書評 「森林の系統生態学」

森林の系統生態学―ブナ科を中心に―

森林の系統生態学―ブナ科を中心に―

 
本書は生態学者広木詔三による日本の森林を扱った一冊.「系統生態学」というのは初耳だったので,思わず手に取った一冊だ.この系統生態学というのは生態という空間的なパターンに加えて系統という歴史も加えて種間の関係を読み解いていくという試みのようだ.
 

序章 種の特性と群集

 
本書は著者にとっても学者人生を総括する一冊らしく,序章に理論編がおかれている.この理論編では「種」についての問題が著者なりに整理されて論じられている.
リンネ以来の種概念(特にマイアの生物学的種概念とその限界と様々な提案)を簡単に見た後で,種の実在性の問題を扱う.三中による種の実在性の否定について「一部の例外的な時期を除けばある種は別の種から独立しており,実在性の否定はおかしい.また種の認識をすべてヒトの認知に帰すべきではない」と主張されている.著者が種の実在性の否定についてかちんときているのはわかるが,実在をめぐる哲学的な整理には踏み込めてなく,議論としては浅いという印象だ.
このほかここでは適応放散について,ニッチと競争だけでなく系統関係にも目を配るべきだとか,局所的な個体群の集合である群集に加えて種の集合全体を種集合体として捉えるべきだという「種」に入れ込んだ主張がなされている.著者の学者としてのスタンスというところだろう.
 

第1部 植物の系統と分類:ブナ科の位置付け

 
冒頭で陸上植物の系統の概観がある.コケ類,ライニー植物群,裸子植物,被子植物とコンパクトにまとまっている.ここで塩性植物のアカザの適応戦略(種子の二型性(親元に落ちる種子と分散する種子)など)の話が挟まってから本題のブナ科の話になる.
このブナ科の話は系統,地理的な分布,風媒と虫媒,果実と殻斗の進化(三角錐3個が祖先形態でそこから丸いドングリが進化する),日本のブナ科植物の学名についての蘊蓄と語られていて,大変充実していて面白い.
 

第2部 樹木の生活史と生態:ブナ科に即して

 
ここでは著者自身の研究を中心にブナ科の樹木の生活史戦略が解説される.

  • 様々なドングリの発芽スケジュール:落葉樹は短期発芽型で常緑樹は長期発芽型であるのが基本.クヌギなどの例外あり.ブナは多雪地帯に適応した長期発芽型
  • 種子の大きさ:樹木としては大きい種子が耐陰性であるのが基本だが,日本のブナ類では種子が小さい方が耐陰性が高い.ナラ類の種子の大きさはギャップなどのストレス環境で速やかに成長できる戦略であるようだ.またクルミなど動物散布に適応して種子が大きくなるものもある
  • ブナの結実周期:(丹念なブナの種子広いリサーチの結果が解説されている)豊作年の平均間隔はヨーロッパのブナが4年程度であるのに日本では6年程度であるようだ.その不規則性や同調性のメカニズムについてはなお解明されていない.(究極因としては)受粉効率,光合成生産物の蓄積と消費などの複数要因が関わっていると思われる.
  • 萌芽再生:延命戦略(被陰下で光合成量が消費量に追いつかなくなった場合に,萌芽の細い幹を残して延命を図る)である場合もあるし,空間占拠戦略(氾濫や崩落の際にいち早く萌芽枝を出す)である場合もある.落葉樹は春に葉を出すために根や幹に養分を貯めているので萌芽戦略を採りやすい.このためシイやカシを伐採したあとにはナラ林ができやすい.

 
またこの第2部では近縁種間の関係として,アベマキとクヌギ,ツブラジイとスダジイとオキナワジイ,フモトミズナラの分類学的系統的な考察がおかれている.いずれも深い.
 

第3部 森林のダイナミクス:火山植生の遷移を中心に

 
第3部では遷移が扱われる.最初に遷移理論の学説史が解説される.クレメンツの遷移理論の体系化と単極相説,ホイタッカーによる極相パターン説により遷移の古典理論が20世紀の半ばに完成する.70年代以降攪乱の重要性が認識され,遷移の要因(攪乱,生活史特性,種間相互作用,ストレスや栄養などの環境要因)は相互に関連しあったものとして捉えられるようになる.その結果単純な極相の概念は否定され,攪乱と遷移という枠組みに変わることになる.
以上の学説史を踏まえてここからは具体的な研究例になる.そして火山においては溶岩や火砕流による攪乱があり,その年代も特定できることから理想的なフィールドになり,詳しく取り上げられる.まず桜島,三宅島,磐梯山の遷移の詳細が詳しく語られ,またさらに雪崩攪乱の例として穂高岳右俣谷,湿地の遷移として大根山湿地の例も取り上げられている.このあたりの具体的な植生の遷移の解説は迫力もあり本書の読みどころになっている.最後に著者がこのような研究を通じて感じた理論的な問題(遷移における位相,極相概念,種の位置づけ,温帯と熱帯の違い)にも触れている.
 

第4部 すみ分けと種分化

 
ここで著者は今西錦司の(種社会の制御下に一斉に変化するといういわゆる今西進化論ではなく)すみ分け原理について深入りする.今西のカゲロウのすみ分け観察,ニッチ概念との比較を解説し,ニッチ概念では種間関係が捉えきれないと断定し,さらにすみ分け原理に立つと種分化の履歴効果をフレームに入れ込むことができると力説し,より概念的に広げた広義の「すみ分け原理」に立つと宣言する.正直なところ,このあたりの著者の主張はこだわりが強くて難解で,私にはよくわからないという感想だ.
ともあれ,そこから著者は具体的な樹木種の「すみ分け」を解説していくことになる.ブナとスギ,ブナ科内の諸種,ブナとナラ,ヤナギ類,サクラ類,カエデ類,カバノキ類,モミとツガなどが次々に解説されている.ここも大変面白く読みどころの1つになる.問題の履歴については,日本列島への侵入や種分化の推測も含めていくつか取り上げられている.ただ私の感想としては,(ことさらすみ分けと力説しなくても)系統地理的な視点も取り入れたニッチ解説としてみることができるのではないかと思う.
続けてコナラ,ミズナラ,モンゴリナラの系統についての仮説が開示されている.ここも詳細は大変面白い.
最後にオニグルミの歴史的な形態変遷データが断続平衡説に当てはまっているという話が載せられている.著者なりに興味があった話題ということなのだろう.
 

第5部 森林群集論

 
ここも最初は理論から.まず森林の成立環境要因を列挙し,風ストレスの重要性を強調する.続いて階層構造,植生の連続体説を解説し,森林群集をグローバルな森林の連続体として捉えるという著者の立場を説明する.そのうえで渡邊定元の「樹木社会学」,今西の種社会概念を批判し,著者としては歴史性と生態的統合の2つの枠組みから捉えると宣言する.
歴史性としては特に適応放散と地理的分布の関連を解説している.北米のマツやマングローブなどの例をあげた上で,日本のコナラ属の例が解説される.熱帯で起源したアカガシからウバメガシ,クヌギが分化して温帯に広がり,クヌギからさらにコナラが北米で分化し,ヨーロッパやアジアに広がった.そして大陸と日本列島におけるブナとカエデの種構成の比較から適応放散の歴史を再構成している.ここも本書の読みどころの1つだ.
生態的統合としてはカケスによるコナラの種子分散,菌類との共生が成立できるかどうかが遷移過程に影響を与える例,森林群衆内の種間関係が取り上げられている.
 

本書は妙に「種」にこだわった理論編と,著者自身のリサーチを中心にした具体的な森林生態の解説が混じり合った本になる.理論編はやや難解で通常の進化生態学からみると少し斜めにずれている部分もあり私には評価する能力はないが,具体的な森林生態の解説部分は充実しておりとても面白い.動物と違って樹木は個体移動がなく寿命も長いので,種分化の歴史が現在の分布により大きな影響を与えていることもわかる.本書を読んだ上で(かつ樹木の種識別ができるように修業して)日本の森に入るととても楽しい経験ができるのではないかという思いでわくわくしながら読める本だ.