ピンカーのハーバード講義「合理性」 その6

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合理性の規範モデルと記述モデルの話は一旦終了し,ここから応用編ということになる.応用編では様々なゲストレクチャーが予定されている.第11回のゲストはフランスの認知科学者ユーゴ・メルシエ ,第12回は心理学者でボストン大学ビジネススクールのマーケティング教授のキャリー・モアウェッジになる.
 

第11回 コミュニケーションの評価における合理性

 
講義前の音楽はドゥービーブラザーズの「What a Fool Believes」.
最初にピンカーからゲストの紹介がある

  • メルシエはダン・スペルベルと「The Enigma of Reason」を共著し,最近「Not Born Yesterday」という本も出している.
  • 合理性については古代ギリシア以来語り尽くされてきた感があるが,メルシエは合理性についての新しいアイデアを21世紀に提示した学者だと評価できる.

 

メルシエの講義
  • ヒトはコミュニケーションをとることによって多大な成果を挙げてきた.しかし片方ナチズムなどの暗黒面も指摘されている.ブレナンは「ヒトは真実や正義を求めるわけではなくコンセンサスを探す奇妙な生き物だ」といっている.この暗黒面に関してよくいわれるのは「ヒトは騙されやすく,よく考えなければ流されてくる情報をそのまま受け入れてしまう」というものだ.今日はそうでないことをこれから示していきたい.

 

  • コミュニケーションは受け手と送り手の両方にメリットがないと進化的には安定しない.しかし送り手には常にこれを利用して相手を操作する動機がある.だから受け手は情報の質を問うフィルターを持つはずだ.
  • これはいくつかの手がかり(キュー)を利用することがわかっている.
  1. ソースは博識か
  2. ソースは有能か
  3. ソースはこちらの利益を慮るか
  4. 皆賛成しているか
  5. そこによい議論があるか

 

  • リサーチによると2歳児でも2,3を,3歳児で1,2,3,5を,6歳児で全部の手がかりを利用する.
  • より多くのキューがあると我々はより説得され,キューがなければ頑固になることが報告されている.

 

「なにも考えないとどんな情報も受け入れてしまう」は本当か
  • ではここで「何も考えずにいるとどんな情報も受け入れてしまう」と考えられている例として洗脳とサブリミナル広告を吟味してみよう.

 

  • (1)洗脳:朝鮮戦争で中国軍の捕虜になった米国軍人のうち23人が中国に協力するようになった.しかし分母は4400人で,協力者も脱走罪で裁かれるのを恐れていたものばかりだった.真に共産主義に洗脳された者は誰もいなかった
  • (2)サブリミナル広告:無意識下で広告を見せれば,それを熟考できないので効果があると考えられた.しかしその効果を主張する論文データは捏造で,誰も再現できなかった.つまりサブリミナル広告は効果が無いのだ
  • 大衆を説得しようとする場合,通常大衆側にはキューがあまりない.だから説得されにくいのだ.

 

説得される側にキューがない場合どうなるか
  • これを調べたケースを3つ紹介しよう.ナチズム,USの選挙キャンペーン,商業広告だ

 

  • (1)ナチのプロパガンダ:カーショーは当時の日記や世論調査を使って調べた.その結果ナチが大衆に植え付けようとした政策プロパガンダは成功していなかった.例えば誰も安楽死を認めるようにはならなかった.元々反ユダヤ思想を持っていない人々が反ユダヤになる傾向もなかった.プロパガンダは元々反ユダヤだった人々には効果があったが,そうでない人々を説得できていなかったのだ.

 

  • (2)USの選挙キャンペーン:訪問や電話キャンペーンをやった地区とやらなかった地区との投票行動を比較したリサーチをメタ分析すると,直前のキャンペーンに効果はなかった.また1週間前でごく小さな効果があるだけだった.政治的な問題への賛否については,その人にとってどうでもいい案件のみ効果があった.
  • 政治キャンペーンは基本的にボトムアップ的で,政治家が選挙人を洗脳するのものではなく,選挙人の意見が政治家を拘束する効果を持つのだ

 

  • (3)商業広告:広告費の増減が売上の増減に結びつくかがリサーチされている.1982年の調査では弾性値は0.1以下だった.広告宣伝についてのリサーチのメタ分析によると,(出版バイアスをカウントすると)有意差はないというのが結論だ.広告により人々に購買を説得するのが成功するには,ブランドへの信頼がある場合に限られるようだ.

 

  • これらをまとめると大衆への説得は彼等が既に納得しているか信頼がある場合のみ効果があるということだ

本当に商業広告には効果がないのだろうか.これは疑問だ.これに関してはあとの対談で広告の効果について集団的幻想なのかという話になり,メルシエは本来買わないような消費者への説得は難しいが,最初から買う気がある消費者への情報提供は有効だと補足していた.
 
スーパーボウルの広告費に意味があるかどうかというリサーチで「あの広告費は割安だ」という結果だったというのはこの本に紹介されている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/07/26/213204

 

何故ヒトは騙されやすいのか
  • では何故ヒトは騙されやすいのだろうか.瀉血の有効性は千年以上信じられてきた.フラットアース論者はまだいるし,ピザゲート*1のようなフェイクニュースも簡単に広がる.なぜか.これには2つの方向から回答できる

  

  • (1)まず偽信念が広がる場合,それは直感ではなく内省的に結論づけられているということがある.直感から信じた場合にはそれは行動に結びつき,不利益を被りやすい,しかし内省的ならただ考えているだけだったりする.確かに瀉血は「身体から毒素を抜けばいいのでは」という直感から始まっている.しかしガレノス以降内省的な理屈づけが進展して確固たる偽信念になった.

 

  • (2)もう1つの回答は偽信念を開示するのは社会的な動機が絡んでいる時が多いということだ.自分が何かのグループに参加したいときにただ「自分は信頼できる」といっても信用されにくい. しかしそのグループに共有されるほかの人から相手にされなくなるような馬鹿げた信念を持っているというディスプレイは(コストをかけているので)信用されやすい. これがカルト集団のプロパガンダと儀式の馬鹿げた様相を説明する(北朝鮮の金王朝の伝説や超能力の主張が解説されている)

 

  • まとめると偽信念は多くの場合内省的にのみ受け入れられ,社会的には有用なことがあるということになる.

 

ヒトの合理性の理由
  • さて,ここでヒトの合理性を考えよう.
  • 先ほどの情報の質のキューに(5)の「議論の良さ」があった.ヒトはよい議論には説得される
  • 「ジョンはリンダを見ている,リンダはポールを見ている.ジョンは既婚でポールは未婚だ.ここで既婚者の誰かが未婚者の誰かを見ているか?:yes, no, We can’t tell」という問題を考えよう.一見これは「わからない」というのが答えに思える.しかしよく考えるとリンダが既婚でも未婚でもどちらかのペアが設問に当てはまることがわかる(正答率は10%程度).
  • これを数十人のクラスでやってもらう.すると当初は数人しか正答しない.しかしその後クラス内で議論してもらうと時間がたつと正答者は周りを説得できて,最後には大半が正答に達する.
  • 様々な問題を単独と5人で考えたときの正答率の差をみると,嘘の探知,予測で1.1倍,生物学の問題,医療診断,有罪無罪の判断で1.3倍程度になる.
  • ラッセルとホワイトヘッドとヒルベルトは数学の完全性と無矛盾性を示す理論的基礎を構築しようと何年にもわたって努力を傾注してきた.しかしそれはゲーデルによって不可能だとされた.ラッセル達はゲーデルの議論を聞いて納得した.
  • 最後にマルチン・ルターの逸話を紹介しよう.彼はその宗教的議論を理性を用いて行っていたが,理性自体については「それは有害な売春婦のようなものだ」と言っている.これはいつか自分のこれまでの議論が相手の理性によって覆されるかもしれないことを恐れていたためなのだ.

 

  • ヒトは合理性を用いることで周りを説得できるのだ.私はこれがヒトの合理性の進化的理由ではないかと考えている

 

ピンカーとメルシエの対談
  • ピンカー:そもそも他人を説得しようとすることはどのように生じるのか
  • メルシエ:まず理性で他人の議論を評価する,そして相手を説得する議論を作り上げる.そして相手を説得する.相手を説得するためには確証バイアスが有用になる.これは分断も生むが,説得には有利になるだろう.

 

  • ピンカー:グループでの意思決定は(単独のそれに比べて)劣化するということがしばしば言われる.社会心理学ではグループの議論は分断を生みやすいと言うことが言われている.そして例としてはケネディ,ジョンソン両政権のベストアンドブライテストがベトナム戦争の泥沼に引きずり込まれたこと,ブッシュ政権がイランの大量破壊兵器保有を信じたことなどが挙げられる.このあたりについてはどうか
  • メルシエ:確かに劣化するようなこともあるが例外だと考えている.劣化の場合多くは社会的な利害が関連しているだろう.

 

  • ピンカー:トランプ派とウォーレン派が4人ずつ集まって議論しても分断するだけだろう
  • メルシエ:認知は理性だけでなくいろいろなことが絡む.グループの同盟,社会的利害から信念にしがみつく,政治的な損得などいろいろなものが絡む.

 

  • ピンカー:理性的な議論がうまくいく条件はあるだろうか.民主制,査読,ディベートなど
  • メルシエ:様々なトレードオフがある.グループの多様性とサイズなど.また議論するには5人ぐらいまでの方がいいとされている.それを越えると話題が分離したり,参加しない人が増える.互いに意見を言い合う形の議論が重要だ.

 

  • ピンカー:瀉血の例が説明されたが,このような幻想にはいろいろある.身体から何か悪いものを出すのがいいと感じたあと,いかにも健康に悪そうな瀉血に行くのか,それ以外の方法に行くのか,このあたりの文化差が生じる要因は何か
  • メルシエ:1つの要因は社会的な容認がどの程度かということだ,これは正のフィードバックがかかるので,文化差が生じやすい.

 

  • ピンカー:民主制がSNSにハックされるのではという懸念については
  • メルシエ:そのようなエビデンスは内.効果がないというエビデンスはたくさんある.フェイクニュースをフォローする日は確かにいる.しかしフェイクニュースに沿って意見が変わるのではなく,元々持っていた信念に沿った形のフェイクニュースをフォローするという因果の向きになっている.

 
 

第12回「トレーニングで意思決定は改善できるか」

 
ゲストレクチャラーは心理学者でボストン大学ビジネススクールのマーケティング教授のキャリー・モアウェッジ .ピンカーの簡単な紹介のあとすぐ講義が始まる.なお機器の調子が悪かったらしく講義前の音楽はなかった.

モアウェッジの講義
  • 意思決定をめぐるここ60~70年のリサーチは以下のように進んだ.
  1. 合理的な意思決定とはどんなものか:それは期待効用最大化だ(ノイマンほか)
  2. ではヒトはそうしているか:いつもそうしてはいない(TK)
  3. それは常に問題なのか:ヒューリスティックスは時々問題を起こすが大体うまく働く(ギゲレンツァほか)
  • ここまでの状況を具体的な例に則して示してみよう
  • 自宅の火災保険に入るときにどのように控除額(それを越えた損害額が保険金として支払われる)を選ぶべきか.事故率が5%だとして,控除500ドルの保険料が615ドルで1000ドルのそれが715ドルだとする.500ドル×5%の25ドル以上の保険料の差があるから,この場合控除500ドルを選ぶべきだ
  • しかしヒトはしばしば1000ドル控除を選んで期待効用より大きな追加保険料を支払う.これは0%より大きな5%の確率を過大評価するなどのいろいろなバイアスが絡んでいるということになる.
  • ではこれはどのように改善できるか.これまで3つのアイデアが提示されてきた.
  • まず「インセンティブ」:(肥満問題解決のために)砂糖消費を抑えるための税制など.
  • 次に「ナッジ」:臓器移植ドナー承諾のデフォルト設定など.この2つは効果がある

 

  • 3番目は「トレーニング」だ.トレーニングが効くかもしれない背景には,バイアスには個人差文化差があること,天気予報などバイアスを乗り越えたエキスパートが存在すること,統計の講義コースをとると統計的な思考ができるようになること, 特定問題への問題解決戦略を教えることに効果が見られること(処方箋ヒューリスティック)がある.

 

  • 片方でトレーニングの有効性には懐疑論もある.
  • 懐疑論には以下のものがある.
  1. トレーニングが有効としてもコストが膨大になる
  2. ある問題のトレーニングは別の問題には役立たないのではないか
  3. トレーニングの有効性を示す結果はホーソン効果(1種のプラセボ効果)ではないのか,
  4. トレーニングは有効なヒューリスティックスに介入して全体として意思決定の質が下がるのではないか,

 

  • カーネマンはシステム1のエラーの補正はシステム2によるしかないが,世界にはしばしばそのためのキューがないと考えていた
  • ではインセンティブとナッジだけで問題に取り組まなければならないのか.しかしインセンティブやナッジにも限界はある.特定問題ごとに解決を図らなければならず,しかも効果は文脈に大きく依存する.ではバイアス問題には解決はなく,単に興味深いだけということになるのだろうか.
  • 今日はそうでないことを示したい.

 

  • 我々はイラク戦争を生じさせた「大量破壊兵器がある」と判断した意思決定を深くリサーチし,その問題解決を探ってきた.特に確証バイアス,根本帰属誤謬,バイアスの盲点,アンカリング,代表性バイアス,人物評価投影バイアスを調べた.この6つのバイアスについて個人ごとに測定した.様々なバイアス間にはあまり相関が無く,あるバイアスの中のサブセット間でも相関は少なかった.一般的知能とバイアスもあまり相関が無かった. 
  • ここからデバイアシングをゲームと教育動画でトレーニングし,それがバイアス認知とバイアス減少に効くかどうかを直後と2〜3ヶ月後に測定した.(ここでリサーチの詳細について説明,大変興味深い)
  • 結果はバイアス認知もバイアス減少も明確な効果があった.直後より2〜3ヶ月後に効果は下がったが,それでも効果量は0.6を超えていた.ゲームの方がこのリバウンドが少なかった.
  • またソーシャルラーニングの効果もあるかもしれないと考えて,他人のゲームを観察するというトレーニングも追加して調べた.これも有効だった.
  • 分野間でトレーニング効果が移転されるか.これをパリのビジネススクールでレーシングチームの意思決定問題として実験できた(詳細は極めて面白い).この結果異なる確証バイアス問題への移転が確認された.

 

  • これでトレーニングの懐疑論にはすべて反論できた.30~90分のトレーニングで効果があり,別の分野にも移転でき,本人がデバイアシングされていると知らなくても効果があり(パリの実験はそうデザインされていた),意思決定は改善されたのだ.
  • つまり私たちは心を世界に適応させることができるのだ.トレーニングは1回でも大きな効果があり,意思決定を改善できるのだ.これまでの懐疑論はきちんと測定できていなかったことによるのだろう.
  • バイアスのサブセット間の相関は低いが,トレーニング効果は移転できた.これは一般知性によっているのではないが,なんらかの共通の心理プロセスを経ているからだろう.
  • のこる課題には.ハイステークな意思決定も同じなのか,バイアス間でトレーニングの有効性は異なるか,一般問題解決能力はあるのか,トレーニングはいつがいいのか,がある.

 

ピンカーとの対談
  • ピンカー:トレーニングによってバイアスによる誤謬が減少しているが,ゼロにはならない.
  • モアウェッジ:これには個人差がある.一部の人はほとんどゼロになるが,一部の人はあまりバイアスが減らない.カーネマン自身もバイアスから逃れることはできないといっている.バイアスによっても効果は異なる.合接の誤謬と違ってプロスペクト理論に絡むものはわかっていても相観じてしまうという部分がある.

 

  • ピンカー:ゲームと教育動画はどう違うのか
  • モアウェッジ:ゲームは能動的に選択する.そしてより時間がかかる.

 

  • ピンカー:合接の誤謬間ではトレーニング効果は移転されるのか.リンダ問題と核戦争の可能性問題と陪審評決問題は少し異なるがどうか
  • モアウェッジ:これについてはそれほど深く調査していない.しかし一部は移転されるということだと思う.(一部と思うのは)リンダ問題と核戦争問題では利用可能性バイアスの絡み方が異なるように思うからだ.(ピンカーからそもそも合接誤謬は利用可能性バイアスがあるからこそ現れるのではという指摘あり)

 

  • ピンカー:バイアスへの一般的な弱さというのはあるか.認知スタイルと関連するか
  • モアウェッジ:6つのバイアスを使って調べたリサーチがある,それによると一般的なバイアスへの弱さを最もよく予測するのは流動性知性(特定コンテントの知識に基づかない知性)だった.

*1:2016年の大統領選挙の期間中に広まったフェイクニュース.ヒラリー陣営の関係者が児童性的虐待に関与しているというもの