Enlightenment Now その49

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第18章 幸福 その3

 
ピンカーは幸福について,それは相対感で決まる部分やトレッドミル的にベースラインに戻ろうとする傾向があるのは事実だが,しかしイースタリンパラドクスは成り立たず,基本的に経済的に裕福になると幸福度が増していくのであり,それが進歩の重要な側面であると指摘した,ここからアメリカの状況が論じられる.
 

  • 裕福さほど幸福度がない国の1つがアメリカになる.アメリカ人が幸福でないわけではない.アンケートにおいて1/3は非常に幸福と答え,10スケールでの幸福度の回答平均は7になる.しかし2015年の調査ではアメリカ人の幸福度は世界第13位で,一人あたりGDPがアメリカより少ない10カ国より低いのだ*1
  • さらにアメリカ人の幸福度はここしばらく上昇トレンドを示していない.アメリカ人の幸福度は1947年以降経済情勢により上下しながら一定のバンドに収まっている.(この停滞は裕福さと共に幸福度が上昇するというグローバルトレンドを否定するものではない,それはグローバルの中では誤差の範囲内になる)この期間でアメリカの格差は増大しており,経済成長の大きな部分は一握りの人々によって享受されているということもあるのだろう.いずれにせよ幸福学者たちはアメリカがグローバルトレンドのアウトライヤーだということについて意見を一致させている.
  • 国別の数字の問題は,それはたまたま同じ地域に住んでいる様々な状況の人の平均数字に過ぎないということだ.アメリカではここ35年間で,アフリカ系はより幸福になり,白人は少し幸福度を減らしている.女性と男性の幸福度の増減も異なる.
  • 歴史的トレンドを見ようとするときの最大の問題は,生活史における変化(年齢効果)と時代の変化(時代効果)と世代の変化(コホート効果)の切り分けだ.タイムマシンなしにこれを完璧に切り分けることは不可能だ.ただし大きなデータセットといくつかの前提をおくことによりある程度推測することはできる.それは進歩についての2つの側面(年齢効果とコホート効果)への理解につながる,
  • 人々は年齢と共に(経済環境などにより上下しながらも)より幸福になる.それは大人になる関門をくぐり抜けたことによったり,人生の知恵を付けたりするからかもしれない.
  • 世代間のパターンも上下する.1900年から1940年の間に生まれたアメリカ人はその前のアメリカ人よりも幸福だ.それは大恐慌が後者によりダメージを与えたからかもしれない.その後べビーブーマーにかけて幸福レベルは少し落ち,その後の世代(X世代,およびミレニアル世代)で再び上昇している.つまりすべての世代が子育ての大変さを経験しながらも若い世代の方が幸福というトレンドがあるのだ.

 

  • このように幸福度の変化には年齢効果,コホート効果,そして時代効果があって複雑だということを念頭においたうえで,懐疑主義者たちの「現代は孤独と自殺と精神疾患の蔓延を招いたのだ」という主張について考えてみよう.
  • 現代について一家言ある人々によると「西洋人はより孤独になっている」ということになる.(いくつもの例が引かれている)現代テクノロジーによるコネクティビティの上昇にもかかわらず我々が孤独になっているのなら,それは確かに現代についての悪い冗談ということになるだろう.
  • ここでソーシャルメディアは大家族と小さなコミュニティの喪失を埋め合わせられるのではないかと思うかもしれない.しかしリサーチによるとデジタル世界の友情はリアルのそれと同じ心理的なメリットを与えてくれるわけではないようだ.
  • だがそれは謎をより深める.孤独の問題は解決が容易に思えるからだ.知り合いとスタバでだべるか,誰かをキッチンに招き入れればいいだけではないのか.批判者が言うように我々は心が機械に捕らわれて(つまりスマホ中毒で)それができないのだろうか.しかしヒトの本性から考えてそれはありそうにないし,データもそうでないことを示している.そもそも現代の孤独の蔓延自体存在しないのだ.

 

  • 社会学者クロード・フィッシャーは40年間のリサーチをレビューしている.それによると最も驚くべきデータは「アメリカ人がここ40年間家族と友人と一貫して同じようにつながっている」ことだという.確かに40年で,家族は小さくなり,独身が増え,家にいる時間は少し減り,電話とメールの時間が増えている.しかし基本的には変化がないのだ.アメリカ人が家族や親戚に使う時間は同じで,友人の数も同じで,合う頻度も感情的に支え合う程度も得ている満足も変わっていない.
  • 主観的な孤独感はどうか.人口全体にかかるリサーチは少ない.フィッシャーは孤独感は同じか(おそらく独身が増えた影響により)少し上がっていると評している.しかし学生へのリサーチは豊富だ.それによると孤独感は一貫して下がっている.

(1978年から2011年にかけての学生や中高生の孤独感の推移グラフが示されている.傾向は一貫していて低下している.ソースはクラーク,ロクストン,トビン2015 )

  • このあとの彼等の追跡リサーチはない.だから社会に出た後どうなるのかについてはエビデンスはない.しかしこのグラフからだけでもわかることがある.それはアメリカの若い世代が「有毒レベルの空虚,無目的,孤独」に捕らわれているということはないということだ.
  • 悲観主義者のもう1つの標的はテクノロジーだ.悲観主義者たちは鉄道,産業革命後の工場,電話,時計,ラジオ,テレビが現れるたびにそれが非人間的だと警鐘を鳴らし続けた.だからもちろん彼等はソーシャルメディアを標的にする.しかし上記のグラフを見れば,ソーシャルメディアがアメリカの学生たちに孤独を与えていると非難できないのは明らかだ.そして別のリサーチによれば大人もソーシャルメディアによる悪影響を受けているようには見えない.彼等は他人をうらやむより共感していることの方が多い.

 

  • ではこの「現代が人の心を蝕んでいる」というヒステリカルな概念はどこからやってきたのだろうか.1つは社会批判形の標準的思考様式「ここに1つの例があり,だからこれはトレンドで,だから危機だ」にあるだろう.しかしもう1つは人々がインタラクトするやり方が変わってきたことにある.かつてのように倶楽部や協会やユニオンやディナーパーティで会うことが減り,より非公式な集まりやデジタルメディアでやりとりするようになった,遠く離れた親戚より同僚とのやりとりが増えた.しかし社会生活の様相が変わったからといってそれが人が社会的でなくなったことを意味するわけではないのだ.

 
日本では内閣府が「国民生活選好度調査」の中で幸福度を調べている.1970年代からのデータがあるようだ.これを見ると平均回答点数でも,満足すると答える人の割合で見ても,日本はアメリカと同様で,幸福感は同じ範囲の中で経済状況に応じて上下しながら横張っているようだ.(細かく見るとオイルショックまでは比較的高く,そこから一旦下がって平成バブルまでは横這い,バブル崩壊からリーマンショックの後の不況までゆっくり下がり,アベノミクスのあと少し上昇する形になっている)
高度成長期の幸福感が高かったのはよくわかる.少し前の敗戦後の悲惨な状況からみるみるうちに生活が良くなり,それが続くだろうと期待できる状況だったのだから.そしてその後低成長になってからはほとんど横這いで,経済状況を受けて上下しているというのはアメリカと同じなのだろう.そしてソーシャルメディアが人々を孤独にしているということもやはりなさそうだ.

*1:アメリカの一人あたりGDPの世界順位は8位あたりだから,それほどひどいというわけでもないように思うが,いずれにせよ順位はGDPよりは低いようだ