From Darwin to Derrida その22

 

「遺伝子ミーム」その4

 
遺伝子ミーム.ヘイグは遺伝子が多義的に使われていること,ドーキンスとDSウィルソンの淘汰単位論争がすれ違うのはこの遺伝子の定義が食い違っていることによることが大きいことを指摘した.ここからさらにそれが掘り下げられ.遺伝子淘汰主義をとる場合の遺伝子の定義が深く議論される.
  

  • この遺伝子淘汰主義者と階層淘汰主義者の長く続く論争は,遺伝子が「滅多に組み替えられないDNAの配列」と定義されていてもなお残る曖昧性を示している.この場合でも「遺伝子」は特定の配列のDNA分子を意味することもあるし,何度コピーされても同じ配列である抽象的な情報を意味することもあるのだ.
  • 前章で私はこの違いを物質遺伝子と情報遺伝子として呼び分けた.ドーキンスは先ほどの引用においてこの情報遺伝子的なものを念頭においていたのだろう.しかしおそらくドーキンスはこの定義を望まないだろう.もしすべてのヒトが同じDNA配列を持つようになったとしても,利己的な遺伝子理論はユニバーサルな利他主義を予測しない.1つの利己的な遺伝子はすべての同じ配列レプリカをケアしたりせず,血縁などによるそのうちの一部のみをケアするだろう.その理由は遺伝的複製子のダイナミクスと関連する.

 

  • 突然変異は(既往の情報遺伝子を変容させた)新しい情報遺伝子を創り出す.すべての突然変異は1つの物質遺伝子の変化として始まる.だから突然変異は最初は稀な存在であり,同じ個体の同じ細胞内などの血縁の濃い関係においてのみ相互作用する.そのような相互作用する物質遺伝子グループは戦略遺伝子に該当する.このような突然変異が自然淘汰により頻度を上げるには,その表現型はこの小さなグループからコピーの伝達により(他の小さなグループから別の遺伝子のコピーを伝達するより)利益を得る必要がある.もしこの新しい情報遺伝子がその表現型により頻度を増せば,この戦略遺伝子は血縁の遠い個体内のコピー間で相互作用するようになるだろう.しかしそれでも稀なときの有利さを生む性質を保っているはずだ.このため母はたとえ同じ情報遺伝子を持っていたとしても12親等の親戚の子どもよりも自分の子どもをひいきするだろう.

 
このヘイグの説明は面白い.どのような遺伝子も最初は突然変異による稀な遺伝子であり,それが稀である場合には特に同祖的な相手以外には自分と同じものは存在しないので,同祖的な相手と相互作用して利益を受けるようなものでなければそもそも広がらず,(その配列が稀ではなくなっても)そのような傾向が引き継がれているという説明になる.
包括適応度理論の数理的な解説ではこのような説明のしかたはされないのが通常だ.当該遺伝子が稀なものであっても広く行き渡っているものであっても,同祖的であれば,平均的な同じ配列を持つ確率よりも(わずかであっても)同じ配列を持つ確率が上がり,それが(稀なときと同じように)血縁淘汰を引き起こすのだという説明になる.この解析がハミルトンの1964論文の真価ということになる.ただその論証は極めて難解になっており理解は容易ではない.この点に関して最も直感的にわかりやすいのはグラフェンによる秤の説明だと思われる.この「グラフェンの秤」についての私の理解はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20101023/1287819056参照.

  

  • 物質遺伝子は2つの役割を持つ.それは(タンパク質を創り出して)表現型を創り出す.そしてそれはコピーを作る.自然淘汰の本質は物質遺伝子の表現型効果が,その物質遺伝子やそのコピーの複製確率に影響するというところにある.だから戦略遺伝子は固定された存在ではなく,情報遺伝子の物質的コピーを増やしたり減らしたりするように進化する存在なのだ.
  • 例として単細胞の植物プランクトンの個体群を考えてみよう.一旦細胞が分裂すると,娘細胞は分離し,偶然以上の確率で相互作用することはない.すべての物質遺伝子はその表現型効果が(物質遺伝子としての)自分自身の複製にどう影響を与えるかという淘汰のみを受ける.この場合戦略遺伝子の広がりは1つの物質遺伝子に止まっている.
  • ここで,多細胞生物である魚のタラを考えよう.精子と卵は一度に放出され,受精卵たる接合子は海流に乗って分散し,特に血縁個体と偶然以上の確率で相互作用はしない.接合子にあった物質遺伝子は成魚のすべての細胞にコピーを残す.成魚の心臓や脳にある物質遺伝子はそれ以上複製しない.しかしその表現型は生殖系列にあるコピーの複製効率に影響を与える.この場合戦略遺伝子の広がりは成魚の個体になる.
  • 最後にミツバチの群れを考えよう.働き蜂の中にある物質遺伝子は女王バチの生殖系列のコピーの複製効率に影響を与える.この場合戦略遺伝子の広がりは群れ全体になる.
  • ドーキンスの利己的な遺伝子は,この戦略遺伝子の意味で捉えられるべきだ.

 
ヘイグによる戦略遺伝子の広がりは複製効率を左右する相互作用の範囲により決まるということになる.そしてドーキンスの利己的な遺伝子はこの意味の戦略遺伝子だと喝破する.遺伝子淘汰主義をとる際にはこの定義が基本ということになるのだろう.