Virtue Signaling その31


 

第7エッセイ 言論の自由に関する文化的多様性の擁護 その4

 
自分自身の異文化政治的タブーの把握の難しさ体験を語ったあとミラーは外国からアメリカに来た学生の立場に立ってものごとを眺めたらどうなのかを説明する.
 

カルチャーギャップ

 

  • 中国,インド,サウジアラビア,ナイジェリア,ブラジルなどで生まれてアメリカの大学に来た学生のことを考えてみよう.彼等は社会的,性的,政治的,宗教的,そして文化的に全く異なったところで育ってきた.彼等の両親,学校の先生たち,彼等の自国ジャーナリズムはアメリカ人なら性差別主義,人種差別主義,ホモ恐怖症と感じるようなことをいつも表現してきたかもしれない.彼等の性的なインタラクションやコートシップの慣習はアメリカ人の「アファーマティブコンセント」モデルと異なっているかもしれない.(ここから例としてはこのセクシャルミスコンダクトポリシーを例にとって話を進めよう)
  • さらにこれら外国からの学生は,現代アメリカの大学文化とは異なる「アメリカンポップカルチャー」に晒されてきたかもしれない.タランティーノの映画を見て,その会話スタイルがアメリカのセミナーでも許されるのだと勘違いするかもしれない.アメリカのポルノをインターネット経由で見て,そこでの行動がアメリカの配偶規範を反映していると勘違いするかもしれない.
  • 英語が母語でなければ,永遠に流れ動くアメリカのPC話法のニュアンス(例えば「colored people」と「people of color」,「Oriental」と「Asian」,「queer」と「homosexual」の違い)を理解するのは絶望的だ.そしてクールに英語を使いこなそうとしてネットの”Urban Dictionary”に頼ったりすれば,大学運営側から課せられる困難に直面するだろう.
  • 外国から来た学生はアメリカの大学で恐るべきカルチャーギャップに直面する.彼等は中に溶け込み,クールでファニーに見られ,友達や異性の友人を惹き付けようと試みる.ユーモアは社会規範の緩い逸脱を含むため,それはしばしば規範の境界すれすれを狙うことになる.例えばアメリカ人のステレオタイプを揶揄したくなる.しかし彼等は同時に大学から追放されて両親を悲しませたくないとも思っている.これは彼等に極めて不確実性の高い状況の中の複雑なリスク/利益分析を強いる.
  • さらに彼等は曖昧語法まみれのスピーチコードに直面する.そしてコードには具体的に何が禁じられるのかについては何も書かれていない.例示すらないのだ.どの単語がどの場面まで使えるのかの注釈のついたPC語法の辞書を用意している大学もない.

 
確かにこれはなかなか困難だ.日本からアメリカに留学した人々もいろいろ苦労しているだろう.一体どうすれば「colored people」と「people of color」,「Oriental」と「Asian」,「queer」と「homosexual」の違いがわかるのだろうか.