Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その6

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次の批判は本書の最終部分でのニーチェの扱いについてのものになる.ピンカーはこれが多大な反発を受けるとは予想していなかったと書いている.

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

<批判 その9>
  • なぜニーチェをそんなに悪く言うのか

 

<応答>
  • 私は自分の本のどこが読者に注目されるかについていつも驚くことになる.「Enlightenment Now」では,それは私のニーチェの扱いについてだった.ニーチェは哲学者であり,その著書の中身は「ヒューマニズムの真逆は何か?」という質問への解答だ.

 

  • ニーチェは「多くの人の苦痛を減らして,幸福度を上げる」という理想はユダヤ-キリスト教的「奴隷のモラル」の感傷的な残存物であり,究極のゴールに至る唯一の道は英雄と天才が偉大な功績を挙げて人類種を持ち上げることだと論じた.私はそれに関するニーチェの言葉を多数引用し(具体例:「高貴な男性による大衆への宣戦布告」「劣った人種の殲滅」・・・),そしてそれ以外の関連する言葉(具体例:「しくじった何百万人を絶滅させる」・・・)をリスト化した.そしてニーチェがファシストやナチスやボルシェビキに崇拝されていたこと,現在もオルトライトや白人至上主義者や自分がイケてると勘違いしている芸術家やインテリを鼓舞し続けていることは偶然ではないかもしれないとほのめかした.
  • 私のニーチェ主義への否定は余談などではない.これまで多くの著者たちが「ニーチェ思想は啓蒙主義が神を否定したことの不可避の帰結であり,もしあなたが啓蒙運動的ヒューマニストならあなたは同時にニーチェ主義者に違いない」と論じてきた.この「ニーチェは無神論者であり『神は死んだ』と宣言した.多くのヒューマニストも無神論者であり『神は最初からいない』と信じている.だからヒューマニストとニーチェは同じだ」という議論は論理的誤謬だ.
  • このように考える人の一部は単に無知からそうなっている.彼等はあまりにも有神論的モラルにとらわれていて,神以外から倫理を導く方法について見当もつかないのだ.(啓蒙運動思想家はどのようにそれが可能かについてプラトンを引用して示している) その他の人はもう少し物事がわかっているが,しかし現代(modernity)の理想,例えば科学,進歩,リベラル民主主義を受け入れられず,それを連想によって覆そうとするのだ,(そのもっとも良い例はジョン・グレイだろう.彼への批判についてはアンソニー・グライリングとジェリー・コインのエッセイを参照のこと)

www.newstatesman.com

https://newhumanist.org.uk/articles/1423/through-the-looking-glassnewhumanist.org.uk

Philosopher John Gray denigrates reason and promotes religion on the BBCwhyevolutionistrue.wordpress.com

 

  • いずれにしても「啓蒙運動=ニーチェ主義」という等式の誤りを示すのは容易だ.ニーチェのその文才のすべてを使って「ほとんどの人の人生は無価値だ」と論じており,それはヒューマニズムの考えの真逆だ.ヒューマニズムはニーチェではなく啓蒙運動によって鼓舞されており,ニーチェは啓蒙運動を蔑んでいた.そしてヒューマニズムUKの最高責任者でインターナショナルヒューマニストと倫理ユニオンの会長であるアンドリュー・コップソンはこう言っている.「ヒューマニズムとは有神論とニーチェをともに否定するものだ」

 

  • 何人かの批評家は私のニーチェの扱いについて憤慨して「ピンカーはジョークを解しないのだ」と攻撃してきた.(彼等によると)ニーチェはジェノサイドや女性蔑視的な言葉をそのままの意味で使っているわけではなく,皮肉,フィクション,あるいは時代も場所も違う人々の精神を再構築する試みと解すべきなのであり,ニーチェの文章は警句,パーソナルなもの,非倫理的なもの,矛盾とパズルに満ちた非論理的なものであり,誰も真に理解できないもので,私にはそれを批判する権利はないのだそうだ.

 

  • いやはや,あるいはそうなのかもしれない.しかし,「ニーチェはナチスやオルトライトに誤解されたのだ」と主張するニーチェの擁護のなかにも,彼がファシストに利用されたことの責任の一部はニーチェにもあると認めているものがいる.
  • いかにも.もしあなたのヒーローが「堕落する人種の殲滅と優秀な単一人類の興隆」を次々と流麗な文章で喧伝したのなら,洗練された解釈能力を持たない一部の読者が「堕落する人種の殲滅と優秀な単一人類の興隆」を信じ込んでも驚くべきはないのだ.

 

  • ニーチェが当時のユダヤ排斥主義者やドイツナショナリストに対して敵対していた(それも「Enlightenment Now」には書いておいたが)としても,それは効果的な擁護にはならない.哲学者のケリー・ロスは「ニーチェの人種差別主義は明白だ」と書いている.ロスは私のニーチェの扱いはむしろやさしい方だとも書いてくれている.

www.friesian.com

 

  • 私はニーチェについての専門家だと主張するつもりはない.私の「ニーチェは反啓蒙運動,反ニューマニズムだ」という主張は何人かの哲学者や歴史家(バートランド・ラッセル,リチャード・ウォリン,アーサー・ハーマン,ジェイムズ・フリン,R. ラニエル・アンダーソン,ジョナサン・グローバーたち)の仕事によっている.「Enlightenment Now」出版後,私の考えは法哲学者でニーチェ学の学者であるブライアン・レイターの「フリードリヒ・ニーチェ:真実は醜悪だ」というエッセイによって裏付けられた.そこにはこう書かれている.
  • ニーチェは反リベラルと共に実存する「実存主義者」だ.彼は有神論の崩壊を目撃し,ポストキリスト教現代のモラル世界観が基本的に耐えがたいものであるという考えに結びつけた.
  • もし,不滅の魂を持つそれぞれの人間を同じ価値あるものとして扱う神がいないのであれば,なぜ我々はみな同じモラル的考慮に値するものだと考えられるのだろうか? そしてもし,ニーチェが議論したように,平等のモラル,利他主義,苦しむものへの憐れみが人類の栄光への障害物であるなら? もしモラルを持つ人間がベートーベンになれないのだとしたら?
  • ニーチェの結論は明確だった:もし平等のモラルが人類の栄光への障害物であるなら,平等のモラルは悪しきものである,これはあまり知られていないが,ニーチェのショッキングな反平等主義なのだ.

www.the-tls.co.uk


私はニーチェについては著書を読んだこともないし,真剣にその思想を理解しようとしたこともないが,まあそういうことなのかなあという感想だ.現代の日本では,そして哲学業界ではニーチェの扱い,あるいは人気というのはどうなっているのだろうか.