的には消し去ることができないことを含意しているのではないか.
 

  • まず仮にそうだとしても,それは進化心理学が誤っていることを意味しない.
  • そして消し去ることができないというのは事実ではない.ある傾向に進化的な起源があるということは,それが固定的だとか消し去れないことを意味するわけではない.進化したということと不可避ということは別だ.

 
4. 進化心理学は遺伝的決定論の最新版だ.この危険なニセ科学は行動傾向がすべて遺伝で決まると主張する.しかしこれはヒトの発達や環境要因を無視するナイーブな議論だ.
 

  • 「進化心理学は遺伝的決定論だ」という非難に一体どうやって応えればいいというのだろうか.進化心理学者は誰も行動傾向がすべて遺伝で決まるとは考えていない.そのようなことを主張する進化心理学者を見つけるのはグリフィンやケンタウロスのような空想の創造物を探すようなものだ.進化心理学者はみな表現型は遺伝と環境の相互作用で決まるという標準的な見解を抱いている.
  • 批判者が「すべては環境で決まる」のだと考えているのだとすると,それこそ異端的な見解というべきものだ.
  • では何故このような批判が根強くなされるのだろうか.問題の一部は「もしある性質が適応なら,それは学習ではなく遺伝で決まっているはずだ」という広く見られる前提にある.この前提は誘惑的だが誤っている.多くの場合学習は適応を発現させるための発達プログラムの一部をなしているのだ.

 
5. 進化心理学の主張は反証不可能だ.行動は化石化しないのだから.
 

  • 第1に,もし進化的な説明が反証不能だと主張するなら,それが誤りだとも主張できないはずだ.(しかし多くの批判者はこの2つの主張を同時に行っている)
  • 第2に,仮に進化的な説明が反証不能だという主張を考慮するにしても,競合する社会学的説明はそもそも証明すらされていない.そして仮にもしその競合する社会科学的な説明が正しいと証明されたなら,それは進化的な説明が正しくないと証明されたことになる.つまり(社会科学的な説明が証明可能なら)進化的な説明は反証可能だということになる.そして(批判者がいうように)進化的な説明が反証不能であれば,それは間違いだと証明できず,社会科学的な説明が正しいとも証明できないことになる.つまり反証不能批判者は,競合する社会科学的な説明が正しいと証明できないことを認めていることになる.
  • そして本当に進化的な説明は反証不能なのだろうか.そんなことはない.多くの進化心理学の仮説はリサーチの末に棄却されている.最も有名な例はE. O. ウィルソンによるホモセクシュアリティについての適応仮説だ.ウィルソンは男性同性愛は兄弟を助ける行動などにより血縁淘汰で説明できると主張し,一時真剣に受け取られていたが,データが集まるにつれて棄却されたのだ.
  • あるいは,批判者は「進化心理学的な説明が完全に正しいと証明することは難しい」と主張しているのかも知れない.しかしこれは科学について広く当てはまる一般的な真実だ.

 
6. 進化心理学は我々がヒトについて既に知っていることについて,進化的ななぜなに物語を語っているに過ぎない.どんな事柄についても適当な適応物語をでっち上げることはたやすいことだ.
 

  • 進化心理学者が時に証拠が不足している中で適応仮説を提唱することがあるのは事実だ.しかし進化心理学がすべてでっち上げの適応物語だというのはフェアな言い方ではない.
  • 確かに進化心理学者は適応仮説を提唱する.しかし次の段階では彼等はそれを検証しようと試み,その結果を論文にするのだ.そのようにして出版された進化心理学の査読論文は何千とある.
  • なぜ批判者は(検証を試みた論文ではなく)仮説だけを取り出して批判するのか.おそらくそれは1970年代の社会生物学論争の時の批判者を真似しているからだろう.しかし今日ではこの手の批判は完全に時代遅れだ.
  • 確かにどんな事柄についても適応物語をでっち上げることができる.しかし社会科学者もどんな事柄についても社会文化的な説明をでっち上げることができるだろう.なぜ社会文化的説明がデフォルトで正しいことになるのだろうか.

 
7. 進化心理学者は西洋現代文化の特徴をヒトの本性として主張している.それはテスト対象が西洋諸国の大学生に偏っているからだ.
 

  • 確かに自文化の特徴をユニバーサルだと勘違いするリスクはある.しかし逆にユニバーサルを自文化の特徴と勘違いするリスクだってあるのだ.片方だけを強調するのは奇妙な態度だ.実際に何世代にもわたって西洋の社会科学者はブランクスレートイデオロギーに誤導されて,ユニバーサルであるロマンチックな恋愛感情や感情の表情を西洋文化特有のものだと主張してきたのだ.
  • 確かにこれまでの被験者は西洋の大学生に偏っている(これはWEIRD問題として自覚されている).ただしこれは進化心理学だけでなくすべての心理学共通の問題だ.そしてよく知られた進化心理学のリサーチはもっと大きなクロスカルチュアルなスタディになっていることが多い.さらに進化心理学は人類学や動物についての行動生態学の知見に基礎を持つ.これは進化心理学者に自文化バイアスを見直す良いきっかけを与えてくれている.進化心理学はしばしばWEIRD心理学と揶揄されるが,十分合理的にノーマルなのだ.

 
8. 進化心理学は何でも適応で説明しようとする.これは汎適応主義であり受け入れられない.
 

  • この批判は元々スティーヴン・ジェイ・グールドが主張したものだ.
  • 私は最初,進化心理学者としてはこの批判については首をすくめるしかないと考えていた.結局進化心理学者が適応ではないと考えているヒトの特徴はたくさんある.農業,読み書き,高等数学,論理学が適応ではなく文化的な道具だというのはみな認めている.ミスマッチによる説明も数多く,個別の様々なトピックについて適応仮説があるところにはほとんど常に非適応的な仮説もあって論争が生じているからだ.
  • しかし時が経つにつれて,グールドのいうことにも聞くべき点があるかもしれないと思うようになった(これは進化心理学者として殺人の告白に等しい所業かも知れない).もちろん誰もすべての特徴が適応だとは主張していない.しかし進化心理学者が適応主義を過拡張し,貧弱な証拠で適応を認めてしまう傾向はあるのかもしれない.私が少し怪しいと思っている仮説には以下のようなものがある.
  • あくびは脳を冷やすための適応だ.
  • 夢は重要な行動の練習をオフラインで行うための適応だ.
  • 月経前症候群は妊娠させてくれなかったパートナーを捨てるための適応だ.
  • 男性のマスターベーションは古くなった精子を捨てるための適応だ.
  • ペニスの返しはほかの男の精子を女性の膣から取り除くための適応だ.
  • 自閉症は孤独な狩猟採集作業のための適応だ.
  • もちろん一部に怪しい仮説があるからといって分野全部がおかしいことになるわけではない.私自身は懐疑的に吟味しているつもりだし,分野内での貧弱な証拠に基づく主張への批判も数多い.それでも進化心理学には適応仮説にたやすく熱中してしまう傾向があるのかもしれない.注意深く扱わないとグールドの批判が的を射てしまう可能性はあるだろう.

 
 
<まとめ>

  • 私は「進化心理学は完璧だ」と思っているわけではない.しかし多くの進化心理学批判は単に誤解に基づいている.進化心理学は政治的右派の陰謀だとか遺伝的決定論だとかなぜなに物語だといって批判する批判者は,バスの待合所で仮想パートナー相手にスパーリングをしている狂人に似ているところがある.
  • 不幸なのは,見物人にはこの狂人が戦っている相手が実在しないということがわからないことがあることだ.それは進化心理学が本当にそういうクズだという誤解のもとになる.だからこのような(的外れな)批判に対しても誠実に向き合うことが重要なのだ.
  • とはいえ,これはフラストレーティングな作業だ.何度論破しても彼等はゾンビのように甦って同じ批判を繰り返す.クルツバンはこの状況をこう描写している.

批判者は,「進化心理学者たちは間違っている,彼等は,行動は遺伝的に完全に決定しており,すべての特徴は適応であり,発見したことは倫理的な意味を持つと考えている」と断言する.
進化心理学者は,我々はそのようなことを主張していないと答え,全く逆であることを示す論文を提出する.
批判者はそれに対して「進化心理学者たちは間違っている,彼等は,行動は遺伝的に完全に決定しており,すべての特徴は適応であり,発見したことは倫理的な意味を持つと考えている」と主張する.

  • 進化心理学者側に立って戦うのは,庭の雑草を取ったり,複数の頭を持つ怪物ヒドラと戦うことやシジフォスが岩を繰り返し山頂に運ぶことに似ている.しかしそれは価値ある営みだ.なぜなら進化心理学は正しいからだ.より正確にいうと進化心理学はより正しい方向への一歩だからだ.そしてそれは最終的には議論に勝つことを意味しているのだ.

 
 
「進化心理学を学びたいあなたへ」でも藁人形論法の進化心理学批判への対応のやりきれなさは描かれているが,この付録もそうした状況が浮かび上がってくるものになっている.
とはいえ「議論に勝つ」ために相手の矛盾を突く部分は結構痛快だ.「不平等を助長とか悪への言い訳とか批判するというのは,そもそもの進化心理学の主張は正しいと認めているからですよね(正しくないというなら単にそう主張すればいいのでは? それで,あなたのアジェンダ達成のために虚偽を主張せよとでも?)」「進化的説明が悪への言い訳になるなら,環境決定論だって全く同じことになりませんか?(私が犯罪を犯したのは貧しい家庭に生まれたからだという言い訳を認めるんですか?)」「進化心理学が反証不能?それって対立する社会学的説明が正しいことを証明できないってことを認めているわけですか?」あたりのところはカウンターがきれいに決まっている印象だ.ある意味日頃の鬱憤が見て取れるようでもある.