From Darwin to Derrida その19

 
ヘイグによる「利己的な遺伝子」思考を突き詰める本書は第3章に入り,「ミーム」を論じることになる.ミームはドーキンスが「利己的な遺伝子」の最終章で提示した概念だ.ドーキンスはそこで自然淘汰の原理は非常に強力であり,その前提条件(変異が存在する,変異により生存や繁殖に差がある.それが次世代に承継される,複製子同士が競争している)を満たしていればDNAベースの遺伝子以外でも自然淘汰が生じることを強調し,その例として「ミーム」を提唱したのだ.


  

第3章 「遺伝子」ミーム

 

  • 「利己的な遺伝子」の最終章では遺伝的進化と文化的進化のアナロジーが探られている.ドーキンスは文化的な特徴も自然淘汰により進化すると示唆した.文化的特徴の中にはその伝達を増強するような特性をもつものがあり,それにより選択的な複製が生じるというのだ.ドーキンスはこの新しい自己複製子を「ミーム(meme)」と名づけた.
  • ギリシア語の語根から考えるとmimemeがふさわしい.しかし私はちょうどgeneと同じように響く単音節の語の方がよいと思った.私がこのmimemeを省略してmemeとすることについて私の古典学者の友人達が許してくれると嬉しく思う.

利己的な遺伝子 40周年記念版

利己的な遺伝子 40周年記念版

 

  • ドーキンスは最後にこう結論づけている.
  • 私のミームについての理論がとんでもなく推測的だとしても,ここで再度強調しておきたい重要なポイントがある.この文化的特徴の進化を適応度的に考えるときに,誰にとっての適応度かをはっきりさせておかなければならないということだ.
  • 文化的特徴は,それ自体(の複製)にとって有利であるという理由でそのように進化しうるのだ.

 

  • 「ミーム」は誕生以来30年にわたり,見事な複製と存続の能力を見せつけてきた.しかしその広がりは(理論的な鋭さよりも)単音節語を選んだことによる方が大きいのかもしれない.
  • 本章の前半で,私は「遺伝子」という単純なミームの多様な意味を考察する.科学者が「遺伝子」というときにそれは全て同じ意味で用いるわけではない.特にドーキンスの「利己的な遺伝子」の定義と,それを戦略遺伝子と考えたときの暗黙の意味を考察する.私たちは「遺伝子」の意味の多様さと変化についてミーム進化の例として考察できる.
  • 本章の後半では,前半の遺伝子についての議論を踏まえて,文化進化の仮想的複製子としての「ミーム」の地位に焦点を当てる.

 

ミーム概念は一部の学者から熱狂的に受け入れられ,一時的に様々な展開を見せたが批判も多く,次第に学会の主流からは退潮していき,現在では文化の進化的な研究はボイドとリチャーソンの「遺伝子と文化の共進化」的な取り扱いやスペルベルによる文化疫学的な取り扱いが主流となっている.
私としては,そもそもミームがどのようにデザインされているかの本質を追求するため,また文化的要素(ミーム)とホストの進化的利害が相反することがありうること,そしてホストを操作してミームの利益の追求が生じうることをうまく取り扱うためには共進化モデルや文化疫学モデル(そこで感染力として処理する)よりミーム的な視点をとった方がよりクリアに分析できるのではないかと常々感じており,これについては残念に思っていた.(ミームが主流になりきれなかったのは,(ボイドやリチャーソン達の)ドーキンスへの感情的な反発のほかに,当時のミーム学が理念先行でフィールドリサーチが少なかったということもあるのだと思う)
しかし最近デネットがミームを大いに擁護する議論を行い,また進化心理学者のスチュワート=ウィリアムズによる擁護論も出されており,少し進展があるのかと期待しているところだ.ヘイグの取り扱いに興味が持たれる.


関連書籍

デネットによる意識に関する最新刊.ミームの議論が詳しく扱われている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/11/06/104020

 
同原書 
スチュワート=ウィリアムズによる進化心理学啓蒙書.最終第6章でミームが論じられている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/12/16/185247,また反ミーム学派との論争に勝つ方法という付録もパンチが効いていて面白い.付録についての私のエントリーはhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/12/22/084010