書評 「新種の発見」

 
本書はクモヒトデ類を専門とする分類学者岡西政典による動物分類学についての新書になる.いわば動物分類学への招待という趣の一冊だ.
 
冒頭は著者自身が最初に標本に出合ってから,2年かけてそれを新種として記載論文を書き,受理されるまでを描いている.そして第1章で分類学の根幹は何かを語る.それはまず生物を認識し,階層的なカテゴリーに整理することであるが,それとともに名前を基礎づけるという部分が大きいのだ.著者は具体的な命名などに触れながらそこを説明する.そしてリンネの体系の重要な点は二名法だけでなく名前を定義ではなく記号と扱うことにしたところだと指摘している.
 
第2章では動物分類学の楽しみ「フィールドでの採集」が語られる.冒頭で海と陸にどちらが動物種が多いのかという話題が取り上げられ,「門」に関する様々な蘊蓄がある.左右対称か非対称か,前口動物と後口動物,脊椎動物は門とすべきか(最近脊椎動物門とすべきだという論文が出され,著者はこれにしたがっている)などが語られている*1
そこからは様々なフィールドの様々な採集法がいろいろ語られている.ここは詳細がいろいろと楽しい*2
 
第3章は新種の発見.冒頭では著者自身のテヅルモヅルの新種記載に9年かかった事例が紹介されている.そこから話は一気に沖縄の海底洞窟に飛び,著者の採集経験談がある.そして新種は身近にもいるのだと砂浜にいるクマムシやキョクヒチュウの新種の話になる.ここで「種」とは何かという話が取り上げられる.著者はいろいろそれで取り扱えない例外はあるにしてもマイアの生物学的種概念が基本になるという立場であることを説明した上で,遺伝子と生物集団が異なる分岐パターンを示している事例やDNA解析が重要な手がかりになる例などを取り上げている.本章は最後に東京大学岬臨海実験所の歴史とそこで見つかった新種の話がある.サナダユムシやオトヒメノハナガサの話は楽しい.
 
第4章は命名.ここからは「どのように名前を基礎づけるか」の話になる.まず命名の前に古今東西の文献・標本調査と情報整理(特に異名リストをきちんと作ること)が必要であることが説明される.この大変な作業がどのようなものであるかが著者の経験と共に詳しく説明されている.次に国際動物命名規約の概要がかなり詳しく解説され,異名や同名の処理が極めて重要であることが強調されている.ここからそこから派生する問題の具体例としてモデル生物であるキイロショウジョウバエの属名変更問題*3,日本のサザエの学名問題*4などが語られている.
 
最終第5章は分類学の将来.日本の分類学の将来については,これまで分類対象生物の絶滅よりも分類学者の絶滅の方が先ではないかなどの悲観的な話をよく耳にしたのだが,ここで著者は明るい未来への希望を語っている.特に文献・標本調査と情報整理についてはIT技術の発達により世界中で優れた整理情報を共有できるようになりつつあり,また標本の形態のデジタルデータが容易にアクセスできるようになりつつある.これにより分類学者は未記載種の記載や名前の安定のための採集や標本観察に従来より多くの時間を当てられるようになる.そしてモデル生物生物学,形態学や形態を重視する古生物学,分子生物学ゲノム科学などとのコラボレーションの機会が増えていくという見通しが語られている.またSNS等による一般市民からの情報収集協力も増えていくことが期待できることも指摘されている.是非そうなってほしいと思いながら読める部分だ.
 
全体として本書は一般向けの分類学の紹介書としてとても読みやすくて楽しい本に仕上がっている.名前の基礎作りの重要性とそのための調査の膨大さ,フィールドの楽しさ,将来の明るい展望あたりが読みどころかと思う.
 
関連書籍
 
岡西による自伝的研究物語.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160624/1466773291

*1:なお海と陸でどちらが多いかに関しては現状の記載では昆虫の存在により圧倒的に陸だが,線虫の研究と分類が進めば逆転の可能性があるということらしい.

*2:なお潮間帯と水深50メートルの間はこれまであまり採集されてなかったが,スキューバの普及により近時有望な採集エリアになりつつあるのだそうだ

*3:最近キイロショウジョウバエは従来のDrosophilia属ではなく,Sophophora属にすべきだという論文が出た.これを受け入れると莫大な数のD. melanogasterという学名を使った論文があるために混乱が生じるのではないかと懸念されているという問題.キイロショウジョウバエをDrosophilia属のタイプ種に変更してはどうかという提案があったが審議の結果例外扱いはしないと決まったそうだ

*4:命名規則を厳密に適応すると(これまで使われてきた学名が無効であり)実は学名がなかったというので最近になって記載論文が出された