書評 「Virtue Signaling」

 
本書は「The Mating Mind(邦題:恋人選びの心)」「Spent(邦題:消費資本主義!)」「Mate」などの著書を出し,性淘汰がヒトの本性に大きくかかわっているという主張で有名な進化心理学者ジェフリー・ミラーによるVirtue Signaling(徳シグナリング)をテーマとした自らの論文や寄稿記事を集めた自撰論文集になる.「Virtue Signalling」というのは割と最近アメリカのSNSや政治周りで使われるようになった用語で,「自分がいかに道徳的に優れているかの(時に空虚あるいは偽善的な)ディスプレイ」を指す.ミラーはこれについて性淘汰,社会淘汰の観点から深く考察しており,現在のアメリカの分断化が進む政治状況を理解する1つの視点としても重要と考えて今回刊行に至ったようだ.
この政治的分断における双方の非難の応酬が,その態様だけでなくコンテンツまで冷静さを欠いた非合理的なものになってしまうことについてピンカーは自分がある部族の一員であることのディスプレイであり,コストリーシグナルとしてより馬鹿げている方がより信頼されるのではないかと論じていた.ミラーは徳シグナリングは「偽善」の刻印を持つが,なぜそれが悪徳とされずにディスプレイされ続けるのかを考え,それは広く配偶選択や社会選択(部族の一員であることはこの1つとなるだろう)における自分の(配偶者や同盟相手としての優秀性についての)広告であり,その真実性を担保するためのコストとしての側面を持つのからなのだと議論している.
本書は大きく2部構成になっていて,まず個別のテーマにかかる学術的な論文や書評記事が集められ,最後に関連トピックについての寄稿記事がいくつか収められている.
 
第1エッセイは徳シグナリングが性淘汰産物であるという主張を行う論文になる.これは1985年にコロンビア大で突然「大学側に運用ファンドのなかの南アフリカで経済活動を行っている企業の株を売り払えと要求する」学生運動が始まり,一気に盛り上がって荒れ狂い,数ヶ月後に沈静化した事象を取り上げ,あるとき突然あるイデオロジカルなテーマで過激なディスプレイが生じるという現象は学生間の性淘汰ディスプレイと考えると最もうまく説明できると主張するものになっている.この背景には80年代のアメリカ東海岸のキャンパスでは保守派やリバタリアンの男子学生は女子学生から嫌悪感を抱かれる(つまりもてるにはリベラルのディスプレイをするしかない)ような状況だったというミラーの実体験もあるようだ.ここではディスプレイにはパーソナリティの広告という側面もあることが議論されていて,のちのミラーのリサーチ方向を垣間見せているところも面白い.
 
第2エッセイはザハヴィの「The Handicap Principle(邦題:生物進化とハンディキャップ原理)」の書評.徳シグナリングを説明する上でキーになる理論はハンディキャップ原理になる.この書評の中でハンディキャップ原理の要約と学説史がまとめられているのでここに収められたのだろう.ミラーのこの原理への入れ込み振りがよく現れているし,まだいろいろ議論のあった当時の状況がわかるものになっている.ここでは特にザハヴィの「利他性がハンディキャップとして進化するということがあり得る」という主張について大きく取り上げている.
 
第3エッセイは言語も性淘汰産物ではないかという論文.それまでの言語進化の理論は情報伝達(グループ内での情報共有)に焦点を当てていて(ダンバーのグルーミング説*1を除くと)なぜ話すのか(自分から貴重な情報を開示するのか)を説明できていないし,情報の正しさを保障する仕組みがないことも説明できない.しかし言語は知性やパーソナリティをディスプレイするために進化したと考えるとこのあたりのパズルが解決するという主張が展開されている.実際に多くの動物のシグナルは大半が発信者の情報広告(僕は健康なオスだよ,僕と交尾しよう.俺は強いぜ,俺様のナワバリには入ってくるな)であることを踏まえると今日的に見てもなかなか説得的な主張だ.現在の言語進化研究ではあまりこの議論はなされていないが,再考されるべきテーマかもしれない.
 
第4エッセイは本書の中心をなす大きな論文で,道徳性自体が(他の進化メカニズムと共に働く形で)性淘汰により進化したのではないかという主張が扱われている.ここではヒトの配偶選好において魅力的な特徴とされるものにはしばしばモラル的側面があることが指摘され,道徳的徳の少なくとも一部は性淘汰産物である(だから積極的にコストをかけたディスプレイがなされる)と主張されている.そのうえで,良い遺伝子広告,良い親広告,良いパートナー広告である可能性を指摘し,それぞれどのような予測が得られるかについて詳説されている.
このように考えた場合には道徳性自体については徳倫理学と相性が良いという主張もなされていて面白い.確かに配偶相手や同盟相手としての広告であれば,徳は行為についてではなくその人物についての広告のはずだからだ.これは道徳性がメンタルヘルスに問題を抱えているとディスプレイが難しく,その場合配偶相手としての魅力には欠けるが,道徳を行為規範と考えるとその行為を行う能力が無ければ非道徳的とは考えられない問題とも絡めて議論されている*2
またロマンティックな魅力と道徳的な魅力はしばしば絡み合うこと,配偶選択で最も重視されるのは(本質的に道徳的徳である)「優しさ」であること(しかし性差があまりないためにこれまで進化心理学リサーチではあまり注目されてこなかったこと)も指摘されていて興味深い.
このほかここでは個人差についても深く掘り下げられている.ミラーは自然淘汰産物は種内ユニバーサルを予測するが,性淘汰産物は(特にハンディキャップシグナルであれば)種内に分散があることを予測することを強調している.また配偶相手としての広告はその個人の知性やパーソナリティの広告を含むだろうことも指摘されている.これは「Spent(邦題:消費資本主義!)」でさらに詳しく取り上げられているところになる.
発展的な問題としては,ザハヴィの本で提唱されている頻度依存淘汰などで平衡が複数ある場合にグループ淘汰が働いて利他性が進化する可能性*3,道徳性とそれに対する選り好みの強さがポジティブフィードバックがかかって素速く進化する可能性に触れている.それぞれ興味深い論点だと思う.
 
後半は関連するいくつかの寄稿記事が集められている.
 
第5エッセイはGoogleメモ事件についての記事.Googleメモ事件とは2017年の7月に(当時)Googleのエンジニアだったジェイムズ・ダモアが公開したメモ「Google's Ideological Echo Chamber」が性差別的だと大騒ぎになり,結局ダモアはGoogleを去らざるを得なくなった事件だ.このメモは極めて冷静,理知的,実証的に生得的な認知傾向に性差がある可能性があること,しかしGoogleのダイバーシティプログラムがイデオロギー的にそれを認めないことを指摘し,状況を改善するためのいくつかの提案がなされているものだ.これに対して徳シグナリング社会正義戦士達が猛然とバッシングをかけ,Googleがそれを受け入れた形になっている.ミラーは企業がダイバーシティプログラムのイデオロギー性を正当化するのには広報的な理由もあるだろうが,(企業にとって最も重要な)競争力のアドバンテージを考えるならヒトの心の性差や個人差を認めたうえで人事戦略を立てるべきであり,それこそが多様性の価値であるはずだと主張している.
 
第6エッセイと第7エッセイは,アメリカの大学のスピーチコードの問題について.アメリカのキャンパスではリベラルの社会正義戦士達が「どんな差別的発言も絶対に許さない」という徳シグナリングを繰り広げた結果,誰かが主観的に不快であればどんなスピーチもヘイトスピーチとして弾劾できるという極めて曖昧で広い制限を課すスピーチコードが制定されている.そして実際に何が禁止されるかはポリコレを含むアメリカ特有の社会的文脈に大きく左右され,それは明示的には示されていない.この状況はSTEM分野に多いアスペルガー傾向を持つ学生や他国文化で育った外国人学生には前もって何が禁止されるのかを理解することが困難で,場合によってはアカデミアのキャリア自体が閉ざされてしまうことを考えると,大学の学問の自由を大きく侵害しているとミラーは主張している.
この後半の3つのエッセイはリベラルのポリコレのやり過ぎが取り上げられていて,これが徳シグナリングの弊害ということになるだろう.
 
全体としては性淘汰がハンディキャップ原理を通じて働き,言語や道徳も性淘汰が大きく効いている可能性があり,徳シグナリングはまさにその現れであることを主張する論文が一冊に収まっていて,なかなか貴重な本になっている.この性淘汰産物説は私から見るとかなり説得力があるのだが,あまり正面切って主張されることはなく,そういう意味でも意義のある本だと思う.また後半部分は自身アスピーであるミラーの心の叫びのようなエッセイ群で,読んでいて迫力があって面白い.性淘汰とヒトの心に興味があるなら「The Mating Mind」に続いて目を通しておくべき一冊ということになるだろう.

 
関連書籍
 
ミラーの処女作.ヒトの様々な特徴が性淘汰産物として理解できるという主張が強い説得力と共に説かれている.

 
同邦訳 
進化心理学的視点から見ると顕示的な消費は個人差のディスプレイであると考えるとうまく理解できることが説かれている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20101009/1286588967
 
同邦訳.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20171226/1514240384
 
男性オタクのためのもてるためのハウツーが詰まった実践的進化心理学応用本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180101/1514810891

ザハヴィのハンディキャップ原理,いろいろなつかしい一冊.今読んでも面白いと思う.ミラーの本書の表紙カバーはこの本へのオマージュなのではないかと思う.

 
同邦訳


アメリカのキャンパスのリベラル徳シグナリング状況がよくわかる本としてはこちら.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/04/04/172150

*1:しかしグルーミング説はなぜおしゃべりにコンテンツがあるのかを説明できない

*2:また論文の最後では規範的倫理の考え方についてのコメントもある.いずれも意欲的で踏み込んだ記述になっている.

*3:これはボウルズとギンタスが「協力する種」で「弱いグループ淘汰」という用語で(ザハヴィを引用せずに)提示しているモデルになる