From Darwin to Derrida その9

 
ストラテジストとして遺伝子を見る視点,遺伝子という用語の多義性を整理したあと,ヘイグは戦略遺伝子と物質遺伝子の関係を解説する.ここで同じ遺伝子のコピー同士で相互作用する場合には戦略遺伝子のリーチはその物質遺伝子コピー群の外縁まで広がっていると見るべきこと,そして具体的な戦略の中身は,相手が自らのコピーであるかどうかを判断するメカニズムが「血縁」なのか「緑髭」なのかにより重要な違いが生まれることを指摘する.
 

戦略遺伝子のリーチ

 

  • 戦略遺伝子は,そのコピーが稀なときの,その配列の複製に影響を与える情報遺伝子の物質的コピー群の相互作用の性質により定義される.
  • もしその情報遺伝子のすべてのコピーが(相互作用せずに)単独で働くなら,単純に個別の複製効率を直接上げる表現効果だけが問題になる.その場合,戦略遺伝子の空間的広がりは物質遺伝子のそれと同じになる.
  • しかし物質遺伝子は単独で働くとは限らない.例えば多細胞生物の体細胞にある物質遺伝子は直接自分の複製を残さず,生殖細胞内のコピーの複製効率を上げるように働く.この場合,戦略遺伝子は生物個体内の物質遺伝子のクラスターになる.同様にある個体内の体細胞内にある物質遺伝子は別の血縁個体の生殖細胞のコピーの複製効率を上げるように働くことがある.この場合戦略遺伝子は血縁個体のうち(そのコピーを持つ)一部の個体の物質遺伝子のクラスターになる.それでもこのような場合のこの遺伝子の戦略は「すべての血縁個体を同様に取り扱え」となることがあり得る.それはすべての血縁個体がそのコピーを持っているからではなく,持っている個体のみを優先する方法がないという理由でそうなり得るということだ.
  • もしある個体のある遺伝子のコピーが別の個体に利益Bをもたらし,自身の個体にコストCをもたらすなら,そのようなコストのある行動は pB>C という条件で戦略的に有利になる.ここで p は受益個体にコピーがある確率だ.pが高くなる2つの状況がある.認知(緑髭効果)と血縁だ.
  • 「緑髭効果」は遺伝子が表現型効果から直接認識できるときに起こりうる.これに対して血縁は歴史的継続性から認識可能になる.哺乳類のメスは出産を通じて子孫を認識することができる.オスは交尾したメスの子孫に選択的にリソースを渡すことができる.巣にいる同種個体は兄弟である可能性が高い.このような血縁淘汰においては遺伝子の戦略は減数分裂コイントスの結果に盲目だ.この場合 p は伝統的な血縁度と一致する.緑髭効果はそうではなく兄弟や血縁個体の中で誰が同じコピーを持っているのか見極めることで生じる.
  • 「緑髭効果」はドーキンスの思考実験から名づけられた.自分と同じコピーを持つと認識した個体を有利に扱うことと合わせて,持たないと認識した個体を不利に扱うこともこの効果に含まれる.

利己的な遺伝子 40周年記念版

利己的な遺伝子 40周年記念版

  • 「緑髭効果」は,単一遺伝子がラベルのような効果を持ち,かつそれに対応する効果を持つというのは難しいという理由で懐疑的に扱われてきた.しかしこれらは緊密に連鎖した複数の遺伝子であってもいいのだ.

 

  • 自身のコピーの認識に基づく協力(緑髭効果)と歴史的継続性に基づく協力(血縁淘汰)の区別は,多くの遺伝子間相互作用に適用できる.減数分裂の第1分裂後期第1フェーズに相同動原体が分離するときに整然と過程が進むのは相同動原体同士が配列の同一性を認識できる(緑髭)からであり,これに対して第1分裂後期第2フェーズで姉妹動原体が分離するときには祖先配列の共有による物理的な結びつき(血縁)があるために相同認識は不要になる.同様に(ある個体内の)身体の物理的な結合は姉妹細胞が同じ接合子からの子孫であること(血縁)から可能になっており,外部からの侵入者に対しては免疫による自己と非自己の区別(緑髭)により防衛されている.

 
ここまでが概念整理になる.
ここからヘイグは同じ個体にある遺伝子間のコンフリクトに話を進める.まず原核生物のバクテリアの場合が解説される.
 

原核生物:細胞質の共有地管理

 

  • 遺伝的複製にはエネルギーとリソースが必要であり,それは遺伝的な分業により効率的になっている.このリソースは細胞質内のいわば共有地であり,どの遺伝子にとっても利用可能だ.だから遺伝的共同体は,社会的な搾取を制限する機構の進化なしには,潜在的にフリーライダーに対し脆弱だ.特に複製過程へのアクセスについては厳格なコントロールが必要になる.
  • DNA生物はRNA生物からに進化した理由は遺伝的コピーの信頼性を高めるためだと考えられている.しかしこの進化には細胞内セキュリティのインプリケーションもある.RNAポリメラーゼが複製も転写も行う場合には,DNAが複製,RNAが転写と分業している場合に比べて,(フリーライダーの)取り締まりが難しいのだ.さらに遺伝子がDNAに乗り,細胞質内を定期的にリボヌクレアーゼで洗浄する共同体はRNAベースのパラサイトを排除するのが容易になる.
  • 細胞質共有地を効率的に管理する効果的な方法は,遺伝子を単一共通起源にリンクさせ,細胞質からノンメンバーを排除することだ.そうすれば染色体はメンバーの利害を一致させるチームになる.その方法は平等主義だ.ある染色体内にあるすべての遺伝子はその貢献にかかわらず平等に1サイクルで1回だけ複製できる.複製に貢献があった遺伝子を複製機会において優遇すれば効率は上がるかもしれない.しかしこの議論はフェアな取り分を決めるルールを交渉するコスト,その複雑なルールを執行するコストを無視している.ただしこの遺伝子を単一起源にしてコンフリクトを抑えるやり方は,複数起源でコピーを認めるよりも複製効率が悪いという対価を払う必要がある.

 
この最後の部分でヘイグはメイナード=スミスとサトマーリの著書を出典として示している.彼等の議論の骨格は本来コンフリクトがあり得る複製子同士の協力を進化させるには,出自を共通にしたり複製を平等にすることによってそれらを運命共同体にする仕組みが重要であり,それら(the major transitions)は進化史上何度か生じたということだ.

 
なお彼等は同じ議論を一般向けにしたより読みやすい本も出している.
The Origins of Life: From the Birth of Life to the Origin of Language

The Origins of Life: From the Birth of Life to the Origin of Language