Enlightenment Now その44

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

第17章 QOL その1

 
第17章ではピンカーはQuality of Life(生活の質)を取り上げる.なぜこれを取り上げるのか.ピンカーはこう始めている.
 

  • 感染症や飢餓や文盲の問題を解決したことを示しても「経済学者が示すようなもので人の幸福が測れるのか」という懐疑を持つ人がいるかもしれない.「基礎的な需要が満たされた後はそれ以上の富は浅薄な消費につぎ込まれているだけではないのか? かつてソ連や中国やキューバで健康増進や識字率の向上が大々的に宣伝されたが,そこでは人々はあまり幸福ではなかったのではないか? 人は健康で文字が読めても意義ある人生を歩めるとは限らないのでは?」
  • この手の疑問の一部には既に答えている.全体主義は退潮傾向だ.女性や子供やマイノリティの権利保全は着実に向上している.ここではより広い文化悲観主義(物質的な富は浅薄な消費とくだらない享楽に役立っているだけではないのか)に答えていこう.

 
具体的な数字の提示や議論に入る前にピンカーはこの手の懐疑主義者に一発入れている.

  • ここではっきりさせておこう.この手の批判は文化的宗教的エリートの人間嫌いという長い伝統の上にある.20世紀初めの英国のエリートは一般庶民への軽蔑を隠さなかった.そのような文脈では「消費主義」という言葉はしばしば「私じゃない人間による消費」という意味で使われる.そしてそのようなエリート自身,ハードカバーの本,うまい食事とワイン,芸術,海外旅行,子どもを有名大学で学ばせることを鼻にかけているにもかかわらずだ.

ピンカーはここで古いジョークを1つ紹介している.

共産主義者が革命を煽る「労働者よ,革命に参加せよ,革命が成就すればみながアイスクリームといちごを食べられるようになる」.群集の先頭の男がつぶやく「でもアイスもいちごもあまり好きじゃないんだが」.アジテーターはこう叫ぶ「革命に参加せよ,そうすればアイスもいちごも好きになる」

 

  • アマルティア・センはこの罠を「究極のゴールは選択が可能になることだ」と定義して避けた.マーサ・ヌスバウムは一歩進めて「すべての人が実現の機会を与えられるべき基本的な可能性のセット」とした.彼女のリストには,長寿,健康,安全,識字能力,知識,表現の自由,政治参加の自由が並び,さらに美的経験,リクリエーション,遊び,自然を楽しむこと,感情的絆,社会的帰属,その人自身の定義による良い生活を送ることまで含まれている.
  • ここでは現代がこれらの可能性をどう広げてきたのかを見ていく.そしてこれらの可能性領域の拡大こそ進歩と考えられるものだ.

 

ピンカーはここから具体的なテーマを扱い始める.最初は自由になる時間だ.

  • 生存のために必要な時間の減少は進歩の1つの指標になるだろう.初期農業は日の出から日の入りまでの労働が必要だった.狩猟採集民は確かに狩猟と採集自体には1日数時間しか使わないが,取ってきた食物のプロセシングに多大な時間を使っている.
  • 西欧では1870年の平均労働時間は66時間,アメリカでは62時間だったが,現在はそれぞれ28時間,22時間減少している.1950年代に私の祖父はモントリオールの市場のチーズカウンターで働いていたが,昼夜週7日年365日こなし,解雇を恐れて労働時間の短縮を言い出せなかった.労働法が強制適用になるまで,毎週1日の休みはなかった.
  • 今日多くの人々は休日に本を読んだりオシャレして出かけたり国立公園を訪れたりできる.これはまさに現代化の恩恵だ.
  • われわれはしばしば引退後の財政問題を悩むが,そもそも「引退」のコンセプトはここ50年ほどで現れたものだ.少し前まで平均的なアメリカ人は働いた後は死ぬだけだった.現在の平均引退年齢は62歳だが,100年前のアメリカ人の平均寿命は51歳に過ぎなかったのだ.

西欧とアメリカの1870年から2000年の労働時間の推移,アメリカ人の65歳以上で働き続ける人の比率の1880年から2010年までの推移グラフが載せられている.労働時間は60時間台から下がって現在40時間ほどになっている.アメリカ人の高齢者の労働割合は70%台後半から下がり,現在は20%台になっている(なお2000年代以降は少し上昇している).ソースはローザー2016およびハウゼル2013

なおOur World in Dataにも労働時間のグラフがある.

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  • かつてアメリカでは労働者は高齢で働けなくなった後は経済的な困難に直面する可能性があった.しかし今日様々なセイフティネットの整備に伴い高齢者は若者よりリッチになっている.労働運動や法制化はかつての夢物語である「有給休暇」を実現させた.
  • 労働時間の減少,早期退職,休暇制度の充実により,平均的なアメリカ人の総労働時間は1960年頃の3/4になった,そしてこれは全世界的な傾向だ.

 
ピンカーは扱っていないが,Our World in Dataには国別の一人あたりGDPと労働時間の散布図も掲載されている.この図は2014年のものだが,サイト(https://ourworldindata.org/working-hours)においては下側にバーがあってこれを動かして1990年から2014年まで連続的に見られるようになっている.基本的に豊かになると労働時間が減るのだが,シンガポールと香港が外れ値になっているのが興味深い.

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日本でも労働時間は着実に減少している.厚労省のサイトで見てみると年間総労働時間は1960年頃は2400時間を超えているが,2016年で1724時間となっている*1.(なおこれはパートタイムを含んでいるのでその比率の影響も受けていると思われる.一般労働者の総労働時間は2000年以降は2000時間強で横這いになっている.)昭和の高度成長時代には365日休みなしの農村から都会に出て工場などで働くと日曜日が休みになるという魅力があるのだといういわれ方がされていたものだ.
日本の退職年齢や退職者の比率の長期間のデータは見つけられなかった.最近では退職年齢引き上げが基本的な傾向(日本だけでなくドイツ,フランスなども引き上げ傾向)なのでこれはピンカーの議論とはうまく整合しないのかもしれない.日本では大企業等では一律定年制が基本であるのに対し,アメリカでは,基本的に雇用者側の解雇自由とセットで定年制度がない(一律定年制は基本的に年齢に基づく差別ということになる)ので,少し事情は異なってくるだろう.

*1:なおこれは最近何かと騒がれている毎月勤労統計の数字になる