Virtue Signaling その20


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

  • 作者:Geoffrey Miller
  • 出版社/メーカー: Cambrian Moon
  • 発売日: 2019/09/17
  • メディア: Kindle版

 
Googleメモに関する第5エッセイの執筆はミラーをさらに深い考察に進ませる.それがこの第6エッセイになる.ポリコレやアイデンティティポリティクスの帰結でもある現在の大学のスピーチコードは才能はあるが社会的適応力に欠けるある種のパーソナリティ障害者にとってはとんでもないほど大きな差別環境ではないのか.リベラルは本来マイノリティに寄り添う立場のはずなのにニューロマイノリティには厳しい結果を強いるのはどうなのかという問題意識だ.

第6エッセイ 言論の自由に関するニューロダイバーシティの擁護 その1

 

  • Googleメモの一件の後,私はオタクやアスピー(アスペルガー症候群の人々のこと)について随分考えた.私は昨今のポリコレ,社会正義,wokeness*1の軍拡競争の「キャンセルカルチャー*2」の中での彼等の苦境に思い至ったのだ.
  • 私はこれまで常に,社会的不適格で,内向性オタクで,人よりものに興味があり,ゴシップよりアイデアに興味を持つ人間だった.2年生の時にはほとんどの時間をインドからの転校生ラメシュとチェスをして過ごした.ラメシュとは「ポーンをキングの4へ」のような会話しかしなかった.5年生でSFにはまり,以後ずーっと読み続けることになった.中学生の夏休みは大半の時間を近所の友達と「ダンジョンズ&ドラゴンズ」をやって過ごし,キャンプでは潜水艦と宇宙船のデザインに熱中した.高校で入った数学チームは気に入っていた.チームの半数は女子でみな賢かったからだ.大学に入るまで人とアイコンタクトをとるのは苦手だった.
  • 振り返って考えると私はいわゆる高機能性アスペルガー症候群だったのだろう.それが最新のDSMでは本式の診断とは認められていない(最新版ではアスペルガーと自閉症を自閉症スペクトラムとして一緒に括っている)のは知っているが,それはどうでもいいことだ.アスペルガーは実際にある.私の同性の友人はみなそうだったし,ガールフレンドたちはみなすぐ気がついて,我慢してくれていた.
  • Googleがメモの著者であるダモアをどう扱ったのかを知り,そして彼がテレビのインタビューで晒されているのを見て,私は彼に強い感情的なコネクションを感じた.彼は私の5年生から12年生までの時の親友.大学院からのベストフレンドによく似ている.もし私が今より20歳若くてGoogleにいたなら彼が書いたのと全く同じ科学的に正確でモラル的に誠実なメモを書いていても不思議はない.そして同じように批判されて失墜していただろう.

 

  • 社会正義戦士たちは口では「多様性」にリップサービスするが,彼等は多様性のもっとも基本的な次元について全く無視することに私は気づいた.その次元はニューロ多様性(neurodiversity)だ.そして彼等は彼等の「スピーチ・コード」がアスペルガーの人々にほとんど遂行不可能なほどの重い負担を押しつけることになることについて全く無関心なのだ.だから私は自分の考えをQuilletteに寄稿することにした.
  • これはこれまで書いた中でもっとも自己開示的なエッセイだ.私に個人的に会ったことがある人はみな私が内向的で社会的に不器用なことを知っている.しかしそれは自分がアスピーであることをカミングアウトすることとは違う.
  • それでも,我々アスピーたちは検閲的なノーミー(普通人)たちに対して自分の権利のために立ち上がるべきだと考えたのだ.そして,それが私に嫌がらせをうけるコストを少し負わせることになるとしてもそれがなんだっていうのか.私はもうテニュアを持っているのだから.

 

The Neurodiversity Case For Free Speech Quillette July 18 (2017)

 

  • 若きアイザック・ニュートンが1670年代の英国から2017年にタイムトラベルしてきてハーバードの教授職に就いたらどうなるかを想像してみよう.
  • ニュートンは元通り固執的なパラノイドパーソナリティ,アスペルガー症候群を持ち,口ごもりながら喋り,心的状態は不安定だろう.しかしハーバードでは「他者の尊厳をリスペクトしない言辞を禁止する」というスピーチコードに直面する.このコードを違背するとハーバードの審問(「エクイティ,ダイバーシティ,インクルージョンオフィス」)という試練を受けなければならない.
  • ニュートンは重力法則を説明する「プリンケピア」を出版しようとするだろう.しかし彼の出版エージェントはニュートンが「オーサープラットフォーム」を築き上げるまで出版契約は無理だと説明することになる.オーサープラットフォームを作るには少なくとも2万のツイッターフォロワーが必要で,かつツイッター履歴に彼の古代ギリシア錬金術,聖書暗号学,不換紙幣,ユダヤ秘密主義,アポカリプス日時予測についてのエキセントリックな言及がないことが要件になる.
  • ニュートンは現代アメリカで「パブリックインテレクチュアル」の立場に長くとどまることができないだろう.遅かれ早かれ,彼は何らかの「オフェンシブ」な言動を行い,ハーバードに通報され,主流メディアから道徳的に逸脱した扇情者だとつまみ出されるだろう.彼のエキセントリックな態度や社会的な不器用さはアカデミアやソーシャルメディアや出版業界からの追放につながるだろう.結果,ハフポストやバズフィードで少しの注目を集めるかもしれないが,重力の法則の発見を業績とすることはできないだろう.

 

  • この仮想歴史の悪夢から離れて,一般的な「ニューロ多様性と言論の自由」の問題を考えてみよう.ここではニューロ多様性について科学が明らかにしてきたことを説明し,キャンパスのスピーチコードと抑制的なスピーチ規範が多くのニューロ多様性を持つ人々にとって不可能なほどの社会的感受性・文化的理解力・口語的正確性・自制力を要求していることを示したい.
  • またこのスピーチコードが特にアカデミアのニューロ多様性に抑圧的な影響を持つことを訴えたい.これは私自身がオタク的であるためでもあるが,それだけではない.中世以来,大学は非正常で並外れた脳と心を持つ人々を育んできた.歴史的に見て大学は様々なニューロ多様性を持つ人々にとっての天国だったのだ.エキセントリックな人々はケンブリッジで1209年以来,オクスフォードで1636年以来集ってきた.そしてこのエキセントリック天国は何百年もの間,古代西洋文明から現代のテクノロジーまで,そしてモラルの進歩までを我々にもたらしてきたのだ.しかし今,何千ものこの天国は脅威にさらされている.これは悲しいことであり,間違いだ.この議論は全くほかではされていないが重要なものだ.

 
ここまでがミラーによるこのエッセイの導入になる.
なおここでミラーはいくつかの用語の整理もしている.neurodiversity vs neurohomogenous, neurodivergent vs neurotypical, neurominority のための “Neurodiversity Movement”など.このような用語は最初は自閉症の人々の権利運動から始まったが,ここではすべてのneurodivergentな人々のための運動として扱うとある.

*1:差別や不平等などの社会正義について自覚的であることを意味するようだ

*2:俳優やコメディアンについて過去のポリコレ違反的な発言が掘り出されると,彼を作品から排除せよ,あるいは出演作品を差し止めよと多くの社会正義戦士たちが叫び立てるような現象のことを指すらしい.