書評 「Under the Influence」


 
本書は累進的直接消費財導入をとなえ続ける経済学者ロバート・フランクの新刊.フランクは進化生物学にも造詣があり,かつてヒトの感情についてコミットメント問題解決機能からの仮説を提唱したこともある.累進的直接消費税導入がライフワークともいうべき主張になっており,近年様々な視点からそれを擁護する本を出しているが,本書もその一環で,「周りの人々の行動へ与える影響」からの視点をテーマに議論している.
 
フランクの累進的直接消費税の主張は明快で以下の通りだ.

  • ヒトの消費には純粋な個人の楽しみのためのような消費のほかに他人との相対的な優位性をディスプレイするための地位財への消費(顕示的消費)があり,特に高額の消費は後者である傾向が強い.
  • 地位財への消費の効用は(消費の絶対額ではなく)ライバルのディスプレイ対比という相対的なものになるが,伝統的経済学ではこれを無視している.これを考慮して考察すると,累進消費税は各人の相対的支出能力つまり相対的ディスプレイ能力に影響を与えないため,国民の効用をほとんど減らさずに課税収入を得られる極めて優れた税制になる.
  • 現在のアメリカは長期的な成長の観点から見ると貯蓄不足であり,貯蓄推進効果を考えると現行の所得税より直接消費税の方が優れている.また顕示的消費は気候変動問題の視点から見て抑制した方が望ましく,直接消費税は有効な介入手段になる.また現代アメリカは過去の共和党による財政支出カットの累積により社会インフラへの投資が十分にできておらず,この観点からも個人の効用に影響を与えずに財政状態を好転できる累進的直接消費税の導入が有効な手段になる.

 
本書ではこの議論に周りの人々の行動への影響の視点が加わることになる.フランクの議論の本丸は顕示的消費と累進的直接消費税だが,議論のわかりやすさのために「喫煙」が例として持ち出されている.本書の基本的な議論は以下のように進んでいる.
 

  • 個人個人の行動が周囲の人々に与える社会的影響は重要だ.それはミルグラムの一連の実験を含む社会心理学の膨大な知見,ワットとストロガッツのスモールワールド仮説などのネットワーク理論により明らかだ.
  • 個人の行動の集合体である社会的文脈は我々の行動選択に大きな影響を与える.この行動伝染は経済的には外部性として知られるものだが,多くの経済学的議論はこれを考慮できていない.そして重要なことはこの影響は社会全体にとってプラスのこともあればマイナスのこともあるということだ.だから政策的によりプラスを増やし,マイナスを減らすように介入することが望ましい.
  • このような行動的な負の外部性が非常に大きい問題には,全体的な消費パターン問題と気候変動問題がある.

 

  • 周囲への悪影響を具体的にイメージするために喫煙習慣の例を考えよう.現在の社会は喫煙を抑制しようと様々な介入政策を採っている.現在の正当化の理屈は当人への影響は個人の選択の問題だが,周囲への受動喫煙による害は望ましくないから*1というものだ.しかしピアグループの喫煙率はメンバーの喫煙確率に大きな影響を与える*2.そして喫煙習慣は本人も後悔していることが多く,喫煙による健康障害は親や親しい人にとっても大きなネガティブな効用をもたらす.この周りへ与える社会的影響はその個人が与える受動喫煙加害をはるかに超える害をもたらしている.本来はここまで考慮して政策を決めるべきなのだ.
  • ディプレイ戦略の例として路上広告を考えてみよう.規制がなければ競争する広告看板はより大きくより派手になり,相対的には何の利益もないのに広告コストを上げ,街の美観を台無しにする.この問題には政府の介入によるゾーニング規制が有効だ.広告主には相対的な広告効果が不変なまま広告コストの低下のメリットを受け,街の美観が保たれる.
  • 社会的影響のダイナミクスを示す例には同性婚に関する世論の変化がある.アメリカでは1990年では同性婚反対が70%を越えていたが,2015年には40%を下回るようになり,さらに急速に低下中だ,要因としては世代交代効果より個人個人の意見の変容の方がはるかに大きい.これは知り合いにカミングアウトが生じたり,知り合いの意見の変化に感化されることで進むポジティブフィードバックが効いているからだ.同じような効果はMe Too運動,マリファナ合法化にも見られる.70年代の「キャンパスの性の開放」もピルだけではなく(キャンパスの性比が下がり,女子学生間のボーイフレンドをめぐる競争を背景にした)社会的影響を通じて生じたものだ.
  • 派手な住宅,贅沢なパーティなど顕示的消費財の消費パターン問題は1種のアームレースと考えることができる.標準的経済理論は顕示的消費財の効用も消費絶対額で考えるが,これは相対的な問題であり間違いだ*3.これは経済的には負の外部性が生じている状況であり,労働環境の安全性,アイスホッケーのヘルメット着用などと同じく市場だけでは解決できず,政府など外部からの介入が望ましい.
  • 気候変動の問題は標準経済学理論でも負の外部性の例として認識されている.しかし彼等の議論には行動伝染(顕示的消費により排出される温暖化ガスあるいは屋上にソーラーパネルを設置する行動のポジティブフィードバック性)の問題は含まれていない.標準的経済学者はこの問題に排出課税を提案する.さらに家の大きさ,自家用車の燃費,個人宅のソーラーパネル,徒歩自転車通勤などに行動伝染効果を見込んだ増減税を行うのが望ましい.(このほかテクノロジーへの公共投資を低減している)

 

  • 行動伝染を考慮に入れた政策に対する最大の反対論は個人の自由意思の認識,責任論への波及の恐れから来る.しかしこれは論理的に成り立たない.ヒトの行動が(法的税的制度を含めた)環境により影響を受けることを認めれば,責任論とは切り離して政策効果を議論できる.リバタリアンや自由市場主義者の反対論には行動伝染の負の外部効果を示せば良い.
  • 行動伝染により生じる負の外部効果への政策的介入にはどの手段を採るべきか.それは大気汚染などの物理的負の外部効果と同じように扱うべきだ.そしてこの負の外部性の問題に対しては,負の外部性(つまり他人への加害行為)に課税するピグー税制(キャップ&トレード方式も同じ機能を持つ)が効率性のみならず公平性の観点からも最も優れている.これを政治家が理解するには何十年もかかったが1990年代の大気浄化法で取り入れられ,その効果が認められている.大気汚染の改善において最も効果的だったのはこのピグー税制がテクノロジーの開発を後押しした効果だった.(ここで温暖化ガス課税の実務的な問題,マクロン政権のコミュニケーションミスなどが論じられている)
  • 顕示的消費の抑制についてはどう政策介入すべきだろうか.古代ローマや古代中国では多くの奢侈禁止令の試みがなされたが効果はなかった.贅沢品への課税に対しては人々はすぐに代替的な顕示的消費財をみつけてしまう.理論的に最もいいのはすべての贅沢品に価格比例で課税すること,つまり一般的累進消費税だ.
  • そもそも何故政治家は社会的に望ましいはずのピグー税制に腰が引けているのか.それは課税に対する大衆の怒りを恐れるからだ.ここには私が「すべての幻想の母」と呼ぶ錯覚「課税は欲しいものを買うことを困難にする(増税による社会的メリットは自分の課税による損失を十分に補償しない)」がある.(ここでもう一度顕示的消費は相対的に決まるために課税による個人的なデメリットは微少であることの説明がある)このベースにはヒトの心理にあるヒューリスティックスが絡んでいる
  • カーネマンとトヴェルスキー,そしてセイラーのような行動経済学者達はこのようなヒトの心にある様々なヒューリスティックに注目した.彼等が特に注目したのはサンクコストの重視など「後悔を伴う合理性からの逸脱」だった.しかし合理性からの逸脱には後悔を伴わない集合行為的な問題がある.後者の問題も標準的経済学の前提とは異なる状況をもたらし,やはり認知的エラーと深く絡んでいる.顕示的消費が生みだす全体的消費パターンは社会的に合理的ではなく,標準理論にない「消費効用の相対性」という前提をもたらす.そしてそれは課税が自分に与える影響だけを考え,社会全体への影響を無視するという認知エラーの上にあるのだ.
  • このような認知エラーにとらわれた人々とどのように議論すればいいのだろうか.私は能動的で適切な問いかけが重要だと感じている*4.適切な問いかけは,相手に適切なフレームを与え,自分の頭で考えることを促すのだ.

 
そして最後に小さな政府を支持する保守主義者との仮想議論が詳しく書かれている.そこではフランクのここまでの様々な議論,それがどのように受け止められたか,そして自分の熱意はどこにあったのかの回想もあってなかなか読みどころになっている.
 
本書は累進的直接消費税の提言についての自分の最後の本になるだろうとフランクは語っている.これほど合理的で効率的な政策がなぜ全く議論もされずに放置されているのか,20年以上も主張し続けて大きな成果はないが,しかしまた新たな視点を加えて本書を執筆したということになる.行動伝染は経済学的な外部性を生むという指摘は経済学を囓った人には響くはずだと信じ,なおフランクは熱意を持って語りかける.何とかわかりやすくこの効率的な政策を説明しようという意欲にあふれ,重要な論点は何度も繰り返し議論される.まさに執念の一冊だろう.私的には行動経済学との関連のところが興味深かった.フランクの主張は行動経済学者にはなじみやすく感じる.なぜ彼等はこの主張をあまり取り上げないのだろうか.

 
関連書籍
  
フランクの累進消費税著作
 
1冊目.感情のコミットメント機能を論じた「オデッセウスの鎖」の著者とだけ知っていたときに購入して読んだ本.当時からなかなかエレガントで面白い主張だと感じたところだ.

 

2冊目.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entries/2006/03/25

 

3冊目.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entries/2012/11/11

  

同訳書.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entries/2018/04/12/

 

4冊目 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entries/2016/11/07

 

同訳書.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entries/2017/05/11

 
 
なお感情のコミットメント機能を論じた本はこちら 
同訳書

*1:このほか医療コスト増大の財政負担の議論も取り上げられている,この場合には年金財政へのプラスの影響を合わせて計算されるべきことになる

*2:これが単なる相関ではないことについて飲酒,肥満の例も合わせて詳細な議論があとでなされている.なお肥満については統計的に怪しいという批判もあるクリスタキスの議論に全面的に従っているだけでやや微妙だ

*3:なぜほとんどの経済学者がこの問題を無視するのかについて,フランクはこれはねたみや嫉妬の感情に基づくもので,これに介入するのは倫理的な問題があると考えるためかもしれないとコメントしている

*4:経済学の教室での例として「なぜ規制当局はグロッサリーストアまでの数ブロックのドライブにおいてもチャイルドシートを義務化するのに,何時間ものフライトにおいて幼児を膝の上に乗せていることを許容するのか」「なぜ新婦はウェディングドレスを購入し,新郎は安いレンタルで済ます傾向があるのか」などを挙げている