Virtue Signaling その32


 

第7エッセイ 言論の自由に関する文化的多様性の擁護 その5

 
ミラーは外国からアメリカに渡ってきて理解不能なスピーチコードに直面する学生たちの苦難をさらに説明する
 

カルチャーギャップ(承前)

 

  • にもかかわらずこれら外国生まれの学生たちは,初日から例えばヒトの生物学やヒトのセクシャリティについてのコースで学部生の教育アシスタントをするように指示され,この問題について特別に感受性の高いアメリカの学部生の前に立たされることになるかもしれない.彼等は「クラス参加グレード」で良い得点をとるために,政治や宗教や性的傾向や人種問題についての議論を行うセミナーに参加するように言われるかもしれない,一体どんな発言が許されてどんな発言が許されないかが全くわからないままにだ.
  • 彼等はそれまでの友人や家族と遠く離れて新しい社会ネットワークを構築したりボーイフレンドやガールフレンドを得ようとするだろう.しかし彼等はキャンパスのセクシャルミスコンダクトポリシーやZジェネレーションのデート規範の違背についてのヘアトリガー感受性について全く知らないのだ.

 
これはアメリカ文化がよくわからないままだとまさに地雷原だろう.単に空気が読めない人の扱いをされるだけでなく,コード違反で審判にかけられるリスクを考えると(特に教職員の場合)これは深刻だ.
 

  • 原理的にはキャンパスのスピーチコードに従うには,単に「リスペクトフル」で「非オフェンシブ」で「熟慮的」であればいい.原理的にはそれは簡単だ.しかし「非オフェンシブである」ためには学生はアメリカのイデオロジカルな規範についての膨大な暗黙の知識をキャンパスに足を踏み入れる前にマスターしていなければならない.
  • 実践的にはキャンパスのスピーチコードに従うためには,その年に,学生,大学運営,教職員にとって「何がオフェンシブと感じられる可能性があるか」を決めるアメリカのイデオロジカルな規範について深く知っていなければならない.それは外国人にとっては「博士号」や「テニュア」を守っているランダムに動くレーザー光線をアクロバティックに避けることを強いられているようなものだ.
  • 「多様性」へのリップサービスとは裏腹に,スピーチコードは真の文化的多様性を体現する外国人たち(例えば習近平体制を西欧民主主義体制より優秀だと思っている中国人,アレンジマリッジになんの問題もないと考えるインド人,コーランの女性の扱いを是認するサウジアラビア人など)にとって非常に厄介なものになっている.

 
アメリカの政治的正しさと違背する宗教についてどう扱うかというのはリベラルの政治的正しさイデオロギーのアキレス腱の一つだろう.よく見かける批判には,相手が宗教,特にイスラム教となると「イスラムフォビア」と決めつけられることを恐れて逃げ腰になるダブルスタンダードを批判するものが多いが,場合によってはイスラム教信者のコード違反を追及するようなこともあるのだろう.さらに共産主義全体体制には良いところもあると信じる中国人学生,カースト制について全否定的ではないインド人学生はおそらく手厳しくやり込められることになるのだろう.なかなか難しい.