書評 「ワニと龍」

ワニと龍―恐竜になれなかった動物の話 (平凡社新書)

ワニと龍―恐竜になれなかった動物の話 (平凡社新書)

 
本書はワニの専門家青木良輔によるワニに関する一冊.かなり前の本だが,「名著である」という評判を聞いて取り寄せて読んでみたものだ.
 
全5章の構成だが,互いに関連づけはなく,それぞれ独立したエッセイのような形で本になっている.その中では第1章に納められている「龍」とワニについての考察が圧倒的に面白い.
 
第1章は「龍」とは何か.ここではテーマについての著者の考察が,その進展に沿って行きつ戻りつしながら記述されているが,まず以下の点が確認される.

  • 中国の古典「春秋左氏伝」や「史記」読むと「龍を飼っていた」などの記述がある.元々殷や周の時代には「龍」は実在の動物(そして記述からはおそらく大型のワニの一種)を表記する漢字であったと考えられる.しかしその後身の回りから姿を消し,信仰の対象になったようだ.
  • 前漢時代にはワニとして「鼉」と「蛟」の文字が当てられている.中国には小型でおとなしい(そして耐寒能力も持つ)ヨウスコウアリゲーターとして知られるワニが分布するが,これは「鼉」だと考えられる.「蛟」は大型のワニと考えられる.これも前漢時代には生息していたが,その後姿を消したようだ.
  • 「鰐」の字は後漢以降に現れる.漢字の原則から行けばワニを表す字は虫扁になるはずであり,魚扁になっているのには何らかの事情があると考えられる.

 
ここからが著者の推測になる.

  • 中国の古気候を考えると,殷から周の初期,その後の一時期の寒冷化を挟んで春秋戦国時代から秦漢初期にかけては今より3度から5度温暖であり,大型のワニの生息も可能だったと考えられる.
  • この大型のワニが当初「龍」であり周後期の寒冷化時代に一旦中華文明圏から姿を消し,その後信仰の対象となった.前漢時代には再温暖化してこのワニが再び分布するようになったが,もはや「龍」とは考えられず,新しい「蛟」が当てられるようになった.しかしこのワニも前漢中期の寒冷化により再び姿を消したと考えられる.
  • この「龍」「蛟」の大型ワニの候補にとしてはイリエワニが考えられるが,なお気温が足りず無理だと思われる.おそらく(最初に日本で化石が発見された)絶滅種マチカネワニがその正体だろう.(この部分では最近広東で発見され,マレーガビアルであるとされたワニ骨の正体についての詳細な推測が読みどころになっている).
  • 後漢時代に「鰐」の文字が作られたのは,当時の学者が「龍」「蛟」の正体に気づいたが,大型のワニについてすでに皇帝の権威と関連して神格化されているこれらの字を使うのをはばかって魚扁にしたのであろう.

 
このほか本章ではワニの系統分類(アリゲーターとクロコダイルとガビアルの関係),なぜ龍に角があるのかなどの話題も満載で大変楽しい.
 
第2章ではワニの雌雄判別法が解説され,これに絡んで恐竜絶滅(しかしワニが絶滅していないこと)について紫外線減少がビタミンDの生成を阻害したから(そしてワニは夜行性だったり水中に身を沈めていたからそもそも紫外線量に大きく依存していなかった)だという説を大まじめに提示している.
 
第3章はワニの形態を巡る蘊蓄.アリゲーターとクロコダイルでは手の形態が異なり,クロコダイルはより陸生起源であると考えられ*1アリゲーターにはない感熱器官を持つこと,ワニとトカゲの顎部の外部形態の最大の違いは歯が見えるかどうかであり(水生にならないと口唇は退化しない),そこから考えるとティラノサウルスのような肉食恐竜も歯は見えていないはずであること,ワニの二重瞼の意味などが解説されている.これでもかと語る蘊蓄ぶりが楽しい.
 
第4章はワニの食性.貝や甲殻類を食べる場合には丸い歯と高い顎(口角が上がる)が進化するなどの蘊蓄が語られている.また人喰いワニの話も詳しい.
 
最終第5章はそれ以外の雑多なエッセイが集められている.最初は恐竜話.ヴェロキラプトルのリトラクタブルな爪が必殺の武器であるという説は有名だが,著者は硬度の高くないケラチンの爪がそんな必殺の武器になるはずがないと否定する.これにはちょっと考えこまされてしまった.そのほかエジブトのワニ信仰,ワニの保全と皮革業界の関係などが取り上げられている.
 
本書は,読者の理解がどうとかに関係なく,いかにも筋金入りのワニオタクの著者がひたすらワニについて語りたいことを蘊蓄たっぷりに語るというスタンスで記述され,その独特の文体や語り口が不思議な味わいを与えている.そして中身はいろいろ楽しい.ちょっと読みにくいし,内容も玉石混淆気味だが,「龍」についての考察はとても説得的で,評判通りの「名著」と言っていいだろうというのが私の感想だ.

*1:最近これに関する論文を偶然目にしたが,どうもそう簡単ではないようだ.https://www.nature.com/articles/s41598-018-36795-1.なおこの論文ではワニの系統樹は本書で用いられている(アリゲーター(クロコダイル・ガビアル))ではなく((アリゲーター・クロコダイル)ガビアル)になっている.私は詳しくないのでよくわからないが,このあたりもまだ確定していないのだろうか.