「進化心理学を学びたいあなたへ」 その9

 

第3章 認知と発達を進化から考える その2

 
数量情報処理,推論,記憶に続いて生活史にかかる寄稿が収められている.

 

3.4 ヒトの成長を進化からとらえる ブルース・エリス

ブルース・エリスは進化発達心理学の創立者の1人で,思春期・青年期について,特に父親の投資との関連でいろいろなリサーチを行っている.

  • 私は若い頃進化心理学のアイデアに情熱的な興味を抱いた.学部生の頃,社会学のクラスでプレゼンを行うと,それは担当教授を3時間のゲシュタルトセラピーに送るほど動揺させ,これはいけると確信した.
  • 大学院ではバスのもとでトレーニングを受け,大学生の配偶行動を研究した,性的ファンタジーを扱った最初の論文はプレイボーイ誌に報道されたが,実は発達プロセスについて考慮できていないことに気づき満足できなくなった.そして個人が自分の社会的身体的世界に応じてどのような繁殖戦略をとるようになるのかに興味を持つようになり,子どもや思春期の発達を研究するようになった.
  • 私は自分のキャリアの目標として「進化生物学と発達心理学を誘導させた新しい研究分野(進化発達心理学)の創設」をおいている.こうした目的に沿って,発達経験の進化モデルの生成・検証に研究の焦点を当ててきた.私の研究は,家族や生態的ストレスが思春期や初めての性的経験や妊娠にかかる発達帰結に影響を与えることを示しているが,その大きさは個人によって異なる.
  • 実際の研究の多くは子ども時代の経験と思春期発達の間の因果関係を検証するものだ.これはベルスキーたちが1991年に発表した「子ども時代の経験と人間関係の指行性と完食戦略を関係づける理論」の上に乗っている.
  • 私と共同研究者はベルスキーたちのオリジナル理論にいくつかの追加修正を加えた.
  • 家族環境を再分析し,厳しく対立的な家族ダイナミクスと温かく支援的な家族ダイナミクスを区別して,それぞれの相対的効果を調べた.これにより就学前により温かく支援的な養育を受けた女子は思春期発達が遅いことがわかった.
  • また父親の投資と関連させた補足的理論を発展させた.実父と一緒に過ごし父親が養育に多くかかわった女子は思春期発達が遅くリスクある性行動を関与することが少ないことが示されている.また思春期開始タイミングを,養育環境の質に対応した子ども時代の長さを定めるメカニズムとして理論化した.そして子ども時代のストレスを厳しさと予測不可能性の2次元で概念化した.(このほかいくつかの追加理論が解説されている)
  • 現在は子ども時代の経験と性的発達に関して遺伝を含んだ因果関係の検討に焦点を当てている.発達経験についての進化理論では家族環境は思春期開始タイミングに因果的に影響することになる.しかし行動遺伝学にはこの影響が見かけのものに過ぎないという代替理論(家庭の機能不全をもたらすような親の要因が遺伝することにより女子の思春期開始が説明できる)がある.私は遺伝的,環境的に統制された兄弟姉妹の比較手法を開発した.それは(ある時期に離婚してその後は母親が養育した)同じ両親から生まれた年の離れた姉妹を比較するものだ(遺伝的寄与は同じだが,父親との養育期間がこの姉妹間で異なる).この父親との養育への暴露期間はニュージーランドの研究では初潮年齢に強く影響し,アメリカの研究ではリスクのある性行動に影響していた.
  • これらの研究から得られる知見のポイントは,逆境に対して個人を過剰に脆弱にするまさにその特徴が,時に状況に見合ったサポートから利益を得る傾向を高めるという結果が繰り返し得られていることだ.
  • このような感受性には個人差がある.私たちはこの個人差について状況的適応モデルを2005年に提唱した.それは非常に逆境的であったり非常に支援的であったりする場合に子ども時代の感受性発達が高まり,全体として感受性カーブが環境に対してU字型になるというものだ.
  • 最近これを修正した適応調整モデルを提唱した(2011).これはストレス反応システムは3つの主要な機能を持つと考えるものだ.3つの機能とは(1)身体的心理的課題に対する生体のアロスタシス反応を調整(2)環境からのインプットに対する生体の開放性を調整(3)幅広い領域で生体の整理と行動を制御ということになる.
  • 全体としてこれらの研究は家族環境,ストレス生理,性的発達という3つの概念を関連づけようとするものになる.そして進化理論を指針としてストレスの次元によりどのようなストレス生理や性的発達への影響があるかを明らかにするものになる.
  • 進化心理学者として身を立てるのは険しい道のりだ.あなたはきっと多くの偏見と抵抗を経験し,無知な反応や論文査読者に出合うだろう.
  • それでも一度ダーウィニズムというウィルスがあなたの心のソフトウェアに侵入したら,取り除くのは簡単ではない.それはあなたの世界観を変えてしまう.それ以外の世界の見方は不可能になるのだ.
  • 私のアドバイスは4つだ.それは「質の高い研究をしよう」「自分だけのニッチを見つけよう」「自分だけの旗を立てよう(この分野ならあの人に聞けばいいといってもらえるようになろう」そして「海外とのコネクションを作り共同研究をしよう」になる.私自身はそうしてきたし,それは私のキャリアにとって非常に有益だった.


冒頭のゲシュタルトセラピーの話はいかにも社会学がSSSMに染まっていた時代を感じさせるとともに,エリスの人生へのスタンスが垣間見えて面白い.
内容的には子ども時代の環境と繁殖戦略の結びつきの研究紹介が詳しい.一部の結果は,これがなかなか複雑で微妙な現象であることをよく示している.
なおこの現象に関してあまり進化理論的な解説はなされていないが,これはいわゆる「条件付き戦略」ということになるだろう.エリスによると感受性の発達の個人差も(非適応的ノイズではなく)同じく条件付き戦略で説明できるということになる.しかしなぜ非線形応答ということにせずに感受性自体の環境応答モデルにするのかはよくわからない.あるいは初期環境によって感受性が設定され,それが次の時期の環境に対して応答するということなのだろうか.ここではそのあたりの細かいことが解説されていないが,興味深いところだ.


3.5思春期の到来と自己欺瞞 ミシェル・サーベイ


サーベイはカナダの研究者.個人の発達現象の進化,協力における自己欺瞞,配偶行動とパーソナリティの関連などをリサーチしている.本稿では自らの研究内容を解説している.

  • ハーバート・スペンサーは知識の価値は人間の洞察や幸福の促進に重要かどうかで決まると考えていた.それに沿うなら最も価値ある知識は心理学から得られることになるだろう.
  • 私も自然法則の中で人間心理を考察し理解することに長年興味を持ってきた.動物行動学,生態学,比較心理学,人類学,進化生物学などを学び,背景知識を得て社会生物学や進化心理学の道に進んだ.進化心理学は,ヒト以外の世界を支配しているのと同じ基本法則からヒトを理解しようという試みになる.(その基本アイデアについて詳しく書かれている)ここから私の研究について説明しよう.


<進化と発達(生活史)>

  • 進化と発達は生物学の中で重要なテーマだ.個体発生プロセスと系統発生プロセスを一致させようとするヘッケル,ホール,(そしてヒトに関しての)フロイト,ピアジェたちの取り組みは反復発生理論に基づいており,それはダーウィニズムではなかった.それ以降多くの心理学者は進化的な説明に背を向け,行動主義を採用するようになった.
  • しかしここ30年ほど進化心理学の成長により,ヒトの発達についての進化的アプローチが復興しつつある.これらの取り組みにおけるコンセンサスは「個人が生涯を通じて経験する一連のステージは,いずれもその時点での環境状況への何らかの形での適応だ」というものだ.この最新の取り組みは発達システム論と生活史理論に立脚している.これは,生物の発達は個体発生に対して働く長い淘汰プロセスによって形作られ,その結果としてその種の生活史があると考えるアプローチになる.
  • 思春期の開始は注目を集めてきた生活史イベントだ.学部生時代に私は生物の発達・繁殖機能に社会的環境がどのように影響するかを知った.例えば非血縁のオスの臭いを嗅いだラットのメスはそうでないメスに比べて早く成熟する.私は1980年代にこのような研究をヒトに広げようと考えた.
  • カナダでの調査で,父親が不在で高ストレスか,あるいは継父と同居している少女の初潮時期がそうでない少女に比べて早いことを見いだした.このような知見は繰り返し報告され,拡張や理論化が進んでいる.
  • 私はさらにその初潮の早さの一部分は母親の初潮の早さで説明できることも見つけた.この効果の一部は遺伝的なもので,一部は初潮の速い母親は早く結婚し離婚しやすいことで説明できるだろう.ストレスは通常初潮を遅らせるが,父親不在などの特定条件下では逆に早める.これらの複雑な関係について研究者たちは統合モデルを作るべく取り組み続けている.


<自己欺瞞>

  • トリヴァースは自己欺瞞は相手をよりうまく騙すために進化したと論じた.しかしそれはほかの目的(認知負荷を減らす,家族の絆を高める,互恵的あるいは血縁的協力行動を促すなど)のために組み込まれたのかも知れない.
  • 私は「我々は協力を促進するために自己と他者の意図について自己欺瞞に陥る」という仮説を立て,自己欺瞞についてのアンケート調査を行った(参加者の協力傾向については別途囚人ジレンマゲームの行動によっても測定した).予測通り参加者は非血縁者より血縁者とより協力すると答えたが,自己欺瞞の程度の高い参加者はより協力すると答えた.
  • さらに抑鬱的な人は自己欺瞞と協力が低いのではないかと考え,鬱と自己欺瞞と協力の関係も調べた.これも予測通り自己欺瞞的な人はより協力し,抑鬱傾向も低かった.これについて進化的にも考察した.鬱は協力を一部サボタージュし,自身の交渉力を高める機能があるのではないかと考えている.
  • クルツバンとアクピティスは自己欺瞞はモジュール性の副産物であると主張している.しかし副産物というより目的のあるモジュール性のは生物であり適応的だという方がありそうだ.


<配偶者選択>

  • 配偶者選択は性淘汰,親の投資,性戦略の理論に基づいている.この分野は進化心理学で最もよく研究されているトピックであり,これから研究する上では特にオリジナリティが重要になる.
  • 私はこのトピックの研究を開始するにあたって「潜在的な配偶相手について『攻撃的でない』あるいは『親らしい』と形容されていることがどのように女性の配偶者選択に影響するか」を調べた.当時『優しさ』については男女ともに相手に求める性質であるという知見は確立されており,こうした評価に性差がないと受け止められていた.私たちはこの『優しさ』という言葉の意味合いには性差があるのではないかと考えたのだ.女性にとっては『自分に危害を加えない』『子どもに投資してくれる』ことが重要であるからだ.
  • 調査してみると,予想通り『身体的危害を加えないこと』も『親の資質が高いこと』も女性に対してのみ性交渉意欲を増加させた.
  • これ以外には配偶価値の自己評価が男性の配偶戦略を変えるか(長期戦略か短期戦略か)を調べた.予測通り,自己評価を操作的に高めてやると男性はより短期的配偶戦略をとる傾向をみせ,戦略の個人差の10〜20%は自己評価によることを示唆している.女性は自己評価の高さが短期的戦略に向かう傾向はなかった.女性の場合には自己評価が高いほど(短期的配偶相手の選別)基準が厳しくなるようだった.
  • 進化心理学は20世紀の最後の四半期に北アメリカで開いた学問領域だが,そのルーツは多くの国の哲学や思想史まで広がっている.また学問史自体学問の重要な要素だ.だから古い書物を開くのを恐れてはいけない.


生活史,自己欺瞞,配偶者選択と研究テーマが幅広く,それぞれについて研究を進めるにあたってどのように独自性を追求してきたかがわかるように書かれている.
鬱が(自己欺瞞的)戦略的サボタージュだというのは斬新なアイデアだが,サボタージュが交渉力を増すように働くか,それとも逆に働くかはかなり文脈依存的ではないだろうか.何らかの交渉がある状況で鬱が適応的だという仮説だとしても鬱のような状態が平均して有利になるとは思えず,疑問だ.
なおここでクルツバンが自己欺瞞を副産物であると主張したとされているが,これは誤解ではないかと思う.クルツバンは明確に自分の評判を保つためには報道官は知らない方が有利であると語っている.


自己欺瞞についても語るクルツバンの本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20111001


同邦訳.私の訳書情報は私の訳書情報はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20141001

だれもが偽善者になる本当の理由

だれもが偽善者になる本当の理由


そして自己欺瞞についてはトリヴァースによるこの本は外せない.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120523

 

コラム3 「あたりまえの根っこ」としての進化理論 橋彌和秀

 
日本人研究者によるコラム第3弾はコミュニケーションや心の進化発達的基盤に行動実験でアプローチしている橋彌によるもの.自らの履歴と研究者としての姿勢を語っていて深い.

  • 高校の時には臨床心理学に興味を持ち,河合隼雄のいた京都大学教育学部を受験したが,一浪しているうちに「言葉」や「科学」に興味を持ちだした.入学後は講義にも出ずに本を読み仲間と議論し世界を放浪する生活を送ったが,結局臨床心理と科学の間に折り合いがつかず悶々としていた.
  • 3回生になった頃ドーキンスの「利己的な遺伝子」と立花隆の「精神と物質」を読み,前者の膨大な知見と後者の分子生物学の実験デザインの美しさにしびれる.そのころ松沢哲郎のチンパンジーの比較心理研究の集中講義を受け,その実験デザインも美しいと感じ,霊長類研究所に見学に行く.そこの院生にこれぐらい読んどけといわれて,クレブスとデイビスの「行動生態学」も読む.
  • ここに至ってようやく「臨床心理学は科学ではない*1」「自分は臨床には向かない」ことに気づく.そしてヒトには興味があったので霊長類研究所に進み,チンパンジーの心理学実験を始める.
  • 院生の頃「種の起源」を精読してそのロジックの強靱さに感動したのが進化心理学との関わりの始まり.そしてヒトの赤ちゃんや子どもを対象にした研究に移行して現在に至る.
  • 私にとってのヒーローはデイヴィッド・プレマック,ニコラス・ハンフリー,ダン・スペルベルの3人だ.彼等は皆,真っ当な自然淘汰理論を根幹に持ち,明晰な哲学的思考と自然科学的な方法論を用いて独創的な研究を成し遂げている.これらはあたりまえのようでとても貴重だ.そして自分も(せめて方向性として)そうありたいと思っている.自分なりの思考の基盤としての進化理論と方法論を内に根付かせて,オリジナルな研究をささやかに提示するあたりまえの自然科学者の1人でありたいと思っている.

 
橋彌のインテレクチュアルヒーローの3人の名前はなるほどという印象だ.確かにみな進化的な視点を持ちつつ極めて独創的にヒトの心の謎に迫っている人達だ.

橋彌の訳している本.ギャバガイは原著は古い(1986年)が,その価値を高く評価する橋彌によって昨年訳し直されたされたものだ.(再訳の経緯については,訳者解説で1989年の西脇与作の訳本が絶版になっていたので訳し直したとだけあるが,おそらく哲学者の西脇訳は21世紀の自然科学者には相当読みにくいものになっていたということだろう)

ヒトはなぜ協力するのか

ヒトはなぜ協力するのか

*1:善悪の問題ではないと断り書きがある.仮説検証型の営みではないという意味だろう