Enlightenment Now その25

第10章 環境 その3


ここまで環境保護運動がグリーン主義のドグマに乗っ取られたこと,しかし1970年以降世界全体で環境は改善してきていること,改善のポイントは密度と脱物質化であったことを見てきた.ここからピンカーは現代環境保護運動の最大の関心事,地球温暖化について語り始める.これは進歩懐疑派からみれば単純な楽観論を最も受け入れにくい部分だろうと思われ,本書でも重要なテーマになる.

  • 人類がすべての資源を略奪しているわけではないとしても,片方で今のままで環境がよくなっていくと考えるべきでもない.啓蒙運動環境主義は事実に直面しなければならない.それは温暖化ガスによる地球温暖化効果だ.
  • (ここで簡単に温暖化についての解説がある)気温上昇を2℃以内に抑えるためには,世界は温暖化ガスの排出を21世紀中葉までに半分に,そして22世紀までに排出をやめなければならない.これは大変なチャレンジだ.
  • 1つの反応は,温暖化の原因が人類にあるということを否定するというものだ.もちろん仮説に対して懐疑的に対処するのは当然だ.しかし科学の素晴らしいところは,正しい仮説は長期的には反証を跳ね返すということだ.地球温暖化人類活動原因説は歴史上最も激しく挑戦された科学的仮説だ.そして今のところすべての重大なチャレンジは跳ね返された.そして多くの懐疑派は納得した.最近のサーベイでは69,406人の科学論文著者のうち4人だけが地球温暖化人類活動原因説の受け入れを拒否しているにすぎない,
  • しかしアメリカの政治右派はそれを受け入れずに「科学者たちはポリコレに致命的な影響を受けている」という陰謀論に走っている.アカデミアにおけるポリコレドグマのお目付役を自認している私に言わせれば,これはナンセンスだ.物理学者たちにそんなアジェンダはないし,証拠は圧倒的だ.
  • ルークウォーマーと呼ばれる賢明な懐疑派もいないわけではない.彼等は主流派におおむね賛成だが,しかし温暖化の程度はそれほど大きくはないと主張する.彼等は様々な誤差や許容範囲を温暖化をより小さく見積もるように使い,また温暖化への適応も難しくないだろうとする.しかしこれはある意味無謀なギャンブルだ.現在の予想より悪くなる確率が50%あって,さらに5%の場合には破壊的な結果が予想されているなら,対処を考えるのがプルーデントで責任ある態度だというものだ.
  • もう1つの反応は,左派によるものだが,まるで右派の陰謀論を証明するようにデザインされている.これに関する代表的な著作はナオミ・クレインによる2014年のベストセラー「これがすべてを変える:資本主義vs気候」だ.この「気候的正義」運動によると,地球温暖化問題は,自由市場とグローバルエコノミーを廃止して政治システムを変更する良い機会として捉えるべきだということになる.環境問題の政治世界における最も超現実的なエピソードは,クレインが富裕な石油産業のビリオネア温暖化否定論者とともに2016年のカーボンタックス反対論で共闘するに至ったことだ.クレインに言わせると,これはこの法案による課税基準が右派に親和的だったからだそうだ.彼女は「これは正義か悪かの問題であり,コンテストで豆の数を数えるような問題ではない」として地球温暖化定量的に観測すること自体にも反対している.
  • しかし宇宙は自然法則によって動いているのだ.ヒューマンライフに価値を見いだすなら,それを守るためには時に豆の数を数えることが必要になる.
  • また別のよくある反応は,例えば私が受けとった「なぜ地球温暖化と戦うために真の犠牲を払うことを人々に誓わせようとしないのか.誰も犠牲を払おうとしないことが問題なのだ.人々は宝飾品や芸術的な陶器制作を放棄すべきだ.」という手紙によく表されている.
  • しかし宝石をあきらめたからといって温暖化ガスの排出が減るわけではない.この手の主張者の力点は「犠牲」にある.ここには我々が地球温暖化問題と向き合う際に直面する2つの心理学的な障害がよく示されている.
  • 1つ目は認知的な問題だ.人々は量的に考えることが苦手なのだ.彼等は温暖化ガス削減効果が千トン単位なのか十億トン単位なのかを区別できない.そして排出ガスの増加率,大気中の濃度水準,気候に与える影響の区別もあやふやだ.量的に考えられないと実質的に何の効果もない対策で満足してしまいがちになる.
  • 2つ目の障害は「モラル」の問題だ.ヒトのモラルセンスはそれほど道徳的ではない.それは対象の非人間化,可罰への攻撃性を推し進める.さらにそれは贅沢を邪悪,禁欲を善と決めつけ意味のない犠牲ディスプレイに走りがちになる.多くの文化で人々は自分の正しさのディスプレイに断食,貞節,自己犠牲,さらに動物の生け贄などを用いる.心理学者ネミロフのリサーチによると,現代でも人々は他人の行為について,その利他行為が相手にどれだけの助けになったかではなく,その利他行為のためにどれだけ支払ったかで判断する傾向があるようだ.
  • そして人々がよく議論する温暖化抑止対策の多くは,リサイクル,フードマイルの削減,節電などの自発的犠牲を含んでいる.これらの行為がいかに善に感じられようと,我々が対面している巨大な問題の前では単なる目くらましに過ぎない.真の問題は,温暖化ガスの排出は「共有地の悲劇」として知られる古典的公共財ゲームの問題であるということだ.
  • 公共財ゲームの標準的な解決方法はフリーライダーへの罰などの権威による強制だ.しかし芸術的陶器制作を禁止するほどの権力を持つ全体主義的政府が公共の善を推し進めることは考えにくいだろう.結局できるのは,モラル勧告がすべての人に必要な犠牲を強いるのに十分だという白昼夢にふけることだけだ.そんな希望に地球の運命をゆだねるのは賢いとは言えないだろう.そして温暖化ガス排出を半分に減らし,さらにゼロにするのには,宝飾品をあきらめるだけでは全く不十分だ.犠牲を強いる方法だと,すべての電力,暖房,セメント,鉄鋼,入手可能な十分な食糧や衣服,その他のものをあきらめなければならなくなる.
  • 気候正義戦士たちは,先進世界は持続可能な開発によってそれらを達成できるというファンタジーをもてあそんでいる.彼等はアマゾンの先住民の生活を引き合いに出すが,彼等の生活モデルにある太陽光発電パネルでは小さなLEDと携帯の電力を得るのが精一杯だろう.その地域に実際に住んでいる人々は全く別のアイデアを持っている.彼等は貧困から脱出するのに十分なエネルギーを熱望しているのだ.気候正義戦士たちはそう言われると,「途上国を豊かにするのではなく先進国を(労働集約的農業など)に引き下げればいいのだ」と答える.彼等には「まず自分たちでやってみれば」と答えておくべきだろう.
  • 経済成長は先進国でも途上国でも達成しなければならない課題だ.それはまさにそれこそが温暖化への対処のために必要だからだ.ここまで経済成長により,健康,食糧,平和,災害に対して有効に対処できてきた.これらの進歩は人類を脅威に対してより強くしてきた.地球温暖化への対応にもこれらの頑健さが役に立つ.途上国はより豊かになるほど,海面上昇に備えた堤防や退避施設を作り,より充実した公衆衛生プログラムの充実を図ることができる.この理由だけからでも途上国を貧困にとどめておくべきではない.


温暖化問題に対する人々の非合理的な態度を,認知的な「定量音痴」と「過剰なモラル感受性」で説明しようとするのはいかにもピンカーであり,切れ味鋭い.そしてこの2つの問題は非常に取り扱いが難しい.ヒトの本性が絡む非合理性があると,それが自己欺瞞的に自認しにくい問題であり,かつ政治的な賭け金が高くなるとそれを利用しようとする操作的な動きが不可避になるために,問題解決のための合理的な議論が難しくなる.日本ではアメリカほどあからさまな「ポリコレ陰謀説による温暖化否定」や「気候正義戦士」はあまり見かけないが,本質的な難しさは同様だろう.