Enlightenment Now その8


第1部で啓蒙運動の中身とその現代的意義を語ったピンカーは,この啓蒙運動を擁護するために,それが真に人類に進歩をもたらしているかの吟味を行う.ここはデータドリブンで,本書で最もページ数の多い部分になる.


<第2部 進歩>

冒頭の引用はオバマのものだ.
「もしあなたが自分の生まれてくる時代を選ばなければならないなら,そしてその時代の誰になれるかはわからないとするなら,つまり裕福な家庭に生まれるか貧乏な家庭に生まれるか,あるいはどの国に生まれるか,さらに自分が男として生まれるか女として生まれるかわからないとするなら,つまり全く盲目的に時代だけを選ばなければならないなら,今この時を選ぶだろう.」


そして第2部の序言をおかずに一気に第4章に進む.この第4章が第2部全体の序章の役割を果たしているのだろう.

第4章 進歩恐怖症 その1

ピンカーはここで,近年の西洋思想家たちにある進歩嫌悪,進歩恐怖を描き出す.

  • インテリは進歩を嫌う.自分たちを「進歩主義者:progressive」と呼ぶインテリは特に進歩が嫌いだ.そして彼等はその進歩から受ける果実を嫌うわけではない.彼等は喜んで紙とインクの代わりにコンピュータを使い,麻酔を使った外科手術を受ける.彼等が嫌うのは「世界を理解することによって我々は人間の条件を改善することができる」という「進歩」というアイデアなのだ.
  • このアイデを侮蔑するための語彙集がふくれあがっている.「盲目的信仰」「擬宗教的信念」「流行遅れの迷信」「偽の前提」「不可避な進歩に向かう行進という神話」「ポリアンナ」「パングロス*1」・・・・
  • この進歩嫌いには長い伝統がある.アーサー・ヘルマンは「西洋史における没落のアイデア」という本で滅亡の預言者は人文科学の世界でのオールスターだと書いている.ニーチェショーペンハウエルハイデガー,・・・そして近年のエコペシミズムの合唱.ヘルマンは啓蒙運動ヒューマニズムの輝きが大きく衰退していることを嘆いている.


引用されているアーサー・ヘルマンの本はこれになる.

The Idea of Decline in Western History (English Edition)

The Idea of Decline in Western History (English Edition)


ここからピンカーはインテリではなく普通の人々が進歩を受け入れないことについての話題に移る.ピンカーは進歩恐怖のインテリたちに対しては第3部で痛烈に批判を行うが,一般の人々に対しては何とかうまく説得したいということなのだろう.ここから一般的人々の進歩受け入れ拒否症候群について丁寧に解説が行われる.

  • そして進歩嫌悪は,世界が地獄に向かっているとという思想を飯の種にしているインテリたちだけではない.普通の人も時にそういうモードにスイッチするのだ.心理学者は人々は自分の将来については楽観的である傾向を発見した.しかしそういう人達も自分たちの社会の将来については悲観的なのだ.世論リサーチャーはこれを「楽観主義ギャップ」と呼ぶ.アメリカ人は自分の将来には楽観的だが,過去40年間常に「アメリカは悪い方向に向かっている」とアンケートに答えるのだ.
  • 彼等は正しいのだろうか.悲観主義は正しいのか.
  • 人々が何故そう感じるかを理解するのは容易だ.ニュースは何か生じたことを人々に伝えるものだ.良いことは少しずつ進み,破局は突然生じる.だからニュースは戦争や災害にあふれ,世の中が今日も平穏だったとか経済状況が少しずつ良くなっているということは伝えない.そして人々が世界を理解する認知システムには「利用可能性バイアス」というバグがあることがわかっている.これは人々の推論を歪ませる.悪いニュースを見聞きする人々は世の中の成り行きについて悲観的になり,運命主義に陥りやすいのだ.
  • どうすればこの認知的な罠から逃れられるだろうか.健全な評価を行うにはどうしたら良いだろうか.答えは「数える」ということにある.定量的なマインドを持ち,悪いことと良いことを数え上げて比較するのだ.そしてこのような定量的な手法は道徳的にも啓蒙運動的だ.それは個人個人の価値を平等に扱うものだからだ.
  • これが私が2011年に書いた「The Better Angels of Our Nature(邦題 暴力の人類史)」の目的だった.そこでは100あまりのグラフや図を出して,歴史の中でいかに暴力が減少してきたかを示した.それが異なる時代に異なる要因で生じていることを示すためにそれぞれの波には名前をつけた.平和化プロセス,文明化プロセス,人道主義革命,長い平和,新しい平和,そして権利革命だ.
  • これらの背後の数字をよく知っている専門家たちはこれらの主張に反論したりしなかった.しかしより広い世間の人々には驚きだったようだ.


ここからはこの暴力の人類史出版後の状況が描かれる.なお非論理的に抵抗する人々の支離滅裂な言い分が詳しく描かれていてなかなか面白い.

  • 私は(この前著の執筆時には)並べ上げたグラフによって人々の利用可能性バイアスを修正できるだろうと考えていた.しかし私はこの本によせられた懐疑と反論によって,人々の進歩嫌いは単なる統計的誤謬よりはるかに根深いことを学ぶことになった.
  • もちろんどんなデータセットも現実の不完全な反映に過ぎない.だからグラフがどれだけ正確で,真実をどれだけ映し出しているかを問うことは正統的だ.しかし反論はそれだけではないことを示していた.それはデータへの懐疑だけではなく,人々の条件が改善されているという可能性を受け入れることについての準備がないことを示していたのだ.多くの人々はそもそも進歩があったのかどうかを判断できる概念的なツールを持っていない.物事が良くなることがありうるということ自体を受け入れることができないのだ.例をいくつか示してみよう.
  • 「じゃあ,暴力は歴史開始以降直線的に減ったというのか,なんと!」 違う,直線的ではない.人々の行動の傾向が一定速度で進んでいるなどということがあれば,それは驚愕すべきことだろう.実際の歴史の経緯は曲がりくねっている.*2
  • 「えーと,暴力は必ずしも常に下がり続けてはいないというのだね.じゃあ,それは循環的だということだよね.だったらたまたま今低くてもまた上がるということでは?」 違う,大きな時間的変化は循環的でなく傾向的であり得る.
  • 「暴力が下がっているなんてどうして主張できるというのか.今朝のニュースであった学校での乱射事件を知らないのか」 低下と消滅は違うのだ.x>yとy=0は違う.
  • 「あなたの暴力減少傾向に関する美しい統計的な議論は,もしあなたが犠牲者の1人であったなら何の意味もないでしょう」 そうかもしれない.でもそれはあなたが犠牲者になる確率が減少しているということを意味しているのだ.
  • 「すると,あなたは,暴力は自然に減っていくのだから,もう何もしなくてもいいといっているのね」 非論理的です,艦長*3.洗濯物が洗濯されてなくなっていくのを目撃したからといって,誰も洗濯しなくていいことにはならない.
  • 「暴力が減少しているなんて主張するのは,ナイーブで感傷的で理想主義的でロマンチックできらきら目のユートピア主義者,ポリアンナでパングロスじゃないか」 違う.暴力が減少しているデータを示して暴力が減少していると主張するのは事実の主張だ.データをみて,なお「そうでない」と主張するのは欺瞞であり,データを否定するのは単なる無知蒙昧だ.*4
  • 「暴力が低下し続けるとどうして予測できるのか.明日どこかで戦争が勃発すればあなたの理論はおしまいだ」 ある計測方法で暴力が低下してきたと主張することは(何かを予測するための)「理論」ではない.そしてもちろん過去の傾向は将来の結果についての保証にはならない.
  • 「だとしたら,あのグラフや分析に何の意味があったのか.科学理論は検証可能でなければならないのではないのか」 科学理論は原因となる要因をコントロールした実験の結果を予測できる.どんな理論も世界を大きなスケールで予測などできない.そして予測能力に限界があることは事実を無視して良いことを意味するわけではない.これまで良い結果が生じてきたということは,何かしら私たちがしてきたことに良いことがあったのであり,それを維持した方が良さそうだということを心にとめておくべき理由になるのだ.
  • これらの反論が論破されていくと,物事をよく考えることができない人々は,しばしば「データが示すよりニュースは悪いことを意味している」と主張する方法を探し求めることになる.つまり彼等は意味論に逃げ込もうとする.
  • 「インターネットトローリングは暴力と呼べるのではないか.」(このほか露天採鉱,格差拡大,環境汚染,貧困,消費者主義,離婚,広告などが持ち出されるそうだ) 確かにメタファーはいい論理デバイスだ.しかしそれは人類の状況を評価するにはいい方法ではない.モラルの判断には量的な考察が欠かせない.確かにツィッターでの暴言はひどいものだ.しかしそれを奴隷貿易ホロコーストと同列に論じるべきではない.レイプ救急センターに駆け込んで「環境汚染もレイプだからなんとかしろ」と騒ぎ立てても,レイプ被害者にとっても環境にとってもいいことはないだろう.
  • 世界をよくするには因果を理解する必要があるのだ.原始的な道徳的直感は悪いことを全部ひとまとめにしようとするが,それを首尾一貫して理解して排除できるような「悪いこと」現象などないのだ.戦争,犯罪,環境汚染,貧困,疾病,非尊重的態度のような邪悪に共通の要因はないのだ.それらを減少させようとするのなら,言葉遊びをしてもしょうがないのだ.


ここが「暴力の人類史」に続いて本書を執筆するに至ったピンカーの動機の1つになるのだろう.とんちんかんな批判に驚きあきれ果てているピンカーの顔が見えるようだ.しかしただあきれていても事態は改善しない.そこで本書ということなのだろう.

*1:ヴォルテールがパングロス博士を持ち出して皮肉っていたのは啓蒙運動による進歩のアイデアではなく,その逆である神義論,つまり苦しみを宗教的に正当化する(世界は疫病と虐殺なしには不可能だとする)試みだったとピンカーは解説している

*2:ピンカーはこう言う歴史の中の細かな上下をチェリーピックした反論があったことも記している

*3:もちろんスタートレックのスポックの台詞だ

*4:Romantic(ロマン主義的)だという批判に対しては,ピンカーは私はこれ以上ないほど反ロマン主義的な「The Blank Slate(邦題 人間の本性を考える)」の著者であり,そこでは人間は進化適応として同情や向上心とともに強欲,情欲,報復心,自己欺瞞を持っていることを示していると書いている.