Enlightenment Now その40

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第15章 平等権 その3


平等権.まず人種差別,性差別,同性愛嫌悪が扱われた.ピンカーは次に子どもの権利に進む.
 

  • 幼い子どもは,自分から主張できず,他者から守られなければ危害を避けられない.既に見てきた通り,世界中の子どもの状況は良くなってきている.出産時に母親が死亡することは減少し,5歳まで生きる確率は増えている.餓死も減っている.本章では他者から与えられる危害についてみていこう.
  • 子どもの幸福はニュースのヘッドラインが私たちを震え上がらせるもう1つの領域だ.メディアは学校乱射事件,虐待,性的虐待,デートレイプを取り上げ,状況が悪化しているような印象を与え続ける.しかしデータは異なることを示している.
  • 社会学者デイヴィッド・フィンケルホーは,2003年から2011年の50の子どもへの暴力事象についてデータを分析し,そのうち27事象は有意に減少し,増加しているものはないことを報告している.特に減少しているのは,暴力的いじめ,強制猥褻,性的虐待になる.

(ここでアメリカにおけるこの3現象の1993年から2012年の推移グラフが示されている.10万人あたりの現象数はそれぞれ着実に減少している.ソースはNational Child Abuse and Neglect Data Systemほか)
 

  • これらとは別の子どもへの暴力が減少している事象は懲罰としての暴力だ.鞭打ちなどの子どもへの体罰は古代よりありふれていた.しかし子どもへの体罰は現在半数の国で違法とされている(日本でも学校の体罰は教育基本法で禁止され違法となっている).アメリカはここでも先進民主主義国のアウトライヤーであり学校でのパドリングの体罰を違法化していない.しかし様々な体罰はゆっくり確実に減少している.

 

  • オリバー・ツイストの世界では9歳児が過酷な労働を強いられる.このような残酷な子どもの労働はヴィクトリア朝に始まるわけではない.子どもは歩けるようになると農場でも家庭でも労働させられるのが普通だった.誰もそれを搾取だとは考えなかった.
  • 17世紀のロック,そして18世紀のルソーのの論説によって子どもの労働への考え方は変化した.苦労のない子ども時代を過ごすことは生まれながらの権利と考えられるようになったのだ.20世紀になると子ども時代は神聖化され,「経済的には無価値だが感情的にはプライスレス」とされた.西洋社会は徐々に子どもの労働を排除していくようになった.そのような風潮の良い例は1921年のトラクターの広告コピー「子どもを学校に行かせよう」に見ることができる.
  • 子どもの労働に対するとどめの一撃は義務教育化だ.これにより子どもを労働力として恒常的に用いることは明確に違法になった.

(ここで労働市場に組み込まれている子どもの割合の1850年-2012年の推移グラフが示されている.グラフはそれぞれの国での定義が微妙に異なり完全なものではないが,傾向は見て取れる.ソースはOne World in Data)
 
One World in Dataのサイトに行ってみると,本書で提示されているデータは基本的に以下のグラフになるようだ.

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また先進国以外については1999年以降の以下のグラフもある.

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  • 子どもの労働は工場だけでなく農林水産業にもある.そしてそれは国家の貧困度と関連する.貧しいほど多くの子どもが働くことになる.賃金が上がったり,国家が子どもを学校に行かせた両親に金を払えば子どもの労働は減る.つまり親は強欲からではなく絶望から子どもを働かせるのだ.
  • 子どもの労働についての進歩は,世界経済の繁栄とモラルキャンペーンの両方に後押しされている.1999年,180カ国によって「最悪の形態の児童労働の禁止及び撤廃のための即時の行動に関する条約(1999年の最悪の形態の児童労働条約」が結ばれた.この条約では「最悪形態」として,奴隷労働,人身売買,債務拘束,売春,ポルノ,麻薬労働.戦争従事を挙げている.2016年までに根絶しようとする目標は達成されなかったが,根絶に向けた減少モメンタムは顕著だ.

 
日本でもつい最近までは親による子どもの虐待は家庭内の問題として(よほどひどい場合以外には)見過ごされることが通常だったように思う.しかしこれについても世間の受け止め方は随分変わってきているように感じる.世間がより虐待に対して厳しくなるほど通報件数が増えるために時系列での動向の把握は難しいようだが,実感としては徐々に良い方向に変わってきているように思う.