Enlightenment Now その28

第11章は平和と題されている.これは前著の「The Better Angels of Our Nature」(邦題「暴力の人類史」)で採り上げられていたテーマ「暴力の減少傾向」の中核部分でもある.ここから5章に渡ってピンカーはこの前著のアップデートを行っていくことになる,

第11章 平和 その1

  • 前著で私は21世紀の00年代に至るまで,暴力に関するすべての客観的な計測値は減少を示していることを提示した.
  • 執筆中の時点で,何人ものレビューワーたちが出版前に何らかの戦争によってこの主張が吹っ飛んでしまうかも知れないと私に警告してきた.その時点で心配されていたのはイランとイスラエル間の緊張状態だった,
  • 出版後は,シリアの内戦,ISの暴虐,西欧でのテロ,東欧の混乱,米国での警官による射殺,ヘイトクライム,怒れるポピュリストたちによる人種差別と女性差別の蔓延などの悪いニュースが続いた.
  • そしてそもそも人々に暴力減少傾向を信じさせなかった同じ利用可能性バイアスと否定バイアスが,傾向が逆転したと結論付けをするように働いている.ここから5章に渡って最近の悪いニュースをデータの面から吟味していくことにする.今回はより深い歴史的な力のトレンドからも説明を試み,いくつかの新しいアイデアを付け加えたい.


ここで1500年から2015年までの強大国間の戦争があった期間(前後25年間のうちの何%の期間で戦争が1つでもあったか)のプロット図が提示されている.最初の200年間は75%〜100%,そこから少しずつ下がり始め1825年から1975年までは0〜30%,1975年以降は0%になっている.データソースはリービィとトンプソン2011(ただし21世紀最初の15年のデータ(0%)を加えてある)

  • 人類史のほとんどの期間,戦争は自然な政府の活動で平和は戦争の間のごくわずかな期間に過ぎなかった.グラフは2つのトレンドを背後に隠している.最初の450年間,強大国間の戦争はより短期間に,そしてより低頻度へと向かった.しかし彼等の軍隊がうまく組織化され装備されると強大国間の戦争はより厳しいものになり,頻度は低いが一旦生じると破滅的なものに変わった.そして第二次世界大戦後に頻度と期間はゼロになったのだ.これは「長い平和」と呼ばれる.
  • そして強大国間の戦争がなくなっただけではない,そもそも国家間の軍隊の衝突という形態の戦争自体がほとんどなくなった.そういう戦争が1945年以降同時に3つ以上あったことはないし,1989年以降はほとんどゼロ(例外は2003年のイラク戦争)になっている.今日では軍隊の小規模な襲撃が何十人かを殺すような形態がほとんどだ.
  • 長い平和は2011年以降も何度かテストされた.アルメニアアゼルバイジャン,ロシアとウクライナ朝鮮半島*1だ.しかしいずれも当事国は紛争をエスカレートさせずに矛を収めている.これはもちろんエスカレートが不可能であることを意味するわけではない.しかし当事国がそれを何としても避けようとする理由があることを示している.
  • 戦争地域も縮小を続けている.2016年のコロンビア政府とゲリラ勢力との間の平和協定は,西半球における(冷戦の遺産とも言うべき)武力衝突地域をゼロにした.これはわずか数十年前を思うと大きな変化だ.西ヨーロッパ地域も第二次世界大戦後ゼロになったままだ.東アジアも20世紀は日本軍の侵攻,中国の内戦,朝鮮戦争ベトナム戦争と血塗られていた.現在も深刻な対立は残っているが,国家間軍事衝突は事実上ない.
  • 残っている紛争地域はナイジェリアからパキスタンにかけての一帯に集中している.ここに含まれる人口は世界全体の1/6程度で,紛争形態はすべて内戦だ.ここでは最近の失望の要因をいくつか見つけることができる.冷戦終了後の紛争数は1990年の14から2007年の4まで減少していたのに,2014〜2015年で11,2016年には12になっている.この要因の1つはイスラム過激派,もう1つは(これも反啓蒙運動イデオロギーである)ロシアのナショナリズムだ.
  • 現在の最悪の紛争はシリアの内戦だ.これによる死者25万人は世界の紛争による死者の最近の上昇のほとんどを占めている.(そのグラフが示されている.死者数は2011年以降少し上昇している)しかしその上昇は60年にわたる大きな減少のあとに生じた小さな山に過ぎない.
  • ニュースだけを追っているとこのシリアの惨劇はここ数十年の進歩をすべて消し去ったように感じるかも知れない.しかしそれは2009年以降特に大きく報道されることなく内戦がいくつも終了していること(アンゴラ,チャド,インド,イラン,ペルー,スリランカ),そしてもう少し前の時代の内戦による死者数(インドネシア1945〜46年50万人,インド1948〜48年100万人,中国1946〜50年100万人,スーダン1956〜72年50万人,同じく1983〜2002年100万人,ウガンダ1971〜78年50万人・・・・)を無視している.
  • シリアからの難民の映像は世界は今や最大の難民問題を抱えているような印象を与える.しかし今日のシリアの4百万人の難民に比べると過去の難民の規模の方が遙かに大きい.(バングラデシュ1971年10百万人,インド1947年14百万人,第二次世界大戦のヨーロッパ60百万人)もちろんこれは現在のシリア難民の苦境を無視していいといっているわけではない.しかしこれを解決するためには正確な理解が必要だ.現在の世界がひどい戦争状態であり冷戦状態に戻る方がましだという認識で事に当たるべきではないのだ.確かにシリアは問題だが,世界全体が問題なのではない.
  • ジェノサイドは戦争時に生じることが多い.第二次世界大戦時には,ヒトラースターリン,日本帝国軍により,そして両サイドによる計画的な空襲により大虐殺が生じた.
  • しかし「世界はホロコーストから何も学んでいない」という主張とは真逆に戦後の世界は1940年代のような大量の虐殺を見ていない.(10万人あたりのジェノサイド被害者数の推移グラフが示されている.1940年代の350人という数字から見て1970年頃のピークでも50人,戦後のほとんどの期間は10人以下で2005年以降はほとんどゼロが続いている.ソースはPITF2009, UCDP2016ほか)グラフ上の山を示しているのはインドネシアの反共産主義革命70万人,中国の文化革命60万人,ブルンディのツチ族フツ族の対立14万人.バングラデシュ170万人,スーダン50万人,アミン大統領のウガンダ15万人,ポルポトカンボジア250万人,ベトナム50万人,ボツワナ23万人,ルワンダ70万人,ダルフール37万人などだ.
  • 2014〜2016年のごくわずかな隆起はISISによる4500人,ボコハラムによる5000人,中央アフリカの1750人の虐殺だ.確かに痛ましい数字だが,21世紀の数字は20世紀のそれに比べるとごくわずかなのだ.


戦争とジェノサイドについては前著出版後に生じたシリア内戦が死者数について2011年より世界の状況を悪化させている.これはピンカーの批判者が随分突っ込んだところのようだ.そして確かにシリア内戦は21世紀の出来事としては特異的なもので,全体の傾向推移グラフに逆転を生じさせている.しかし少し引いてみると20世紀中葉から続く低下傾向が逆転したというような大きさではなく,ほとんど誤差の範囲内での出来事だというのがピンカーの主張になる.ここからピンカーは背景の説明を試みる.


前著「The Better Angels of Our Nature」私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130109

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


同訳書 私の訳書情報はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150127

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

*1:延坪島砲撃事件(2010)ではなく,最近のミサイルによる挑発を指しているようだ