「進化心理学を学びたいあなたへ」 その2

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ


序文に続いて最初は進化心理学の基礎についての第1章.主に寄稿部分を中心に紹介していきたい.

第1章 そもそもなぜ進化なのか:進化心理学の基本問題

第1章は進化心理学の基本問題.バス,デイリー,ダンバー,ケンリック,ジョンストン,クルツバンという有名どころによる寄稿が集められている.

1.1 進化心理学という科学革命に参加して デイヴィッド・バス

バスの進化心理学へ至った道が回顧されている.最初は人格心理学から入り,フロイト,スキナー,マズローを学部生として学ぶが,彼等の理論には基盤となる第一原理がなく,どこか恣意的だと感じ,進化理論を知って魅了される.そこで男性が地位に駆り立てられるのは女性へのアクセスが容易になるからだという最初の論文を書く.ただ,その後の院生時代にはそれを封印し,博士号を取り,1981年にハーバードの助教として赴任してから進化的観点からの研究を本格化させる.そしてサイモンズやトリヴァースの理論に出合い,ヒトの配偶者選択にかかる性差の実証研究に進む.そこでさらに行動生態学の理論を勉強し,ヒトについて検証可能なアイデアが爆発的に湧き上がってくるという経験をする.このあたりは新しいエキサイティングな分野が目の前に開けていく時の興奮がよく示されている.

この後1989年に進化的な仮説を初めて大規模なデータで実証した論文を書き,賞賛と批判の嵐に巻き込まれていく.バスは批判の大部分は科学とは無関係な動機に基づくものであり,批判の集中砲火に耐える「図太さ」が必要だったと振り返っている.そして進化心理学は,優れた研究が蓄積されることにより,心理学における最も有用で強力なメタ理論であることが認められるだろうと結んでいる.


前回も紹介したがバスによる最新の進化心理学の教科書.

Evolutionary Psychology: The New Science of the Mind

Evolutionary Psychology: The New Science of the Mind


バスの書いた一般向けの進化心理学本としては次の3冊がある.「The Evolution of Desire」はバスが最も深くリサーチしている配偶者選択にかかるもので,版を重ねて第3版だ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20171023

The Evolution of Desire: Strategies of Human Mating (English Edition)

The Evolution of Desire: Strategies of Human Mating (English Edition)


「The Dangerous Passion」は嫉妬を扱ったもの.

The Dangerous Passion: Why Jealousy Is as Necessary as Love and Sex (English Edition)

The Dangerous Passion: Why Jealousy Is as Necessary as Love and Sex (English Edition)


「The Murderer Next Door」は配偶者選択ではなく殺人を扱った本(特にファンタジーを用いたリサーチが詳しい).私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060708

The Murderer Next Door: Why the Mind Is Designed to Kill

The Murderer Next Door: Why the Mind Is Designed to Kill


「The Evolution of Desire」初版の邦訳書

女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化

女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化

「The Dangerous Passion」の邦訳書

一度なら許してしまう女 一度でも許せない男―嫉妬と性行動の進化論

一度なら許してしまう女 一度でも許せない男―嫉妬と性行動の進化論

「The Murderer Next Door」の邦訳書

「殺してやる」―止められない本能

「殺してやる」―止められない本能


1.2 進化は心の仮説生成器 マーティン・デイリー/マーゴ・ウィルソン

本書が刊行されたのは(そしておそらく本稿が書かれたのも)マーゴの死後のことだが,デイリーはあえて連名にしている.このような原稿を書くときにはどうしてもそうしたいという強い気持ちが伝わってくる.


内容的には進化心理学の位置づけにフォーカスしたものになっている.

  • 進化心理学は「進化生物学における理論や事実を十分に考慮した心理学研究」と定義される.
  • 進化心理学は,「特定の心理学的特性がどのように働くかよりもなぜ存在するのかを問題にしている」と批判されることがある.そして好意的な紹介においても「進化心理学は既に明らかになった心理学的特性の究極因を探るものだ」とされることがある.しかし進化心理学は後付けの説明を行うだけの学問ではない.それは検証可能な仮説を生成し,それを検証するものだ.(ウェデキンドのTシャツ実験を例に詳細が説明されている)
  • そして実際の研究成果の積み重ねは,進化的思考が,有意義な心理学の仮説を生みだす刺激になっていること,そして仮説生成を秩序立てることをよく示している.それは心が適応度極大化に向けてデザインされているという見方から来るのだ.進化的思考を持たないと,しばしばその場限りの仮説を生成し,袋小路に陥ってしまう.(その例としてフロイトのエディプス理論,心の作用を自尊感情防衛機能とする理論が採り上げられて批判されている)
  • 社会心理学の分野でこのようなまとまりのない非ダーウィン的言説が次々と成功を収めるプロセスは,累積的な科学の進歩というより一過性の流行の連続のように思える.一方で進化社会心理学は累積的な発展を遂げている.

このあたりはヒトの心が進化適応産物である以上当然のことだということになるだろう.最後の部分はなかなか辛辣だ.ここから少し細かい議論になる.

  • サイモンズは進化的な思考が心理学において特に役立つのは社会的および性的な感情を分析するときだと述べている.知覚メカニズムの仕組みを考察するなどの場合は,デザインの目的が遺伝子の複製効率でも個人の肉体の生存でも種の保存でもその結論にあまり変わりがないからだというのがその理由だ.
  • しかしそれは自然淘汰の見方が心理学者に役立つ領域を過小評価している.彼が例に出している「飢えないためのメカニズム」も少し深く考えれば,それぞれの目的が相反するような場合がいくらも出てくる.何らかのトレードオフがある場合には進化的な視点は常に役立つのだ.

これは適応主義者の矜持というものだろう.そしてデイリーは自らを適応主義者であるとし,そのスタンスは心理学研究に多くのリサーチクエスチョンをもたらしてくれるのだと述べている.最後はダーウィンのOriginへのオマージュを込めてこう結ばれている.

進化によって形成された生物のあらゆる特徴がそうであるように,心もまた適応度を高めるようにデザインされているという事実を明確に認識することが,心についての私たちの理解を大きく進めてきましたし,今も進めています.


マーティン・デイリー/マーゴ・ウィルソンの本.「Homicide」は殺人研究を一般向けに書き下ろしたもので迫力がある,

Sex, Evolution and Behaviour

Sex, Evolution and Behaviour

Homicide: Foundations of Human Behavior

Homicide: Foundations of Human Behavior

The Truth about Cinderella: A Darwinian View of Parental Love (Darwinism Today series)

The Truth about Cinderella: A Darwinian View of Parental Love (Darwinism Today series)

「Homicide」の邦訳書

人が人を殺すとき―進化でその謎をとく

人が人を殺すとき―進化でその謎をとく

「The Truth about Cinderella」の邦訳書

シンデレラがいじめられるほんとうの理由 (進化論の現在)

シンデレラがいじめられるほんとうの理由 (進化論の現在)


バスやデイリー/ウィルソンの初期の本は,いずれも進化心理学勃興時に得られたあふれ出るような知見が書き手の熱意とともに詰め込まれていて,私も勉強し始めたときに随分熱中して読んだものだ.当時はあまり書評にしていないので紹介できないのが少し残念でもある.


1.3 進化心理学の来し方と行く末 ロビン・ダンバー

冒頭で進化心理学勃興を目の前で見てきたこと,初期の困難や混乱はこの分野がハイブリッドな起源を持つためだろうと考えていることを述べたあと,進化心理学の起源とその歴史をこう振り返っている.

  • 1950年代以降,動物行動学は成功を収め成熟した.その中から動物の社会を研究する分野が社会生態学として発展した.この時代に動物行動学は2つの重要な貢献をしている.
  • 1つは動物を実験室ではなく自然の生息地で研究することの重要性を強調したことだ.もう1つは「ティンバーゲンの4つのなぜ」の違いを明確にしたことだ.これは重要なことで,我々は他の問いについて悩むことなく知りたい問いに挑むことができるのだ.
  • 1970年代の社会生物学の勃興は動物行動学と社会生態学に押し寄せた重要な進展だった.動物行動学は行動の動機や発達に焦点を当てることが多く,その進化的な理由については(しばしばナイーブグループ淘汰的であり)根拠薄弱だった.ドーキンスの「利己的遺伝子」に代表される社会生物学革命は,自然淘汰がどのように働くかの理解を深めさせ,古い動物行動学を新しい社会生物学へ改良させたのだ.
  • 私はちょうどこの頃研究者人生をスタートさせた.最初はアフリカでのサルのリサーチだったが,社会生物学革命は迅速に受け入れられ,利己的遺伝子という強力なフレームワークにより問題意識も仮説構築とその検証も明瞭にできた.またこの革命は問題意識を集団レベルの現象から個体の意思決定の問題に向かわせることになった.
  • このアプローチがヒトの行動への向かうには少し時間がかかった.1980年代からそれは始まるが,そこには2つの流れがあった.1つは行動生態学からのもので,機能的な問いと伝統的な社会に焦点を当て,進化人類学*1と呼ばれた.代表的な研究者にはシャノン,アイアンズ,ベツィーグたちがいる.もう1つは主流派の心理学から発展したもので,認知メカニズムに焦点を当て,進化心理学と呼ばれた.バーコウほかによる「Adapted Mind」はその代表となるものだ.
  • この2つは異なるティンバーゲンのなぜに焦点を当てている.前者は機能を問い,後者はメカニズムに興味を持っている.だからアプローチも異なる.この2つの流れは対立しているのではなく補完し合っていると考えるべきだ.


ここからは自らの研究歴を振り返り,現在考察していることにも触れている.

  • 私は心理学のバックグラウンドを持ち行動生態学的な博士論文を書いていたので双方の考え方が理解できた.1990年代に本気でヒトを研究しようとし始めたときには,まず行動生態学のトピックである配偶者選択や親の投資の問題を扱った.その後ヒトの独自の特徴としての濃密な社会性に気づき,大規模な集団でうまくやっていくための心理学的プロセスを考えるようになった.
  • 私はバーンとホワイテンのマキアベリ知能仮説を刺激され,それを大量のデータを集め直接的に検証しようとした.そして霊長類における集団規模と新皮質の大きさの相関を発見し,「社会脳仮説」を提唱するに至った.このブレークスルーはその後の私の研究のすべてを突き動かしてきた.鳥類と霊長類以外の哺乳類では新皮質の大きさは一夫一妻ペアの絆形成と関連している.これは配偶者と行動をあわせるのは複雑な行為で高度な認知能力を必要とするからだろう.そして霊長類はそれを集団全体に拡張したのだ.
  • その後私の興味は社会関係の本質,そして大きなコミュュニティの形成と社会性の関連に移っていき,友人関係,ネットワークなどを調べるようになった.これらの社会性への探求においては心の理論,そしてそれを超えたメンタライジングが重要な概念であり続けている.
  • 社会性を機能させるために使われているメカニズムにも興味を持っている.この探求は霊長類における毛繕いの重要性の理解,そして「ゴシップ仮説」につながった.さらにゴシップを可能にする言語進化までの間には笑い,歌,ダンスが重要ではないかと考えている.
  • オリジナルな社会脳仮説はグループ規模についてダンバー数として知られるようになる150という上限を示していた.しかしこれには個体差がある.またその後社会ネットワークには高度な構造化があり,レイヤーを上げるごとに規模が3倍になることがわかってきた.
  • 進化心理学の残された課題には,上記2つの流れの統合があると考えている.ヒトの集団を行動生態学的アプローチで完全に説明することが難しいのは,フリーライダーの抑制メカニズムが完全に解明されているとは言えないからだ.罰は有力なメカニズムだと多くの研究者は考えているが,私は罰は不向きではないかと思っている.むしろ共同体へのコミットメント,社会結束のポジティブな力に注目するようがよいのではないか.


ダンバーのこの書きぶりでは,バーコフ,コスミデス,トゥービイたちサンタバーバラ学派は機能に関心があり適応的説明に焦点を当てていないことになるが,これには違和感がある.シャノンたち人間行動生態学者とコスミデスたちサンタバーバラ学派はいずれも適応的な視点に基づいてリサーチを行っており,前者は直接社会パターンや行動を説明しようとするのに対して,後者は行動のもとになる心理的なメカニズムを説明しようとしているということではないかと思う.この点で真にヒトの行動を説明するには後者のアプローチの方がうまくいくだろうというのが私の感覚になる.そして後者のアプローチにおいてなお完全に解明されていない問題としてフリーライダーの抑制があるというのはダンバーの言う通りだろう.
後半部分はダンバーの思索の歴史,そして様々なリサーチや仮説の関連性が語られていて読みどころだ.ネットワークレイヤーの部分は今後リサーチが進展していくことが期待される.


ダンバーはたくさん本を書いている.ここでは代表的なものを紹介しよう.


初期の代表的な教科書の1つ

Human Evolutionary Psychology

Human Evolutionary Psychology


単著としてはゴシップ仮説を扱ったこの本が有名だ.1997年の出版.これは出版された当時(まだダンバーが進化心理学者だとも知らずに)偶然ロンドンで見かけて購入しそのまま読み始めて大変面白かった記憶がある,

Grooming, Gossip and the Evolution of Language (English Edition)

Grooming, Gossip and the Evolution of Language (English Edition)

同邦訳.新装版が出ている.

ことばの起源 -猿の毛づくろい、人のゴシップ-

ことばの起源 -猿の毛づくろい、人のゴシップ-


これは楽しいエッセイ集.ところどころ深い.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110424

同邦訳.抄訳なのが惜しい.私の訳書情報はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110708

友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学

友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学


ダンバーによる愛の科学.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130721 邦訳はないようだ.

The Science of Love

The Science of Love


ダンバーの最近の考察を整理した本.毛づくろいとゴシップの間をうめる「音楽やダンス仮説」にも触れているようだ.

Human Evolution: A Pelican Introduction

Human Evolution: A Pelican Introduction


同邦訳.電子化されないまま何となく買いそびれている.

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす


クライブ・ギャンブル,ジョン・ゴーレットとの共著.考古学的な証拠と合わせて社会脳仮説を論じているようだ.

Thinking Big: How the Evolution of Social Life Shaped the Human Mind

Thinking Big: How the Evolution of Social Life Shaped the Human Mind


このあたりで大御所たちによる大きなテーマの寄稿が一段落というところだ,

*1:人間行動生態学と呼ばれることの方が多いと思われる