Virtue Signaling その21


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

  • 作者:Geoffrey Miller
  • 出版社/メーカー: Cambrian Moon
  • 発売日: 2019/09/17
  • メディア: Kindle版
 
 

第6エッセイ 言論の自由に関するニューロダイバーシティの擁護 その2

 
導入に引き続いてミラーは本論に進んでいる.
 

エキセントリシティからニューロダイバーシティへ

 

  • 検閲は創造性,真実,そして進歩を殺す.これは明白だ.アイデアの自由な交換がないと人々はリスキーな新しいアイデアをシェアできないし,ほかの考え方と比べてテストすることもできない.さらにそれを文明の進歩に役立てることもできない.
  • そして検閲は目立たないやり方で合理的文化をも殺すのだ.それはエキセントリックな人々を黙らせる.それはニューロマイノリティを差別する.並外れた脳の動きを持つ人々を抑圧する.偉大なアイデアを持っているのだが,同時に特異なパーソナリティやエキセントリックな信念や普通ではないコミュニケーションスタイルを持っていたりするためにその時点のスピーチ規範を理解して遵守することが難しい人を疎外するのだ.ハーバードのスピーチコードやツイッターの正義戦士たちの規範はプリンケピアの内容自体を禁止するわけではないだろう,しかしそういう本を書くエキセントリックな人々を追放してしまう.
  • エキセントリシティは貴重なリソースであり,簡単に毀損されてしまう.ジョン・スチュワート・ミルは「自由論」の中で「マジョリティの専制」はエキセントリックの洞察を疎外するだろうと警告している.
  • 今日,ニューロティピカルな人々の専制はニューロダイバージェントな人々を抑圧している.それは我々の時代の重要な危難なのかもしれない.

 

スピーチコードにあるニューロティピカルな人々の前提

 

  • キャンパスのスピーチコードはもともとは良い結果をめざして始まった.それは少数派への攻撃的な言辞を禁じることで大学内により多くのマイノリティや女性を招き入れようとしたものだ.
  • しかしデモグラフィックな多様性を促進しようとしたことの副作用は,脳内で「適切なスピーチ」の境界線を引くことができない人に汚名を着せることによるニューロ多様性の減少として現れる.
  • そしてより「リスペクトフル」な大学ほどニューロダイバージェントな人々を追放し,(ニューロ多様性を失った)ニューロティピカル状態になる.
  • ここに問題がある.アメリカの大学の「何は言っていいのか,何はいけないのか」のインフォーマルなスピーチコードは「正常な」脳の持ち主が作り「正常な」脳の持ち主が従うべきコードとして施行されている.公式のルールも同じくニューロティピカルな人々によって書かれ,ニューロティピカルな人が従うべきものとして施行されている.彼等はすべての人がすべての場合において以下のことが100%できるということを前提にしているのだ.

 

  • 言語的知性と文化的バックグラウンドを用いて,意図的に曖昧で婉曲的に書かれた「誰がどのような文脈でどのような単語を使ってどのような内容を表明することが許されるか」に関するスピーチコードを理解することができる.
  • 現在のオバートンウィンドウ(ある時点で主流の人々にとって政治的に受け入れ可能なポリシーの範囲)の「受け入れ可能範囲」を理解することができる.それには「何がリスペクトフル」で「何がオフェンシブ,不適切,性差別的,人種差別的,イスラム嫌い,LGBT嫌い」であるかの社会規範が含まれる.
  • どのような言論が,異なる性別,年齢,エスニシティ,性的志向,宗教,政治信念を持つ誰かにとってオフェンシブであり得るかを,「心の理論」を使って100%正確に判断できる.
  • 誰かに記録されているかもしれない中で,すべての社会的文脈の中での不適切な言辞を100%抑制できる.
  • 何が同僚,学生の運動家,ソーシャルメディア,メインストリームメディアの怒りを引き起こすのかについて100%正確に予測できる.このどの人々の怒りに触れても大学にとっての「敵意的パブリシティ」にあたり,自己の権利についての弁護を受けられないままスピーチコード審問を受けなくてはならなくなる.

 

  • スピーチコードはヒトの本性についての誤ったモデルを前提にしている.そのモデルは「すべての人は同じ種類の脳をもち,それにより狭い範囲の『正常な』パーソナリティセット,認知能力,言語能力,モラル気質,コミュニケーションスタイル,自己抑制能力を持つ」というものだ.このニューロティピカル性の仮定は科学的に誤っている.人々はみな脳の発達や機能について異なる遺伝子セットを持っていて,脳の機能や成長や精神的特徴には大きな遺伝率があるのだ.
  • この遺伝性は深い.それは青春期から成人期を通じて安定しており,社会的知性から政治的態度まで多くの物事に影響を与える.そして人のコミュニケーションスタイル(そこにフォーマル,インフォーマルのスピーチコードの理解と遵守にかかる能力も含まれる)にも大きな影響を与える.ニューロダイバージェントな人は,単にそう生まれつくのだ.

 
要するに現在のアメリカの大学のスピーチコードはニューロティピカルにはわかるが,ニューロダイバージェントにはわからない,文脈依存の内容になっていて,この判断を誤るとアカデミアから追放されかねないことを考えるとニューロダイバージェントにとっては極めて不利で差別的なものになっているというのがミラーの主張になる.(ニューロダイバージェントにとっていかに判断が難しいかはこのあと詳細に説明される)
最後に遺伝性の話が出ているのは,よりリベラルなアカデミアの人々にこれが「差別的」であることを明確にしようという趣旨だろう.本来は遺伝的に決定されようと環境により決定されようと(そしておそらく両者が共に絡んでいるのだろうが),本人が自分の意思で変更できないニューロ傾向に基づく差別ははどちらも同じように酷い差別ということになると思われる.