Enlightenment Now その3

第1章 恐れずに理解せよ その1


巻頭序言,第1部の序言を経ていよいよ第1章が始まる.第1章ではまず啓蒙運動とは何かが扱われる,

  • 啓蒙運動とは何か(What is enlightenment?)イマヌエル・カントは1784年の同名のエッセイでこう答えている.「それは人類による,自身に課せられている未熟からの,そして怠慢と臆病さから来る宗教や政治的権威のドグマや因襲への従属からの開放である.」そして啓蒙運動のモットーは「恐れずに理解せよ:“Dare to understand!” *1」であり,その基礎となる要求は思想と言論の自由であると宣言している.
  • 「ある世代は,それに続く世代が洞察を広げ,誤りを直すことを禁止する取り決めをすることはできない.それは人類の本性に対する犯罪であり,人類の正しい運命はそのような進歩のなかにあるのだ.」


そして21世紀を代表する同じアイデアの持ち主として物理学者のデイヴィッド・ドイチュの「The Beginning of Infinity」にある言葉も引用している.

  • ドイチュは「私たちが恐れずに理解すれば,進歩は科学,政治,倫理すべての分野で可能である」と述べている.
  • 「私が推し進めようとする楽観主義はすべての失敗は知識不足によるものだという理論だ.・・・問題は解決可能なのだ.楽観主義的文明はオープンで,革新を恐れない.そして批判的精神に基づいている.・・・」


そしてピンカー自身の説明が始まる.

  • 「(定冠詞つき)啓蒙運動」とは何か.公式の答えはない.開始宣言も終結宣言もないし,公式の誓約や綱領もないからだ.伝統的には18世紀中盤から終盤にかけてのものとされるが,それは17世紀の科学革命や理性の時代からの流れを受け,19世紀前半の古典的リベラリズムに引き継がれている.
  • 「啓蒙運動」の思想家は人間の諸条件についての新しい理解を探し求めた.それは豊穣なアイデアに満ちあふれているが,大きく4つのテーマが結びついている.それは理性(合理主義),科学,ヒューマニズム,そして進歩だ.


そして4つのテーマが順番に解説される.

理性(合理主義)
  • 理性は妥協を許さない.あなたの答えが合理的なら,それに対立するほかの人の答えは誤っているのだ.そして自分が正しいときには他人はそれに従うべきだと考えるなら,あなたは合理主義にコミットしている.
  • 「啓蒙運動」の思想家たちに共通項があるとするなら,それは世界の理解について合理主義的基準に熱烈にこだわり,ドグマ,天啓,権威,カリスマ,神秘主義・・・などの幻惑に陥らなかったことだ.
  • だから彼等は人間の姿をして人類の諸事に興味を持ち介入する神を否定した.ただし彼等がみな無神論者だったわけではない.一部は理神論者だった.でも奇跡を起こし,戒律を与える神を認めるものはいなかった.
  • 現代の一部のライターは,彼等のことを「人間は完全に合理的だ」という馬鹿げた前提に立っていたとけなす.しかしそれはそれ以上ないほどの誤解だ.カントもスピノザもアダム・スミスもみな熟達した心理学者であり,人間の非合理的な情熱や欠点に気づいていた.熟考された合理主義的思考を必要だと考えたのは,まさに私たちの普段の思考がそれほど合理的ではないからなのだ.
科学
  • この合理主義は次のテーマである科学につながる.
  • 科学革命がいかに革命的だったのかは,その果実が当たり前になった今ではわかりにくくなっている.

そしてピンカーは1600年頃のヨーロッパの人々の信念がいかに奇妙で誤っていたかを歴史家の記述を引用しながら説明している.

  • 彼等は魔女が嵐を起こせると信じていた.・・・・・ネズミは藁から自然発生すると思っていた.・・・植物の薬効は姿から推測できる,そしてそれは神がそう自然を作っているからだと信じていた・・・・彗星は凶徴であり,夢は正しく解釈すれば将来の予言になっていると思っていた.・・・
  • 130年後に啓蒙時代を生きた教育ある人々はこれらのどれも信じなくなっていた.それは無知からの脱却というだけでなく,恐怖からの脱却でもあった.中世の「(神の怒りなどの)外部の力が日常生活を左右する」という信念は集合的パラノイアを創り出していたのだ.
  • 「啓蒙運動」の思想家にとっては.この無知と迷信は,伝統的知識がいかに間違いうるか,そして科学の手法がこそ信頼できる知識を得る良い方法であることをよく示すものだった.
  • そしてその知識の中には人間についてのものも含まれる.「人間についての科学」の必要性の理解は,それ以外に異論があるような「啓蒙運動」の思想家たちを結びつける共通項の1つだった.彼等はユニバーサルな人間の本性というものがあり,そしてそれは科学的に探求できると信じていたのだ.彼等は今日でいうところの認知科学者で進化心理学者で社会心理学者で文化人類学者だった.


合理主義と科学の説明の前半部分はよくわかる.合理主義は正しい理解を求め,それを得るには科学的方法のみが有効であり,ドグマや迷信は誤りのかたまりなのだ.後半の「啓蒙運動」思想家たちが「人間の科学」を追い求めていたというのはあまり知らなかったので,目を開かされたところだ.そしてそれが次のテーマであるヒューマニズムにつながることになる.

*1:このdare toはなかなか日本語に訳しにくい言葉だ.「あえて理解せよ」も「大胆に理解せよ」もちょっとしっくりこない.ということでここでは「恐れずに」と訳してみた.