書評 「花と昆虫のしたたかで素敵な関係」

 
本書は生態学者石井博による送粉生態学の解説書である.まえがきでこの本の性格について説明がある.それによると花や送粉者について書かれたこれまでの本は(一部のトピックのみを扱った本を除いて)専門家を対象にしたとても難しいものか,小さな子ども向けに書かれたものしかないので,その間を埋めるべく,トピックを網羅的に取り上げ,それなりに踏み込んだことも扱い,専門的な知識がなくとも理解できる本を書いたということになる.(なお題としては「花と昆虫」となっているが,昆虫だけでなく鳥やコウモリを含む送粉者全般を扱っている)
 
本書の構成としてはまず動物を送粉者として用いることについての進化的な説明があり,そこから様々な送粉者の特徴が送粉シンドロームとともに紹介される.そして興味深い絶対送粉共生をまず解説したあと,訪花者の花選択,送粉をめぐる植物や訪花者の戦略という行動生態的なトピックが取り上げられる(ここが本書の中心部分になる).そして群集生態学のトピックとして送粉系群集を扱い,最後に人為的な影響がまとめられている.記述としては教科書的な記述だけでなく,そこに興味深い事象や最近のトピックが加えられていて読者を飽きさせない工夫となっている.
 
というわけでこれ1冊で送粉に関して一通り興味深いトピックがわかるようになっている.ここでは私的に興味深かったところを紹介しておこう.

  • 風媒に比べた動物媒のメリットで最も重要なものは,送粉者が種や個体ごとに同種の花を訪れる傾向があるため近縁種の繁殖干渉を受けにくいということだ.
  • 送粉者で最も重要なのは膜翅目昆虫(ハチ)であり,次は双翅目昆虫(ハエ)だとされている.
  • 膜翅目昆虫のなかでハナバチ類は最も重要な送粉者になる.それは彼等が種数や個体数で多いこと,幼虫養育用の花粉と花蜜を巣に持ち帰るために精力的に花と花の間を飛び回ることによる.その中で真社会性のハナバチが特に重要だと考えられ,多くのリサーチがなされてきた.しかし実際には(高山帯やツンドラを除くと)単独性のハナバチの方が個体数が多いことも多く,特に花資源が安定的でない地域では単独性ハナバチの方が重要になっている.
  • シタバチ(中南米に分布するハナバチ)に送粉してもらうランは花蜜の代わりに芳香物質を報酬としてオスバチを誘引し,オスバチはそれをメスの誘引やレック形成に用いる.
  • ハエを送粉者に持つマムシグサは雌雄異株であり,雌株の花の仏炎苞には受粉したあとのハエが逃れられる出口がなく(その方がより受粉確率が上がるからそうなっていると考えられる),入り込んだハエはそのまま死んでしまう.
  • チョウが蜜泥棒なのか送粉者なのかについては議論がある.蜜泥棒説は典型的な吸蜜行動では葯や柱頭にあまり触れる機会が少ないと主張するが,チョウが訪花する花には「チョウ媒」として括ることができる共通特徴があり,このような花はチョウを送粉者として積極的に利用しているのではないかと考えられる.
  • 基部被子植物(モクレンやセンリョウなど)には送粉者への報酬として花粉だけを提供するものが多く,それらは甲虫媒であることが多い.これはジュラ紀から白亜紀にかけてまだチョウやハチの多様化が進む前には鞘翅目昆虫が重要な送粉者であったことを示唆している.
  • アザミウマは世代が短く,短期間で急速に増殖することができる.このため豊凶現象のある熱帯雨林の一斉開花期において重要な送粉者であると考えられていた.しかしアザミウマは同じ花にとどまって花粉を食べていることが多く,さらにフタバガキ類のリサーチではアザミウマ食のカメムシ類の方が送粉者として重要であるという結果が得られており,そうだとするとフタバガキにとってのアザミウマは送粉者を呼び寄せるための餌ということになる.
  • (ハチドリのような花蜜食に特化したクチバシを持つ鳥のいない)日本では鳥媒花の多くは冬から早春にかけて咲く.それは細長くないクチバシで花蜜が得られるような花は昆虫に容易に盗食されるためだと考えられる.
  • 鳥媒花の「赤」はアフリカ,アジア,オセアニア,太平洋の島々,南北アメリカで,様々な系統で何度も独立に進化してきたことがわかっている.
  • 南北アメリカで送粉するコウモリはオオコウモリ類ではなくヘラコウモリ類なので,その地のコウモリ媒花には音を反響する構造や反響音を際立たせる仕組みがある.
  • 海洋島ではしばしばスーパージェネラリスト送粉者が存在し,大陸ではみられないバッタ,トカゲ,ヤモリによる送粉も観察される.またオーストラリアには有袋類による送粉,マダガスカルにはキツネザルによる送粉が報告されている.

 

  • サクラソウ科のクサレダマは花蜜ではなく花油を報酬として分泌し,クサレダマバチはクサレダマばかり訪花してこの花油を集める.花油を分泌する植物は送粉者と1対1の関係になっていることが多い.
  • イチジクとイチジクコバチの関係は有名だが,雌雄同株の場合と雌雄異株の場合では少し異なる生活史になっている.雌雄異株の場合雄花で生まれてそのイチジクから分散したメスバチが雌花に潜り込んでしまった場合にのみ受粉が生じるが,そこでは産卵できずに死んでしまう*1
  • ユッカとユッカガの絶対共生関係ではユッカガはユッカの種子に産卵するために送粉を能動的に行う(別の花から持ってきた花粉塊をおしべの柱頭にこすりつける).またユッカにはすべての種子に産卵された場合にはその果実を落としてしまうという罰が進化し,ユッカには一部の種子には産卵しないで残しておく性質が進化している.
  • 同様の関係はコミカンソウとハナホソガの絶対共生系でも観察される.能動的送粉に関しては,コミカンソウは雌雄同株で(普通雌雄同株の場合には送粉者に雄花にも雌花にも来てもらうために同じ匂いで誘引するが)雄花と雌花で匂いを変えており,ハナホソガは匂いで雄花と雌花を区別し,雄花で花粉を集めてから雌花を訪花するという性質が進化している.

 

  • 花蜜が多い花は黄色や白ではなく赤や青であることが多い.これは鳥やチョウやハチを誘引しつつ,ハエや甲虫類の訪花を避けるためだと考えられる.
  • 送粉者の定花性は植物にとっては都合がいい.しかし何故多くの送粉者は定花性を持つのか(どんな花でも蜜や花粉があれば訪花すればいいのではないか).これについては採餌技術習得コスト仮説,情報収集コスト仮説,採餌技術記憶の干渉仮説,探索イメージ仮説などが提唱されており,それぞれ支持するデータがある.

 

  • 一部の花では送粉者を誘引するための(しばしば鮮やかな黄色の)仮おしべと送粉者に花粉を付けるためのおしべ(しばしば長くあまり目立たない)が分化している.
  • 餌擬態花(報酬を与えずに誘引するだけの花)を持つ植物種には同じ集団のなかで花色の多型がみられることが多い.これは無報酬であることを送粉者が学習するために生じる(頻度の高い色の花の方がより素速く学習されるために負の頻度依存淘汰がかかる).
  • ハチのオスを送粉者として利用する性的擬態花は何故かヨーロッパとオセアニアに多い.(アフリカ・アジア・中南米にはごくわずかに例があるが北米ではまだ1種も知られていない.理由はわかっていない)
  • デンドロビウム・シネンセというランはミツバチの警報フェロモンの成分を放出することでスズメバチを誘引する.シンビジウム属のいくつかのランはトウヨウミツバチの集合フェロモンの成分を放出することで分蜂のために出てきたミツバチの群れを誘引する.
  • ランにこのような無報酬の騙し誘引が多いのは,同じ株の異なる花で自家受粉(隣花受粉)されるのを避けるためだと考えられている.ランは花粉が花粉塊という塊になっていてこのリスクが高い.このためある株のある花で騙されたと感じた送粉者がその株を離れることが有利になる.*2

 

  • 強盗型盗蜜を行うことができる訪花者は限られている.クマバチ,一部の短舌種マルハナバチ,一部の鳥類からしか報告されていない.
  • 花色変化は古い花を維持することで花序や株全体を目立つようにしつつ,古い花に訪花者が行かないようにする戦略だと考えられている.またその花序から早く立ち去らせて隣花受粉を減らす効果,送粉者の再訪花を促す効果なども提唱されている.
  • 大きくて目立つ花序は多くの送粉者を誘引できる.するとそこでの送粉者同士の競争も激しく個々の花の蜜は少なくなり,送粉者は早く株を立ち去るようになる(隣花受粉リスクが減る).
  • 花序の中の個々の花が複雑な仕組みを持つために送粉者の採餌にコストがかかる場合,送粉者は花序の中の一度訪花した花への再訪花のコストが上がるため早く株を立ち去るようになる(隣花受粉リスクが減る).
  • ネジバナの捻れ具合は,強すぎると誘引度が下がり,低すぎるとすべての花を送粉者が訪れて隣花受粉リスクが上がる.捻れ具合は誘引度がそれなりに高く,送粉者が一部の花をスキップして次の花序に向かうように最適化されている.

 

  • 一時騒がれた蜂群崩壊症候群については,ネオニコチノイド系農薬の影響以外にも,その他の農薬.パラサイトやウイルス,花資源の均質化による栄養不良,巣箱の長距離移動ストレス,遺伝子組み換え植物の化学物質などの原因が疑われ議論されているが結論は出ていない.おそらくいくつかの要因が複合的に作用した結果だと思われる.
  • ただネオニコチノイド系農薬が何かしらの関わりを持っているという可能性が高いと考える研究者は多くなっている.しかし規制の是非の判断には,代替使用される農薬(多くはヒトに対しての毒性が強い)の負の影響との比較が必要で,問題は単純ではない.化学農薬全般の使用を今より減らすための政策的な考慮が重要だ.

 
本書は著者の狙い通りに送粉生態学についての一般向けの楽しい入門書に仕上がっている.確かに私がこれまで読んできた送粉に関する本は一部のトピックを扱ったものが多く,ここでこの話題を網羅的に読めるのは大変嬉しかった.花や昆虫,そして進化生態に興味のある多くの人に推薦できる良書だと思う.

*1:メスバチにとっては雄花と雌花を見分ける強い淘汰圧がかかるのでこの関係は進化的に不安定に思えるが,イチジク側の完全勝利が続いている,あるいはメスバチが見分けられるようになったら両種絶滅してしまうためにイチジク完全勝利の共生だけ存続しているということらしい.そうするとイチジクにとっては雌雄同株への淘汰圧がありそうだが,引き続き雌雄異株種がある(つまり異株に強いメリットがあるらしいがそれは何か)というのも興味深い

*2:ではそもそも何故花粉が花粉塊になっているのだろうか.その適応的な利点については解説されていない