書評 「逆転の大戦争史」

逆転の大戦争史 (文春e-book)

逆転の大戦争史 (文春e-book)

  • 作者: オーナ・ハサウェイ,スコット・シャピーロ,船橋洋一・解説
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2018/10/12
  • メディア: Kindle版
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本書は法学者であるオーナ・ハサウェイとスコット・シャピーロによる,なぜ第二次世界大戦後主要国同士の大きな戦争が激減したのかについて法政治思想史的に解明しようというテーマの本になる.
この第二次世界大戦後の戦争激減(暴力減少)について,ピンカーは「The Better Angels of Our Nature」(邦題「暴力の人類史」)において「長い平和」と名づけ,それを可能にした要因を民主制,国際貿易,国際機関に求め,さらにそうなった要因についてモラルの輪の拡大と歴史に学ぶ態度だと位置づけている.著者たちは,このピンカーの議論は国際法体系,および法思想的な視点が希薄だと考えて本書を執筆したということになる.著者たちは国際法の体系の大転換が非常に重要だと本書で主張する.この大転換を推し進めたのが戦争の違法化を実現させるために奔走した「国際主義者」たちであり,本書の原題は彼等とその努力を示す「The Internationalists: How a Radical Plan to Outlaw War Remade the World」となっている.*1


本書は序章で1928年のパリ不戦条約調印式の様子が描かれる.この大転換の最大の転機は実はパリ不戦条約の締結だというのだ.予備知識なしに本書を読み始めるとここは意表を突かれる.世界史を学ぶと,第一次世界大戦の後,欧州で平和を求める動きがあったと解説され,それを表す出来事としては,ワシントン軍縮会議(1922),パリ不戦条約(1928),ロンドン軍縮会議(1930)が並べられることが多いだろう.そして軍縮会議とその結果に対する日独の不満が解説される.ここで間に入った不戦条約についてはお花畑の理想論を条約にしたが,結局何の効果もなかったかのような印象が強いだろう.しかし著者たちはこれこそが国際法の大転換を引き起こし,1945年以降の世界を大きく平和に向けて前進させた重要な出来事だというのだ.
著者たちはそれまでの国際法の体系はグロティウスにより組み立てられた体系で,それは戦争自体を政策遂行の手段として認めており,第一次世界大戦のような主要国同士の戦争を防げないものだったが,1928年の不戦条約で戦争が違法化され,第二次世界大戦後,連合国(そのまま国連となる)が(この条約を破った)枢軸国に対する措置の考え方の基礎として不戦条約を用いたことにより新たな国際法体系に移行したとするのだ.

本書は,ここから国際法の大転換について,旧世界秩序,移行期,新世界秩序という3部構成で説明していく.どのようにこの大転換がなったのかを旧世界秩序を元に行動する「干渉主義者」と新世界秩序を推進する「国際主義者」たちのせめぎ合いに焦点を合わせて書かれていて物語としても大変面白い.ここでは法体系の考え方を中心にレビューしていこう.
 

第1部 旧世界秩序

 
旧世界秩序を国際法体系として確立したのは国際法の父とされるオランダ人フーゴー・グロティウスになる.彼は一般的には自然法を基礎として国家間の戦争と平和の法体系を提案した人物として知られており,浄化戦争の否定,残虐行為の禁止などの考え方が代表的なものとして紹介される.しかし著者たちによるとグロティウスの論考はそもそもシンガポールでポルトガル船を襲撃したオランダ船隊の戦利品の権利を(海賊行為ではなく正当な行動の結果だとして)擁護しようとして始まったということになる(当時オランダはスペインと交戦状態にあったが,ポルトガルとはそういう関係にはなかった).そしてグロティウスの考察は長い年月をかけて以下のように展開し,それは安心して戦争ができる世界を築き上げた.

  • 戦争は権利の侵害を防ぐ,あるいは権利の侵害からの救済するために道徳的に容認できる手段だ.これにより一国の司法権が及ばない場所では自らの権利のための戦争は合法と考えるべきことになる.
  • つまり戦争を起こす理由は訴訟を起こす理由と同じになる.そして殺人自体を目的にする浄化戦争は認められない.
  • そして戦争の機能は不正を正すことなので,戦争で強奪した財産は強奪者の所有物になる.
  • 本来これは正義のための戦争のみに認められるべきだが,司法権がない以上どちらが正しいかを決めることはできず,区別しようとするとすべての権利を法的に不安定にしてしまう.だから(商人の利益,そして貿易の利益を守るために)戦争における強奪物の所有権の移転は無制限に認められるべきだ.これは領土の征服にも当てはまる.そして非交戦国は結果を正しいものとして受け入れるほかはない(「力は正義」主義:これは砲艦外交を認めることにつながる).ただしこのような効果を持つ戦争は(宣戦布告などの手続きを経た)「正式な」戦争に限られる(これにより濫用を制限しようとする).
  • 正式な戦争においては,殺人,財産の強奪,放火などの行為も合法と扱われる.これもやはり本来は正義の戦争を行う者のみに認められるべきだが,その判定は事実上不可能で,全面的な免責を認めるほかない.
  • ただし戦争は正しく行われなければならず,毒物使用,裏切りによる暗殺,強姦は認められない.(なおこの原則は18世紀後半には非戦闘員を守ろうとするものになり,さらに19世紀以降毒物以外にも様々な残虐な行為の制限が設けられるようになった)このような禁止の担保は「報復行為」を認めることによってなされる.
  • 非交戦国はどちらの交戦国が正しいか判断できない.だから中立国家は戦時に(片方が正義だという理由で)片方の交戦国に加担することはできない(たとえ経済的援助や制裁でも片方に加担すれば,参戦したと見做される).しかし中立を保って両交戦国との貿易をすることはできる.

 
特に重要なのは対戦国のどちらが正義かの判定ができない以上,法体系は中立性を重んじるしかなく,力こそが正義にならざるを得ないという部分になる.このグロティウスの考え方を世界は受け入れた.本書ではこの旧世界秩序の元でどのようなことが生じたかを詳しく紹介している.

  • 主要国は宣戦布告において自らの権利を強く主張した.自分たちが犯罪者と見做されないように注意を払った.それは不正な戦争には自軍の士気,同盟者への影響などのコストが伴ったからだ.
  • 実際の宣戦布告をみると,自衛のほか,人道的介入,相手の国際法違反などが主張されている.
  • アメリカがメキシコからテキサスやカリフォルニアを得たのはメキシコの債務不履行を正すという目的のための戦争によるものである.戦争で征服した土地はアメリカに編入されたのだ.
  • 旧世界秩序においてはナポレオンはどのような意味でも犯罪者ではなかった.だから戦争が終わった後捕虜であったナポレオンは解放されなければならないが,ブルボン家にとってナポレオンはあまりに大きな脅威だった.連合国にはナポレオンに主権国家を与える以外の選択肢はなかった.だからエルベ島への流罪は「ナポレオン皇帝自ら居住地として選んだ」形をとり,(英領であった)セントヘレナ島への流罪はどうやっても国際法違反を正当化できず,ナポレオンに殉教者のイメージを与えることになった.
  • アメリカはフランス革命の際に革命戦争に巻き込まれないために大変な苦労を強いられた.(フランスから派遣された外交官を巡る傑作な顛末が語られている)

 

第2部 移行期

1914年,オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子がセルビア人青年に暗殺される.帝国はグロティウスのルールに則り,セルビアに反動的活動の鎮圧を要求する最後通牒を突きつけた.要求はかなえられず,帝国はセルビアに宣戦布告し,同盟国の相手同盟国の不正義を糾弾する連鎖反応が生じて世界は第一次世界大戦に突入した.これはまさに不正を正すためのグロティウス的戦争であり,ある意味旧世界秩序の集大成であった.しかしその破壊の規模と戦死者の数は人々を唖然とさせるものであり,モラル的に極めて不条理だった.
パリ講和条約では連合国は(旧世界秩序に則り)敗戦国に莫大な代償を要求し,国境を引き直した.しかしどうすれば今後このような悲劇的戦争を防げるのか.ウィルソン大統領の解決策は国際連盟だった.しかしこの仕組みでは紛争国の片方が連盟の裁定に従わない場合の最終的な解決策は戦争しかなかった.
 
ここから戦争を違法化しようとする人々「国際主義者」が描かれる.彼等は真の問題は戦争が合法であるためだと考えたのだ.その嚆矢となるシカゴの法律家レヴィンソンの論文の骨子は以下のようなものだった.

  • 世界が平和であるときに,不意にドイツがフランスに宣戦布告し,その領土に攻め入ったとしよう.現在の国際法体系では,それは「合法」であり,他国はその原因や目的を顧みることなく中立を保たなければならない.だからあらゆる戦争を終わらせる唯一の現実的な方法は「戦争の違法化」である.

レヴィンソンやそれに賛同する上院議員たちは,これを実現させるためにアメリカの国際連盟の加盟を阻止しようと動き始める.連盟は基本的に旧世界秩序を前提としており,特に侵略行為を認定した場合に加盟国に支援を求めていたことを戦争拡大メカニズムだと考えて懸念したのだ.これは成功し,アメリカは国際連盟に加盟できず,ウィルソンは失意のうちに引退を余儀なくされた.
 
レヴィンソンたちは戦争違法化に向けてさらに動く.最初の戦争違法化パンフレットには以下の主張が並んでいる.

  1. 国際紛争鎮圧手段としての戦争の使用は廃止
  2. 国家間戦争は犯罪とし,国際法によって処罰される
  3. 但し攻撃を受け,あるいは差し迫った攻撃の危機に対する防御としての戦争は認められる.
  4. 武力,強要による併合,強制取り立て,占拠はすべて無効である.

 
しかしどのようにこの国際法違反を強制できるのだろうか.レヴィンソンは(奴隷制で生じたように)制度を変えれば人間の考え方も変わると主張した.コロンビア大学の歴史学教授ショットウェルは別の方法を模索した.国際司法裁判所に侵略かどうかを裁定させ,(あらゆる経済的交流を打ち切られ,国際法上のあらゆる権利を失うという)厳しい経済制裁を課せるようにするシステムの構想だ.
 
ここからレヴィンソングループとショットウェルグループは緊張関係に入りながら,戦争違法化への政治的な流れを作っていく.複雑な経緯の後,アメリカの国務長官ケロッグは(当時軍縮会議に背を向けていた)フランスのブリアンから提案のあった二国間の戦争禁止条約を,多国間条約として再提案することになる.ケロッグはフランスはこれをのまないと考えていたが,フランスは賛成し,さらに複雑な経緯の末に,それはパリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約とも呼ばれる)として結実していく.その法理論的な枠組みは,明らかに旧世界秩序とは異なった考え方に則っており,以下のようなものだった.

  • 条約締結国は,国際紛争の解決に戦争を用いないこととし,手段としての戦争を放棄する.締結国相互間の紛争を平和的手段以外の方法で処理しないことを約束する.
  • 自衛権があることは自明であるが,侵略戦争と自衛戦争の定義は置かない.
  • 違法化の強制は,多国間条約を破った国に対してはほかの締結国は条約から解放され,自らがふさわしいと思う行動を取ることができることによると考える.

 
ここから本書は日本の状況を解説する.江戸時代に鎖国を続けてきたが,ペリーによるグロティウス的砲艦外交により開国を余儀なくされたこと,明治維新後は旧世界秩序を学び,それを実践し,台湾,朝鮮と領土を広げてきたこと,パリ不戦条約を主要文明国としての名誉的な地位に基づくものとしてその真の意味を深く考えることなく締結したこと,そして(世界がなお旧世界秩序のもとにあることを前提とした)その満州への侵略が,パリ不戦条約違反の第1号となったことが説明される.
 
日本の満州侵略は国際連盟加盟国かつ不戦条約締結国に矛盾する法的義務を突きつけることになった.(旧世界秩序を前提とする)連盟規約は条件付きで戦争を行うことを認めているが,(それとは全く異なる考え方に立つ)不戦条約は戦争を禁止しているからだ.そして旧世界秩序のもとでは経済制裁も行えない.連盟の決定や仲裁にどうやって反抗的な国を従わせれば良いのだろうか.しばらくは軍縮が答えであるかのように見えたが,ドイツでナチスが権力を握るとその望みも消えた.
連盟加盟国は議論の末にスティムソン・ドクトリンを採用し,違法な戦争による征服を認めず,中立法規も変更し経済的制裁を可能にすることを打ち出した.これは国際法が「力は正義主義」から離脱する大きな転機となった.この新しい体系(新世界秩序)は,不戦条約以前の征服を認め,それ以降の征服を認めないことになり,先んじて領土を広げた既得権を擁護する効果を持つものでもあった.
そして遅れて旧世界秩序のもとでの征服を始めた日本とドイツとイタリアは,(英米仏に都合が良く日独伊に都合が悪い)この新世界秩序を認めず,様々な軋轢が生じ,最終的に第二次世界大戦が勃発することになる(経緯についてかなり詳しく解説されている).それは不戦条約を単なる紙切れと見るのか,それとも新しい法的現実と見るのかの戦い,旧世界秩序と新世界秩序の戦いでもあったのだ.
アメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルはこれを理解し,大西洋憲章を打ち出した.これはUnited Nations(連合国,後の国連)の考え方の基礎になる.そして英米はソ連も引き込んで,いくつかの妥協の末にUnited Nationsの枠組みを構築する.戦争は連合国の勝利で幕を閉じ,枠組みはそのまま国際連合となり,日独伊の憲法には戦争の違法化あるいは戦争放棄の条項が組み込まれることになった.

ここから本書は不戦条約前後のドイツの状況と第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判を解説する.旧世界秩序から新世界秩序への移行が最も鮮明に現れるケーススタディということだろう.

  • ドイツの法学者カール・シュミットは早くから不戦条約の締結に反対していた.国家の機能を深く考察すると,政治的対立の究極の解決策は戦争しかなく,侵略戦争を違法化することは(誰を友とし誰を敵とするかの自由を失わせることにより)解決策を脆弱化させるだけだと考えていたのだ.彼はそれはドイツを弱体化させる敵の罠であり,正義の戦争は十字軍のように残虐化しやすいと警鐘を鳴らした.ワイマールドイツは貿易こそドイツの生きる道と考え,シュミットの考えを退け不戦条約に調印する.だが世界恐慌でその道は閉ざされ,ナチスの台頭が始まる.シュミットは保身のためにナチに加わり,その体制と(中欧を自らの広域圏だとする)生存圏確立政策を擁護する.そして不戦条約の法体系を法的な不確実性と差別的戦争観を持つものだと批判した.(シュミットは大戦後にニュルンベルグで訴追されるために逮捕されるが,最終的には釈放される)
  • 同じくドイツの法学者ローターパクトはナチスの台頭を受けて早期にウィーンから脱出し,英国で不戦条約が国際法に与える影響を論理的に詰めて体系化した.それは以下の4つの原則からなる.(1)中立国は公平である必要はない(違法を行う側への制裁は許される)(2)侵略戦争を行った国は訴追される(3)征服は違法であり,領土を支配するために武力を使うことは禁じられる(4)強制された合意は合意でない.
  • 著者たちはローターパクトこそ新世界秩序の父だとしている.この体系化は後にニュルンベルグのアメリカ側主席検事となる司法長官ロバート・ジャクソンに大きな影響を与え,ニュルンベルグで(そして東京で)枢軸国の指導者たちを起訴するというアイデアの法的な基礎になった.
  • チェコの法律家エチェルやアメリカの法律家チャンラーは枢軸国指導者の起訴に向けて,具体的な法的な議論を組み立てた.特に問題になるのは刑法の基本原則としての「法の不遡及」になる.不戦条約は第二次世界大戦に先立ってはいるが,犯罪類型を規定しているわけではないのでこれが問題になる.しかし不戦条約を刑法と見るのではなく憲法原則として捉えるなら,条約は自衛以外の戦争をすべて違法化し,それまでの戦争時の犯罪行為の非犯罪化原則自体が除去されると考えらればこれは乗り越えられる.
  • もう1つの問題は,国際法においては国の責任は問えるが,個人の責任は問えないことが原則になっていたことだ.これは国際裁判所を作るための合意書に個人責任についての条項を加えることで乗り越えることになった.この方法は厳密には遡及効になるが法学者ケルゼンは国民全体に責任を負わせるより遙かにましだという理由で正当化した.
  • このような動きに対してシュミットはこのアプローチは違法だと主張した.ホロコーストと戦争犯罪は訴追されるべきだが,戦争そのものは訴追されるべきではない,なぜなら不戦条約は刑法の体をなしていないし,不戦条約が約束した新世界秩序は結局実現されなかった(例えば各国はイタリアのエチオピア征服を認めた)からだというのだ.
  • 戦争が終結し,ムッソリーニはパルチザンに殺され,ヒトラーは自殺したが,ゲーリングは連合国の手に残され,ニュルンベルグ裁判が始まった.ジャクソンは侵略戦争,戦争犯罪,人道に対する罪を訴追し,エチェル=チャンラーの議論をもって遡及効の問題に答えた.侵略戦争が犯罪であることの論証は英国の主席検事ショークロスが行った.ショークロスは不戦条約の革命的な性質を強調し,ケルゼンの議論をもって個人の訴追の問題に答えた.
  • ナチの弁護人ヤライスはシュミットの議論を用いて反論した.不戦条約が法を変えたのであれば戦争の区別が各国の慣習に現れたはずだが,それは観察できないと主張した.
  • ショークロスはローターパクトの議論を用いて反論した.そして「不戦条約は戦争を違法化したが犯罪と見なしたわけではない」という見方を嘲笑した.大量殺人が犯罪でないなどと言えるはずがないと.また国際連盟の失敗については.犯人が処罰を免れたからといって犯罪が犯罪でなくなるわけではないと主張した.
  • 裁判所の評決は,ゲーリング以下12名の個人の戦争犯罪および人道に反する罪を認め,絞首刑を宣告した.不戦条約で戦争が違法化されたことは認めたが,個人犯罪がなぜ訴追できるのか,これがなぜ遡及効ではないのかの正当化には踏み込まなかった.これにより裁判で戦わされた議論は世間にあまり知られることがないままとなった.
  • 法体系の対決となった第二次世界大戦は新世界秩序側の勝利で幕を下ろした,今やある国が欲しいものを他国から得るには,見返りを用意して相手の同意を得るしかなくなった.武力による強制は終わった.世界が協力する時代が始まったのだ.

 

第3部 新世界秩序

 
第3部では新世界秩序のもとで世界がどうなったかが取り上げられている.

  • まず永続的侵略は激減した.ロシアによるクリミア併合はその稀な例外になる.確かに世界の主要国は武力を持ってそれを覆そうとはしなかったが,頑としてこの併合を認めていない.
  • 征服による領土割譲は1928年から減少し,1945年以降ほとんどなくなった(一国内で独立が生じた場合は征服と扱わない)*2.注目すべきは征服が止まっただけでなく,(1939年ではなく)1928年以降1945年までに生じた征服による広大な領土が元の持ち主に返されていることだ.これは不戦条約による征服の違法化を世界が認めていることを意味する.確かに違法な侵略により他国領土を占領することはできる.しかし世界はそれを認めずに経済制裁を課すために,そもそも侵略の利益が失われるのだ.1928年までの征服による領土割譲は他国に容易に承認されたが,1931年以降のそれは承認されなくなったのだ.
  • 第二次世界大戦の戦後処理も第一次世界大戦とは随分異なったものになった.枢軸国は領土をいくらか失ったが,その規模は非常に小さいものに止まった.特に注目すべきは英米仏が新たな領土を取り込まなかったこと*3だ.枢軸国の植民地は解放されたが,英米仏はそれを取り込もうとせず,自身の植民地も遅れて解放することになった.(ソ連は独ソ戦による2000万人の被害の代償として東プロイセン,南樺太などの領土を要求し,それは認められた.ほかの連合国はこれはスターリンへの譲歩で,法体系からの残念な逸脱だと感じていた)欧州の1910年と1928年の国境線を見ると大きく変更されていることがわかるが,1946年の国境線は1928年のそれとごくわずかな違いしかない.
  • 要するに不戦条約は,締結後の国際主義者たちの20年の努力と第二次世界大戦を経て実効化されたのだ.多くの政治学者や社会学者は第二次世界大戦後の戦争減少について,核抑止,民主主義,自由貿易を理由にする.確かにそれは正しい,しかしそれだけでは完璧ではない.その背後には「力はもはや正義ではない」という考え方の転換があるのだ.

次に戦争や征服の激減以外の新世界秩序の世界に与えた影響が解説される.それは国の存続のダイナミクスのルールを大きく変えたのだ.

  • まず国の数が増えた.これは征服戦争が違法化されたことで弱国が存続可能になったことによる.突然帝国や大国のメリットは大きく減り,自由貿易のメリットが大きくなったのだ.自由貿易は相手国にも利益を与えるので,旧世界秩序では征服されるリスクが上がることがあったが,それを恐れる必要はなくなった.世界は相対利益よりも絶対利益を重視するように変わったのだ.
  • 大西洋憲章は民族自決主義を掲げ,これは国連でも確認された.これは植民地という現実とはあわなかった.また植民地は独立した後に近隣国に征服される恐れがなくなったことを受けて次々と独立した,
  • 片方で新世界秩序は内戦を違法化していない.さらに内戦で弱体化しても,人民を抑圧する専制独裁体制を築いても,近隣国から征服されないという状況は多くの内戦と失敗国家を生むことにつながっている.
  • また新世界秩序は(1928年時点である領土がどの国に属するかはっきりしない場合に)領土紛争の対立の解消を著しく困難にした.脱植民地化の際の手際の悪さ(線引きの曖昧さ,引き継ぎの失敗)はこの問題を際立たせている.また小さな島の領有もはっきりしていない場合が多く,多くの対立の原因になっている.そもそも小さな島に経済的価値があると考えられるようになったのは,(海洋資源の問題に加えて)征服が違法化されて,防衛が容易になったからでもある.

 
ここで本書は新世界秩序における強制力の問題を論じている.

  • 新世界秩序における強制力は「仲間はずれにされること」のコストの上に成り立っている.
  • 多くの国際機関ではルールを破るものには仲間はずれの制裁があると規定している(国際郵便制度やWTOの例が説明されている)これは中立国の義務についての新世界秩序の考え方の上にあるものだ.
  • これには限界もある.経済制裁は有力な手段だが,人民の苦境に無関心な独裁国家には効きにくい.さらに北朝鮮のように既に十分深く経済制裁されている国には追加の効果は薄くなる.また制裁の効果は自分にも跳ね返る.人権や環境のような問題においては(その問題の範囲内で)相手にコストのかかる仲間はずれ手段が見つからないという問題もある.
  • 有効に効いたケースとしては,トルコのキプロス侵攻の制止(欧州評議会からの追放という脅しが効いた),オゾンホール条約の締結(条約を締結しないとフロンガス原料を売ってもらえない)などがある.
  • クリミアの併合に対し,主要国は経済制裁を課しているが,プーチンは折れなかった.これは経済制裁の限界を示していると見ることもできるが,この経済制裁は長期的な効果を念頭においてデザインされており,併合の利益を着実に削っていることも事実だ.欧米が最後までやり遂げられればまだ勝算はある.

 
本書はここで新世界秩序を認めない勢力の例としてイスラム原理主義者の解説を置いている.

  • 現在の中東の混乱の原因として,英仏の二枚舌外交を示すサイクス=ピコ協定がよくやり玉に挙げられる.法的にはこの協定は破棄されており直接法的効果を持つものではないが,オスマントルコ帝国の崩壊と西洋による支配と背信を思い出させる象徴になっているのだ.
  • そしてその不信の中に生まれたイスラム原理主義は新世界秩序を認めない.彼等は戦争が許されるだけでなく地球規模のイスラム主義国を樹立するために聖戦が必要だという世界観を持つようになった.彼等は世俗的な政体のすべてに対する侵略戦争を是とする.この思想はビン・ラディン,そしてISに受け継がれた.
  • これは未来の世界秩序を決める戦争がありうることを示すものだ.そしてそれに勝つには兵器ではなく強い思想こそが重要だ.

 
そして最後に新世界秩序の現在の課題を整理し,著者たちによる展望をおいている.

  • 新世界秩序への課題の1つはイスラム原理主義などのテロへの対応だ.テロへの防衛として空爆は許されるのだろうか.
  • もう1つの課題は,人道主義的介入との関係だ.シリアの内戦での大虐殺に対して世界は傍観するほかないのだろうか.しかし介入戦争を一旦是とすると旧世界秩序のすべてが復活するリスクがある.
  • またロシアと中国の動きも課題の1つだ.クリミア併合,南シナ海の領有権の主張に対して世界はどう向き合うべきなのか.
  • そして最大の脅威はトランプ政権に代表される自国第一主義の台頭だ.

 

  • 世界は新世界秩序の約束を放棄する寸前なのかもしれない.しかし歴史が示しているのは多くの主権国家が存在する世界では選択できる法秩序には限りがあるということだ.旧世界秩序では戦争は合法で,中立国は公正でなければならず,力は正義になる,新世界秩序では戦争は違法で,悪を正すのは経済制裁の役目で,相手に協定を強要できない.その間を採ろうとする選択肢は不安定で混乱と無秩序をもたらすものにしかならない.20世紀の国際法秩序の歴史は,ルールは密接につながったセットでしか安定しないことを示している.
  • そして様々な問題はあるが,新世界秩序は旧世界秩序より優れているのだ,いくらか問題があっても戦争が容認されない世界の方が良いし,それを保つことは可能だ.それは我々次第なのだ.
  • 世界を動かすのは力か法かという問題設定は間違っている.真の力は法無くして存在しない.法だけが真の力を作り出せる.国際主義者たちは讃えられるべき存在なのだ.

 
 
以上が本書のあらましになる.本書はまず法の歴史物として非常に充実している.様々な登場人物を活き活きと描写し,歴史的なイベントがどのように展開していったかがうまく描けている.そして何より世界史の中で「報われなかった楽観主義の試み」として記載されることの多いパリ不戦条約が,実は歴史の大転換点だったというテーマが傑出している.
また知的な読み物としても大変読み応えがある.特にグロティウスとローターパクトの「戦争は合法的な政策遂行手段である」「侵略戦争は違法である」をそれぞれの出発点としたときの法体系がどうなるかという論考や,その結果世界がどう変化したのかの解説部分は非常に興味深いものだ.
日本人読者としては日本の立ち位置も興味深い論点だ.1928年時点で日本が「遅れて登場した帝国に著しく不利になる」というこの不戦条約の帰結に全く気づいていなかったのはなぜなのだろうか.もし気づいていれば満州事変以降の歴史は変わっていたのだろうか.それともドイツと同じようにわかっていながら旧世界秩序にかけたのだろうか.いろいろな思いは尽きないところだろう.
そしてこれが現実世界にいかに多大な影響を与えているのかを考えると,本書の価値はさらに高まる.確かにピンカーの言う通り,民主制や貿易や国際機関は戦争抑止に効いたし,その背景には共感の輪の拡大もあっただろう.しかし本書を読むと国際政治を動かす法的な体系の変更も重要な要因であったのだろうと改めて感じずにはいられない.そして著者たちの危機意識も理解できる.本書刊行後にトランプ政権はイスラエルの(中東戦争による占領地である)ゴラン高原の領有を承認した.これは領土の征服を承認するもので明らかに新世界秩序とは相容れない行動になる.我々は,ルールはセットでしか安定せず,世界は二択のどちらかを選ぶしかないということを改めて噛み締めるべきなのだろう.


関連書籍

原書

The Internationalists: How a Radical Plan to Outlaw War Remade the World (English Edition)

The Internationalists: How a Radical Plan to Outlaw War Remade the World (English Edition)


ピンカーの暴力減少を扱った本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130109/1357741465

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined (English Edition)

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined (English Edition)

 
同訳書 私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20150127/1422355760

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下

*1:邦題は戦争史の本であるかのような印象を抱かせるもので,あまり良いものではないと思う.もっとも「国際主義者」ではあまり売れそうもないということで商業的にはやむを得ないということなのだろう

*2:1928年以降の実効支配が継続している征服事例としては,クリミアのほかカシミール,ヨルダン川西岸,南ベトナムなどがあり,合計10件ほどにとどまっている

*3:フランスとイタリアのごく小さな国境変更は例外になる