「系統体系学の世界」


本書は三中信宏による「思考の体系学」に続く単系統群トリロジー第2弾に当たり,分類学(taxonomy)と系統学(phylogenetics)を含む体系学(systematics)とはどのような知的営みであるのかをそのパターン(学説史)とプロセス(科学哲学)から深く解説する一冊.当初上下2巻で構想されていたものが1巻に収まっており,内容が凝縮された濃厚な本になっている.

プロローグ

プロローグは10年前にある雑誌に書いた三中の自分史から始まっている.宇治で少年期を過ごし昆虫や古銭を蒐集していた著者は高校大学時代になると本や論文を読みながらマルジナリアを書き込むことに喜びを見いだすようになる.東大に進み,農学部数理モデルの卒論を書いた後,修士課程に進み生物統計学の研究室に所属する.その年にたまたま(実家に近い)京都で開かれた第16回国際昆虫学会議に参加し,昆虫系統学のシンポジウムに迷い込む.そこである講演者がフランス語で講演するのでと英語資料を配り,著者の元にへニック分岐学の英文テキストが残される.そしてそれがきっかけで三中は体系学の深い「結界」に分け入っていくようになるのだ.以降の本書はこれに続く見聞録及びその前史ということになる.

第1章 第一幕:薄明の前史

ここから三中による系統学の学説史が背景の哲学的論争の意味とともに語られる.本書の面白い工夫はまず全体の流れを大きな曼荼羅図に描き,さらにその部分部分を拡大した詳細曼荼羅図に仕立てて,それを参照しながら歴史を解説していくところだ.うねるように進む群像劇はまさに大河のように流れる.


冒頭で1970年頃の日本の状況を解説した後1930年代からの歴史が語られる.本書の魅力はその詳細にあるが,大きまかな流れは以下の通りだ.

  • 1930年代,集団遺伝学によるダーウィン進化学とメンデル遺伝学の融合の後,エルンスト・マイアーは集団遺伝学の外側領域を大きくまとめた進化学の「現代的総合」を押し進める.マイアーは生物学的種概念と進化的分類を提唱する.これは研究テーマの「オブジェクトベースからプロセスベースへ」という大きな流れの中に位置づけることができる.この提唱当初から,系統復元と分類は分けるべきだとする議論や,全体的類似度から分類すべきという後の数量分類学派との論争,大進化と小進化を巡る集団遺伝学者との軋轢が存在した.
  • 1940年代古生物学者のシンプソンが(兵役から帰還して)現代的総合陣営に加わり,SSE(進化学会)が発足する.そして遺伝学・古生物学・体系学の分野にまたがる地理的変異・不連続性・進化傾向・進化速度の問題を扱い,「新しい体系学」を打ち立てるという政治的目標を追求するようになる.当時の「古い体系学」からの抵抗はブラックウェルダーの「事実の客観性や実証可能性からみて伝統的な分類が重視されるべきである.分類学者の目指すべき大目標は系統関係の表現ではなく,生物が現在持っている形質と性質に基づいて分類することだ」によく現れている.
  • 一方ドイツでは19世紀末より経験を超越する先験的な直感と観念的な法則の説明を重視する超越的観念論が主流であり,それに基づく様々な考察が英米と独立してなされていた.そしてそれは紆余曲折の論争を経た上で観念論に対抗する(共有派生形質,外群比較などの)系統学的な論理を生み出し,ネフの体系学的形態論,ツィンマーマンの系統推定論,ローレンツの行動形質の系統推定論,そしてナチス第二次世界大戦を経た後にへニックの分岐学につながることになる.へニックの論理は相互参照法を用いており,推論形式としてのアブダクションの特徴を持っていた.
  • へニックの仕事は1950年代以降徐々に世界に知られていくようになるが,決定的に英語圏へ浸透したのは1966年の英訳本の刊行以降のことになる.
  • 最後に登場するのは定量的計測とコンピュータを利用したクラスター分析による客観的分類を目指したソーカルに率いられた数量分類学派(表形学派)になる.彼らは直感と系統を徹底的に排除しようとした.*1

第2章 第二幕:論争の発端

第2章ではいよいよ大論争が始まる.ここも曼荼羅に沿ってうねるように解説されている.冒頭ではこの論争を俯瞰するに当たっては論争の論理的な中身だけでなく登場する論客の人間関係,そしてその個性や人格も重要な要素になったことが強調されている.科学者の書く啓蒙書としては異色だろう.論争の最初の流れは以下の通りになる.

  • 最初の小競り合いは1950年代,「古い体系学」のビゲローから「分類と系統は異なり,系統に基づく分類は理論的にみて目指すべき目標ではない」という攻撃から始まった.これは後の表形学派の主張の先取りになる.これに対してキリアコフはへニックを引用して反論した.
  • 次に数量分類学派の大波がくる.それまでくすぶっていた「系統vs類似」が論争の焦点になった.数量分類学派は反復可能性と客観性を強く主張したが,キリアコフは彼らの用いるクラスター分析はアルゴリズムを少し変えるだけで結果が変わってしまうと鋭く批判した.
  • マイアーは,数量分類学派が分類に全体的類似度のみを使い,へニック学派が分岐のみを使うことに対して(使える情報を制限することに)反発した.彼等をそれぞれ表形学派,分岐学派と呼び始めたのはマイアーになる.また彼は表形学派の類型論は本質主義的だと批判し,また操作主義にかかる論点も提示している.


ここで三中は分岐学,そしてその手法としての最節約性原理のルーツが多元的であることをこの論争の叙述の軸として提示している.結局系統樹は種分化として2分岐を繰り返した結果なのだから,その復元には分岐を深く考えざるを得ず,それぞれ独立に似たような方法論にたどりついたということなのだろう.ここも詳細が非常に興味深いが,全体像は以下のようになる.

  • 表形学派の始祖ソーカルは元々全体的類似度に基づく表形的関係と共通祖先からの由来に基づく分岐的関係の両者を意識していたが,後者は「操作的」ではないという理由で捨象した.
  • 遺伝学者のエドワーズとカヴァリ=スフォルツァは最尤法による系統推定の概念を1964年に提示している.これは(のちにNP完全問題であることが解明されるが)計算量が膨大になるために彼等はその近似として「最少進化法」を提案した.これがへニックの最節約法とどういう関係になるかはへニック学派の最節約基準とも絡んでなお議論が続いている.
  • 翌1965年にはカミンとソーカルが「進化的最節約原理」の系統推定法とそのアルゴリズムを提示している.これは真の系統樹があると仮定してそこからシミュレーション研究を行って有効性を示すというものだった.彼等はシミュレーション研究によって「現在の形質状態の多様性は必要最小限の進化ステップで生じた」という前提を置くことが認められるとした.これが現実の進化過程にある制約条件なのか推定値を得るための最適性基準なのかの議論はその後延々と行われることになる.
  • この最節約基準による系統樹探索問題が,NP完全問題であるシュタイナー樹問題と同値であることがその後次第に明らかになった.
  • 植物分類学者のワーグナーは系統復元方法として「祖先発散法」を独自に作り上げた(1961).これはまず(外群比較法により)祖型の原始的状態を推定し,そこからそれぞれの分類群が持つ派生的状態から得られた発散レベルに基づいて系統を推定するというものだった.
  • この祖先発散法はファリスとクルーギーにより改良され「ワーグナー法」として提示された(1969).彼等は計算アルゴリズムを開発し数量分岐学の理論を作った.ワーグナー法は,外群比較,内群比較,形質間の相関基準を用いてOTU(操作的分類単位) 集合の持つ形質の状態が原始的か派生的かを判定し,OTU対の全体的類似度をマンハッタン距離で表し,この距離の総和が最少になるHTU(仮想分岐点)を持つ系統樹を探索する(そしてそれが最節約原理に基づく系統推定になっている)というものだ.ファリスのワーグナー法はカミン-ソーカル法にある前提「形質進化の不可逆性」を除去していることになる.またこの方法は最適解一意性確保のための部分ネットワークでの最節約性条件を追加していること,無根系統樹にも視野に入れていることに特徴がある.
  • ワーグナーもファリスも当初へニックには言及していない.1966年のへニックの英訳本によりヘニック分岐学は英語圏でも知られるようになる.そして1970年にファリスはへニック系統学と(有根系統樹にかかる)ワーグナー法が整合的であることを証明する.

Phylogenetic Systematics

Phylogenetic Systematics


そして勃発した論争の最初の様相は以下のように捉えられている.

  • 1965年マイアーは分岐学派に対して「分類に使える情報のうち分岐の順序のみにこだわり,分化の程度を無視している」と批判し,へニックは体系学の概念や用語には明瞭な定義が必要なのだと猛然と反論した.(この論争の論点は多岐にわたっており,三中は詳しく解説している)表形学派は系統誤謬の論点から分岐学派を批判し,3つどもえの論争となった,この論争には分岐学派からはネルソンとローゼンが参加し,表形学派のソーカルが加わった.
  • ソーカルは進化分類学派の表形と分岐を組み合わせるという方法論が「操作的」ではないと批判し,分類体系の実現可能性の観点から数量分類を擁護した.ソーカルは,進化分類派の系統分類は現時点では全く操作的ではなく目標到達のめども立っていないし,分岐学派に至っては表形的情報を排除してまで系統分類に執着する点で話にならないと考えていた.

第3章 第三幕:戦線の拡大

そして論争は「憎悪の時代」を迎える.ここからは三中の直接的個人的見聞が含まれる内容になる.まずこの論争を歴史的に記述することの意味が吟味される.科学哲学者ディヴィッド・ハルによる「過程としての科学」はその論者の人間関係まで含めて論争全体を俯瞰しようとして書かれた大著だ.

しかしこれにはファリスなどの当事者からその事実性について疑義を出されているし,より広い当事者のそれぞれの伝承を相互評価できた方がいいだろうという認識が示される.さらに体系学の世界では科学者が哲学を武器として戦ってきたことを強調したいという意図も提示されている.ここでは論争当時の激烈な体験エピソードがいくつか紹介されていて大変印象的だ.この前置きのあと論争史が分岐学派を中心にして曼荼羅とともに描かれる.やはり詳細こそ読むべきところだが,大まかな流れは以下の通りだ.

  • 分岐学論争の最大のトリックスター,ガルフ・ネルソンはブルンディンのユスリカの南極横断分布の論文からへニックの系統体系学の存在を知り,それを受容した上で「比較生物学」を提唱,現在から(祖先より姉妹群を重視した)過去を推定する問題を比較法の観点から考察し,仮説の相対的評価基準として最節約性の使用を主張した.(三中はここでファリスもネルソンもそもそも最節約性を主張したときにはポパーの科学哲学とは無縁であったことに注意を促している)
  • へニック自身の系統体系学には進化や地理分布についての「二分岐的種分化」「偏差則」「前進則」などの前提が含まれていた.ネルソン一派はこのような進化に関する前提を系統学から切り離し,分岐図と系統樹を区別し,より一般抽象的な樹形ダイアグラムの体系としての「パターン分岐学」(この理論体系は分岐成分分析と呼ばれる)を創設した.これは後の数理系統学の先駆であり,離散数学の一理論と評価できる.これは「進化プロセス過程の排除は反進化論的な悪手であるのか」「進化の大前提を無視して体系学が科学的に成立しうるのか」を巡って論争を巻き起こす.それは「『パターン』を発見するには『プロセス』に関する仮定をどこまで許容できるのか」という論点も包含する論争となった.三中は,パターンとプロセスの対置は絶対的ではなく相対的に捉えるべきもので,何を説明するべきかの問題意識によりどこまでの仮定をおくかは異なってくるのだろうとまとめている.
  • 進化の方向性の決定について,ヘニック自身は直接的に決定できないので「古生物学的基準」「生物地理学的基準」「個体発生的基準」という補助基準を利用した.しかしその後の論争でこれらの補助基準は棄却されていき,「外群比較法」が注目されるようになる.外群比較はツィンマーマンやローレンツが利用しており,ヘニックも明示的には論じていないが論証スキーム内では確かに利用していた.1970年代以降「逐次的外群比較*2」の必要性が最節約原理と絡めて議論になった.数量分岐派は外群から方向性と単系統性を同時に決定する方法論を「最節約法」として再定式化し,これは1980年代以降標準的な手法となった.
  • 1980年,ファリスを中心に分岐学派はヴィリ・ヘニック学会を立ち上げた.
  • 生物地理学分野においては分断説と分散説で論争がなされていた.この中で分散の議論を好まないクロイツァが地理的分布を統合的に説明しようとする「汎生物地理学」をたちあげた.ネルソンやローゼンはこの議論と分岐学を結びつけた主張を分断生物地理学派として行うようになる*3.この学派は当初はプレートテクトニクスによる分断を分岐学的に実証する試みが主だったが,その後分断・分散のプロセス仮説を科学的にテストするためのパターンをどう発見するか(分断は複数の生物群の分岐パターンで独立にテストできる)という課題に重心を移していった.
  • 分岐学派の内部は以上見たように決して1つにまとまっていたわけではない.パターン分岐学の理論中心に突き進み,方々で騒ぎを引き起こすネルソンに対して,ファリスはその政治的な動きに特徴がある.80年代にファリスは(本来の自らの主張に近かった)系統分岐学派ではなくネルソンの主導するパターン分岐学派側についたが,90年代にはパターン分岐学派を批判するようになる.両派の対立は三対象分析の論点を巡って先鋭化した*4
  • 90年代以降は分子情報を用いた分子体系学についての理論と実践が急速に進歩し,距離法,最節約法,最尤法,ベイズ法のアルゴリズムを用いたコンピュータソフトが次々に登場した.研究者コミュニティ内ではこれにより過去の論争,その科学史と科学哲学に対する興味が薄れつつある.三中はここでかつての論争を忘れて同じ愚を繰り返す危険について警鐘を鳴らしている.

三中は本章の最後に言語,写本,分化,遺物の分野においても,生物分野とは独立に系統推定の歴史があり,最節約的な方法論が独立に発見されてきたことを紹介している.

第4章 生物学の哲学はどのように変容したか

三中はここまで主に論争を通じて体系学の歴史を見てきたが,本章ではこれを科学哲学との関わりという視点から「科学と科学哲学の共進化」として記述していくことになる.

  • 従来の科学哲学は物理学を「典型科学」と扱い,実質的には「物理学の哲学」であった.それが問題視されなかった背景には20世紀前半からの論理実証主義に由来する統一科学運動の残響がある.論理実証主義ウィーン学団の中心的教義になり,「科学は最終的には統一できる」と考えていた.その際の「典型」が物理学であり,その他の分野は物理学の基準に照らして判定された.彼等は生物進化学や生物体系学を格下の二級科学と扱ったのだ.
  • 生物体系学の歴史にもこの影響が見られる.理論生物学者のウッジャーは生物体系学にも物理学のような理論的中核が必要だと論じ,ラッセルが提唱した「科学の公理化」を生物学にも適用しようとした.グレッグは生物分類学への公理論的アプローチを進めることを提唱した.これらの主張はヘニックに影響を与えたとされている.
  • しかし同時代の体系学者はこれらの主張に冷淡だった.三中はその最大の理由は彼等が集合論の概念と数式を駆使したグレッグの論文を「読めなかった」ことだとし,現在体系学に離散数学が不可欠であることを考えると当時の学者たちは自らの数学リテラシーのなさを恥じるべきだとコメントしている.
  • 物理学を典型科学とする「グローバル」な科学哲学から,個別の分野ごとの「ローカル」な科学哲学への移行には様々な試行錯誤があった.筋金入りの創造論者だった昆虫学者トンプソンによる科学的思考と常識の関わりを数理モデルと科学哲学の観点から考察した「科学と常識」という書物もある.
  • 1959年以降新しい動きが始まる.まずウッジャーの流れを汲むベックナーが生物学分野の科学哲学を正面から論じた「生物学的思考法」を出版する.彼は「公理化」を進めようとはせずに,生物学特有の概念(多型的,歴史的,機能的の3つのクラスを設定した)や理論や説明の持つ特性を明らかにした上で,哲学的にどのような考察が可能かを論じようとした.
  • そして同じ1959年にカール・ポパーの「探求の論理」の英訳版が出版される.ポパーは70年代の体系学論争においてその反証主義が大きく取り上げられたが,生物学への最初の影響はその「本質主義」への批判的見解だった.デイヴィッド・ハルやエルンスト・マイアーは,本質主義にとらわれた分類は反進化的であると論じた.
  • 生物学哲学はローカルな哲学として根付き,その生物学哲学者たちは「科学の統一」,そして「生物学は物理学に還元できるか」という還元可能性問題から興味を失った.
  • マイアーは自身の主宰する雑誌への哲学者の投稿を歓迎し,ハルは系統と分類についての理論的考察を投稿した.逆に体系学者も哲学に興味を持ち,ギゼリンは種個物説を主導し,さらにポパーの仮説演繹主義の重要性を指摘した.またギゼリンはダーウィンの議論が仮説演繹法の上にあり時代を先駆けていたのだと主張した.そして生物学哲学者たちはポパーの科学哲学と科学方法論を「武器」として進化生物学や生物体系学の問題に切り込んでいった.
  • 1970年代には英語圏では生物学哲学の教科書が登場する成熟期を迎える.ドイツ語圏では観念論以来哲学と科学の関わりの強さが伝統として残っており,へニック,ネフ,ツィンマーマン等の研究がなされた.共産圏ではマルクス主義の元で独自の科学哲学的考察がなされた.
  • 種が普遍か個体かという種問題論争は現代版の「実在論唯名論」の普遍論争として激しく争われ,「種問題産業」に成長した.ここでレーターやグリフィスは部分全体関係のメレオロジー観点からの種個物説を打ち出した.そして生物体系学に特化した哲学が必要とされるようになった.
  • 最初のポイントは「生物体系学はポパー流の反証可能性からみて科学といえるのか」という論点だった.そして70年代の半ばになって分岐学派はそれを大上段に振りかざすようになる.ワイリーはへニックの分岐学は(ある共有派生形質仮説は潜在的反証者に直面するという意味で)仮説演繹法の要件を満たすが,進化分類学はそうではないと主張した.これにより英語圏では分岐学を支持するにせよ批判するにせよポパー哲学を無視することはできなくなった.
  • このほか進化学はトートロジーなのか,現代的総合は大進化を説明できるかなどの哲学的論点が進化生物学に提起され,生物学に科学哲学的な問題状況がいくつも存在するという状態となっていった.


三中はこの共進化の歴史を振り返って,体系学と体系学哲学は最も地べたに近いところでの知的かつ人的な絡み合いを通じて双方が利するような相互作用があったのであり,そして状況に応じて変化してきたのだとまとめている.


ここまでが生物体系学と科学哲学の共進化の大まかな歴史ということになる.まずマイアーが伝統的分類学を批判するためにポパー哲学を引き入れ,分岐学派はその仮説演繹法をもってマイアーの進化分類を批判するようになったということだ.三中は常々科学哲学は科学者にとっての「武器」だとコメントしているが,それはこのような歴史をみてきたという背景がある訳なのだ.

第5章 科学と科学哲学の共進化と共系統

第4章では科学者と科学哲学者が互いに相手を利用してきた絡み合いの歴史が描かれた.ここからは引き続いてその科学と哲学の絡み合いが作り出した共進化を文化進化的に考察する意欲的な記述になる.
冒頭では物理学と物理学哲学の関係について須藤と伊勢田の対談本「科学と語るとはどういうことか」が採り上げられている.

  • この対談本では物理学者である須藤は「科学者は科学哲学者と没交渉であるし,科学哲学者がほじくり返している問題に意味は見いだしがたい」と語り,伊勢田は「科学哲学者は科学や科学者のために研究しているわけではなく,哲学の内面的な問題意識で動いている」と語っている.しかし体系学と体系学哲学の関係はこれとは全く異なるものであり,いわば文化的な共進化関係にあった.
  • 生物体系学の特徴の一つは研究対象に関する様々な「哲学的」な疑問が日常的に浮上することである.種問題はその典型だ.また「進化史という歴史はそもそも経験科学の対象であり得るのか」という問題もある.これについては,進化においても自然淘汰のような普遍性を持つ法則はあるし,物理学においても個例記述的な問題はある*5のであり,柔軟な科学観が必要だと考えている.


ここから三中は3つのケーススタディをおいている.系統推定論,験証可能性,最節約性原理ということで本書の白眉とも呼ぶべき充実した部分だ.

  • ポパーは,歴史科学を(普遍法則の発見を目指す)一般化科学や(普遍法則に基づく将来予測を目指す)応用科学から峻別した.歴史上の単一生起事象に関する言説が科学たりうるのかは自然科学,人文科学の共通問題の一つだ.そして系統推定論はポパーのいう歴史科学に当てはまる.
  • ポパー自身は単一生起事象に関する言説であってもそれが何らかの予測を生み,テストできるのであれば科学たりうると考えていたようだ.しかし生物体系学では普遍言明ではなく単称言明として(系統樹などの)仮説が立てられることがほとんどだ.これをふまえてケーススタディに進むことにする.
系統推定論
  • ワイリーによるポパーの「反証可能性」の利用は最節約法による系統仮説の選択について「推定された共有派生形質状態を潜在的反証者と見なして系統仮説の反証を仮説演繹的に行う」ものだとして擁護するというものだった.カートミルは多くの形質を利用すると系統仮説すべてが偽になってしまうのだからそれはそもそも非現実的だと批判した.
  • 三中はこの批判は系統選択が相対的ランキングであることが理解できていないものだとコメントし,ソーバーによる「観察事実と系統仮説の関係はポパーの仮説演繹主義に基づく強反証ではなく,観察が仮説に反する証左を与えるという弱反証である」という議論を紹介する.これによると形質データと系統仮説の関係は機能的一般化でも演繹的強反証でもなく非演繹的推論に基づいているということになる.これはアブダクションと呼ばれる推論形式になる.
  • アブダクションへの移行は統計学哲学からも支持される.ネイマンーピアソンは統計学を意思決定のパラダイムとして定式化した.しかしこれとは異なる「データを仮説に対する証拠と見なす」尤度パラダイムという立場もあり得る.そしてアブダクションはこの尤度パラダイムと親和的だ.
験証可能性
  • 1970年代の分岐学者はポパーの仮説演繹法で自らの立場を正当化しようとしたが,最節約法への当てはめが困難であることが次第に明らかになり,体系学者たちはポパーの後期の哲学における験証度の概念に注目し,アブダクションにおいてそれが果たす役割が議論されるようになった.
  • 験証度は条件付き確率で表され,(背景仮定のみ条件と背景知識+データがある条件の仮説が真であることについての)尤度差を規格化係数で割った値で定義される.
  • これに関しては,単純に験証度を上げるには背景仮定が少ない程良いことになるが,実際のモデルベース型の系統推定法は背景仮定を積み上げることが一般的であり,それをどう考えるべきかという議論,さらにそもそも背景仮定をどこまで許容すべきかという議論がなされており,論争はなお決着していない.
最節約原理
  • エドワーズーカヴァリ=スフォルツァ,カミンーソーカル,ファリス,ヘニックはそれぞれ独立に最節約原理にたどり着いた.ではそれはどう正当化されるのか.
  • 最節約原理はしばしば「オッカムの剃刀」と結びつけられて論じられてきた.そしてそれは形而上学的原理なのか,方法論的原則なのかが問題にされている.
  • 分岐学派はそれは方法論的手法だと主張したが,批判者はその基準は生物進化に関する「不自然な」仮定(ホモプラシーが少ないというのは非現実的な仮定ではないか)をおいていると攻撃してきた.三中は,これは現象の発生頻度に対する仮定ではなく,ある系統仮説に対しておかねばならないアドホック仮定に関する最節約性(方法論的最節約性)と考えればその批判に反駁できるとコメントしている.
  • しかし方法論的手法であっても,その最節約基準がどのような暗黙の前提をおいているのか,いかなる条件の下で妥当な結論を導くのかという問題点は残る.そしてこれらについては,長年の論争にも関わらずなお決着していない.
  • ソーバーは一貫して最節約原理の持つ科学哲学的問題を問い続けてきた.ソーバーによるこの論争史は以下のようになる.
  • エドワーズーカヴァリ=スフォルツァは彼等の「最小進化法」を最尤法の近似的方法と位置づけていた.ファリスは最節約法と最尤法の関係を統計学的に考察し,一定の前提のもとある樹形を持つ系統樹とその内部の形質状態を連言として最適化するなら最節約的系統樹は最尤系統樹であると結論づけた.フェルゼンシュタインは逆に最節約法と最尤法が同一の系統樹を導くための形質進化の条件について考察し,ある形質の状態遷移確率が十分に小さいなら最節約法は最尤法と同じ結論を導くが,遷移確率が大きくなると両者の一致は保証されなくなると主張した.
  • ファリスとフェルゼンシュタインの主張が食い違うのは彼等の尤度計算の方法が異なっていたからだった.ファリスは系統樹と内部形質状態の連言を推定し,フェルゼンシュタインは系統樹と遷移確率との連言を推定したのだ.同じ最尤法の名の下に異なるパラメータ群の最尤推定を行ったことになる.
  • フェルゼンシュタインは論争に決着をつけようと「統計学的一致性*6」の概念を持ちだした.形質状態遷移確率をパラメータとして樹形を最尤推定する場合に,最節約法が統計学的一致性を持たない場合があることを示したのだ.この時に示された一連の系統推定法の比較は90年代以降大規模数値シミュレーションに基づく比較研究につながっていく.ヒューゼンベックたちは4群の無根系統樹に対して形質状態遷移確率のパラメータ空間内に最節約法が誤りやすい領域(フェルゼンシュタイン領域)があることを指摘した(1993).フェルゼンシュタイン領域内では長肢相引のリスクが高まる.
  • シミュレーション研究は最初に仮定したモデル系統樹によって結論が変わりうる.シドールは同じ4群モデルで枝遷移確率空間を探索し,最節約法より最尤法の方が成功率が低くなる領域(ファリス領域)を見つけた(1998).ファリス領域では長肢相反のリスクが高まる.
  • 同様の比較研究はいくつもなされたが,最節約法と最尤法の相互比較については結論が出ていない.
  • では統計学的一致性を問うフェルゼンシュタインの姿勢は統計学哲学的には妥当なのか.尤度主義を採るソーバーは,一致性はそもそも問われる必要がないと指摘する.ある推定値が辿るデータ軸に沿った運命にこだわる「一致性」は水平悲観論であり,その時点でのデータのもとでの対立仮説の相対的支持だけを問題にする「尤度」は垂直楽観論であるとし,2つの概念は適用対象が異なるとする.三中は,データから得られた推定値が「真偽」とは関係のないアブダクションの産物であるとするなら,ある時点で得られた仮説が一致性を持たなくともいい(そして最終的にどうなってもいい)というのは当然の帰結であり,系統学者は預言者ではないのだとコメントしている.
  • 70年代にファリスが始めた「尤度を使って最節約法を正当化する」という目標に向かって,ソーバーは80年代以降科学哲学と統計学の境界領域で研究を進めてきた.そこでは尤度による仮説の経験的支持,赤池情報量規準に基づくモデル選択論,共通原因と個別原因による説明などが扱われた.
  • 一方90年代以降離散数学の側から最節約法と最尤法を結びつける研究成果が積み重ねられた.ペニーたちは「形質進化プロセスに関する仮定が何もない」ときには最節約法と最尤法は同一の系統樹を選ぶという定理を証明した(1994).「形質進化プロセスに関する仮定が何もない」(NCM条件)というのは,形質の進化に影響するような既知の共通メカニズムを仮定しないという意味で,根における形質状態は一様分布,形質状態遷移確率は枝によって異なってもよい,ある状態から他の状態にはすべて等確率で遷移する,枝ごとの状態遷移は独立などの条件を置いている.この定理はファリスやソーバーの研究系譜に重要な貢献を追加したと評価できる.そして21世紀以降さらなる一般化と拡張を含む理論研究が続いている.またNCM仮定の是非を巡る論争も続いている.

三中はケーススタディの最後でこの最節約法を巡る議論を振り返り,そして現在では分子データの爆発的増加によって距離法,最節約法,最尤法,ベイズ法を搭載した数百もの系統解析ソフトが存在することをふまえ,それぞれの手法にはそれぞれの理論体系があり,単一の手法ですべてがまかなえる時代ではなく適材適所で使う必要があると指摘し,最後に「分岐学派もまた統計学者やプログラマーたちの『草刈り場』と化しつつある生物系統学の場から少し離れた方が身のためであるように思う」とコメントしている.体系学と科学哲学と統計学の学際領域で戦われた論争の最前線に長く身を置き,分岐学派の変遷を見てきた三中の率直な感想ということだろう.


そして三中は本章の最後に「コーダ」を置き,物理学においては哲学との距離が「鳥が鳥類学者に無関心である」のと同じとされるが,体系学においては「鳥類学者たちは鳥たちの生活の場に深く入り込み,その習性と行動をよく観察しただけでなく,実験的操作を行うことにより鳥の集団がどのように振る舞うかについてのデータを集めることもあった.鳥たちもまた鳥類学者たちの立ち居振る舞いをよく観察し,彼等から学ぶべき点は学び取って自分たちが鳥として激しい環境を生き抜くための武器として使い回した」とコメントしている.哲学は「武器」として使ってなんぼというのは三中が折に触れてコメントしていることであるが,この長い歴史とケーススタディのあとでは確かにそうだなあと深く感じ入るところだ.

エピローグ 科学の百態

エピローグでは「科学に(それもまた歴史的系譜を持つ進化体であり系統樹を持つのだが,)本質はあるのか」を考えるとして,冒頭でグールドとハルの論争を採り上げている.

  • グールドはその最後の大著「進化理論の構造」において,科学のある理論にはその科学史を通じて「本質」があると明言した.「ダーウィニズム」はその「本質」となる教義を明示すれば「定義」でき,科学理論は離散化して捉えられるというのだ.
  • これはハルの科学理論の概念進化モデルと真っ向から衝突する.ハルは科学理論の概念進化における系譜に着目し,過程としての科学をその系譜的視点から見ようとした.
  • グールドは(固有派生形質などの用語を使っていることから見て)科学理論の進化における概念的単系統群の存在は認めつつも,本質的特徴を共有する(必ずしも単系統ではない)理論の群をも認めようとしており,(ハルの分岐学的な視座に対して)進化分類的な考えを持っていたと解釈できる.
  • 研究プログラムの「断絶性」の強調は.いわゆる「共約不可能性」への信念を持っている科学論の特徴だろう.ハルの連続派で系譜的概念進化論に対してグールドは「断続派」なのだ.そして思い起こせばグールドは断続平衡理論を主張する際に,クーンのパラダイム論,ファイヤーベントのアナーキズム科学論,ハンソンの理論負荷性説などの科学哲学の理論を「武器」として有効利用していた.


ここで三中はこの論争を分岐学派のハルの立場に立って擁護し,グールドのような断続派の主張は,それが正しいからでなく「離散的カテゴリーが実在する」という立場がヒトの直感への訴求性が強すぎるために生き残っているの過ぎないのだろうとコメントしている.そして,しかしハル自身の系譜的科学史記述も常に正しいわけでもないと続けている.ハルよりもさらに過激な分岐学的な科学観は可能だろうというのだ.ハルはパターン分岐学についてそれは表形学への収斂であり「ヘニックからの正反対の対極」と呼んでいるが,そうではなく樹形ダイアグラムについての数学的体系化を進め生物系統に限らないより広い分野への進出を可能にしたものだと評価すべきだとする.そしてさらに分散生物地理学と分断生物地理学と汎生物地理学の三つどもえの現代論争史についてのデケイロスの「サルは大西洋を渡った」における記述を厳しく批判している.

  • ケイロスはネオ分散主義の立場からこの論争を長距離分散の見事な実例を数多く紹介した面白い物語に仕立て上げた.そして「この『分散vs分断』論争は分岐学派という邪悪な学説に毒された分断主義者の悪しきドグマが支配する暗黒時代の象徴であり,新ミレニアムに燦然と輝く分子データの元では長距離分散こそ新たなデータ駆動型パラダイムに外ならない」と主張する.しかしデケイロスは最初から「分散vs分断」論争を生物地理学的なプロセスの問題にすり替えている.しかしこの「分散vs分断」論争の1つの論点は複数の分類群の系統関係の分岐パターンの一致を用いて分断と分散を対置するというパターンの問題でもあった.
  • ケイロスの論理のもとでは「奇跡」のような長距離分散プロセスが常に要請されることになるが,そのような長距離分散の反証可能性はどのように担保されるのだろうか.デケイロスはこのような科学哲学的な問題は一切採り上げない.しかしこの科学哲学的問題こそ「分散vs分断」論争の大きな論点だったはずだ.
  • そして90年代以降勃興した分子データを用いた分断生物地理学の後継ともいうべき研究分野「分子系統地理学」についてデケイロスは全く触れていない.これは現代生物地理学史の記述としてはあり得ないと評さざるを得ない.この異様な科学史バイアスはデケイロスがネオ分散主義のスタンスで書いていることから生じているのだろう.
  • またデケイロスは分断主義は理論主導で,分散主義はデータ駆動だったから分散主義の方が優れていたのだとしているが,そんなナイーブな対比ですむわけがない.長距離分散データは時間系統樹の分岐年代推定によりどころを求めているが,その推定は最尤法でもベイズ法でも分子進化の確率モデルからパラメータの事前分布にいたるまで遙かに理論主導型といわざるを得ない.
  • ケイロスがなんと言おうと分断生物地理学の知的遺産は現在でも生き続けている.複数の系統樹の対応関係に基づいて高次の進化的関連性を推測するという問題は,宿主共生者の共進化解析や遺伝子系統樹と種系統樹の解析でも共通して出現する.


なかなか厳しい批判だ.分岐学派としては見過ごせない書物と言うことなのだろう.私もデケイロスの原書を読んだときに分子系統地理学が登場しないのには違和感があったのだが,結局魅力的な物語を大いに楽しんでしまった.ちょうど行動生態学におけるグループ淘汰が絡む問題と同じように,(ナスティとされる)分岐学論争が絡んだ物語を読むときには科学哲学的な論点を含めた背景への注意が欠かせないようだ.


三中はこれらの事例からの教訓は「現代の科学は過去の科学から連なる系譜の末端であり,その変遷のパターンは科学史の観点から,変遷のプロセスは科学哲学の観点から理解することができる」ということだとまとめをおいている.歴史と哲学を踏まえるのは「悟りを開く」ためだけではなく,古くて新しい問題で「同じ轍を踏む」ことを避けられるという実利的側面もあるのだ.そして最後に半世紀前の激しい論争では確かに数多くの深く傷ついた「犠牲者」が出たがそれを単に忘却してもいいのだろうかと問いかける.過去の亡霊はいつ息を吹き返すかも知れないのだからと.

冒頭でも述べたが,本書は体系学の大論争をその科学哲学との絡みから俯瞰した濃密な大著だ.大曼荼羅と詳細曼荼羅を組み合わせて詳述するその歴史はさながら大河が渦巻き流れるように進み,その論点は時に離散数学であり時に科学哲学であり,果てしなく難解であったりどこまでも哲学的であったり,しかも体系学論点との絡みが知的好奇心を激しく刺激する.そしてそこに特異なパーソナリティを持つ登場人物の(おそらくかなり抑えめに書かれているのだろうが)奇矯な振る舞いや政治的な動きが加わる.歴史のあとはこれでもかとさらに3つの論点における体系学と体系学哲学の共進化が哲学理論を大上段に構えて振り回しあったケーススタディとして分析される.その論争の激しさ,怨念,傷跡は最後に唐突に掲載されているデケイロス本への厳しい批判だけ見てもよく感じ取れる.人生とプライドをかけてぶつかり合う学者たちのナスティな戦いはどこまでも壮絶で,なかなか決着がつかない論点を巡る議論は高い知的水準で繰り広げられていて最高に面白い.一気に書き下ろされた迫力もある.ともかくも充実,読むのにも基礎知識体力と忍耐力を試される一冊だと言っておこう.



関連書籍


三中の本
本書と単系統群になる新3部作のあとの2冊.これで登頂計画の7合目到達ぐらいか.

統計思考の世界 ~曼荼羅で読み解くデータ解析の基礎

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そして名著「生物系統学」と旧3部作.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060822http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060730/http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091014http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20101102

生物系統学 (Natural History)

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系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

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分類思考の世界 (講談社現代新書)

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進化思考の世界 ヒトは森羅万象をどう体系化するか (NHKブックス)

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ヘニックの「系統体系学」.1999年に1966年以降の原書改訂版も含めて再英訳された本のようだ.

Phylogenetic Systematics

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ディヴィッド・ハルによる「過程としての科学」1988年の出版だが,Kindle化もされているようだ.


ソーバーによるこの分野の一冊.訳者は三中になる.当時の分岐学論争の様々な論点が提示されている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100704

過去を復元する―最節約原理、進化論、推論

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物理学者と科学哲学者の対談集.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130623


グールド逝去直前の大著.向こうの書評でも「くどい」とされていて,私も購入したものの積ん読のままだ.なおこれはKindle化されている,引き続き売れているのだろうか.本書によると現在工作舎で翻訳書が出される動きがあるようだ.第1章のみの翻訳であるようにも読める表現だが,詳細は定かではない.(6/2追記,三中先生よりツイートでお知らせいただいたが,現在の企画は「全訳」だそうだ.グールドのあの晦渋な文章を延々1400ページも訳して,(決して主流とは言い難い)超分厚く難解な理論本が一体何部売れるか考えると,すごい企画だ)

The Structure of Evolutionary Theory

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そして三中が舌鋒鋭く批判しているデケイロスの一冊.私の訳書情報はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20171112


同原書.原書の私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140713

*1:ここの前ぶりに生物学者は生物に興味があるのであって数式は大嫌いであり,難しい統計学の議論はそもそも読めないということや,それを前提にした進化分類学派陣営のシンプソンの解説本の紹介があってなかなか面白い

*2:外群に基づいてあらかじめ形質状態の原始性と派生性を判定し,その後共有派生形質状態に基づく系統推定を行う

*3:最初の論文はクロイツァとの共著になっているが,クロイツァ自身はこれを無許可の書き換えと激怒し,その後この分断生物地理学派の批判者になる

*4:この部分の解説は本書で最も難解だ.私にはこの図3-23に振られている添え数字の意味が理解できない

*5:三中は小惑星の平山ファミリーを宇宙物理学におけるその例としてあげているが,これは物理学の問題ではなく個例記述的色彩の強い天文学の問題ではないかという気もする.

*6:サンプルサイズを十分大きく取れば標本からの推定量がパラメータの真値に限りなく近づくこと