From Darwin to Derrida その25

 

「遺伝子ミーム」その7

 
ヘイグは,あるミームが広がるときに,それが誰のためになっているかを深く考察できることがミーム論の価値だと指摘した.それはまさにその通りで,そこがミーム論のほかの議論にできない洞察を生む要因になるだろう.ヘイグは続いて,ミームの定義,表現型と遺伝型に対応するものがあるかを考察し,そこには微妙な問題があるのだとコメントした.そしてさらにミームについての考察は続く.ミームには染色体の組換えのような事象があるのだろうかが考察される.
 

  • ドーキンスの主要な興味は遺伝子より個体の表現型の方にあった.そして遺伝子の切り分け方法を曖昧にしたように,表現型の切り分けについてもどのようにすべきかを示していない.私はこれは彼の目的から見て正当化可能だと思っている.
  • ゲノムのすべての部分が同じ伝達のルールに従うなら,ゲノムのある部分にとって良いことはゲノム全体にとって良いことになり,ゲノム自体が適応的単位と考えて良いことになる.高度に複雑な適応形質には長い遺伝的テキストが必要になる.これに対しては2つの解決があることが知られている.1つは無性生殖でもう1つは有性生殖だ.
  • 無性生殖では,すべてのゲノムが1単位として複製され,組換えはない.だからすべてのゲノムが1個のドーキンス的遺伝子になる.有性生殖では2つのゲノムが一緒になり,その一部分を交換しあった後,2つの新しいゲノムに分かれる.(有性生殖種の)ゲノムは多くのドーキンス的遺伝子の一時的な集合体になる.しかし,メンデル遺伝の法則が一部分にとって良いことはゲノム全体にとって良いことであることを保証する.(ここでは法則が破られたときのことは考慮していない)

 

  • このどちらもほとんどの複雑なミームテキストに当てはまりそうもない.アイデアは自由に組み替えられ新しいテキストが生成される.テキストから1つのアイデアだけが抽出されて残りは捨てられる.そして互換可能部分の交換の決まりもない.だからミームの適応はあまり組換えのないアイデアにとっての適応になるだろう.このようなアイデアの一部は非常に単純なもので,適応自体あまり大したことが起こりそうにない.そのようなものを「利己的」とラベル付けする意義は私には感じられない.それは単一のヌクレオチドを利己的と呼ぶようなものだ.洗練されたミーム適応やミーム利己性を探すべきところは緊密に結びついたイデオロギー,つまり高い信頼性を持って伝達される無性的ミーム複合体の中だろう.ドーキンスなら,その候補として世界的宗教を上げて,それらをミーム自身でなく私たちに奉仕させるなら自由な組換えが重要だと言うだろう.

 
ミームに有性生殖種の染色体における組換えがあるのかというのは面白い視点だ.ミームは伝達につれて様々に組合せを変えるだろう.それはかなり自由に組み合わされてもおかしくない.しかし染色体や交叉のようなかっちりした仕組みがないためにメンデルの法則による平等性の保証はない.だからヘイグは有性生殖種のような組換えありのまま複雑な適応が生じることは考えにくいと指摘する.それは実際そうなのかもしれない.すると適応的なミームは無性生殖的,あるいは緊密に連鎖した遺伝子のように互いのミームがなんらかの理由により結びついているような場合に生じることになる.組織宗教が興味深いミーム複合体ではないかといういうのはデネット達が既に指摘しているところだが,ヘイグが正しいとするとそれを構成するミームはなんらかの緊密な結びつきを持っていることになる.これは調べてみると面白いかもしれない.
 

  • これらはミームの定義やミームを利己的と呼ぶことについて私が感じる問題点だ.それでもはじめて「利己的な遺伝子」を読んで40年,(ミームを扱った)その最終章ほど私の心に取り憑いている部分はない.その間私は利己的なミームを何度となく会話で広め,ここで本にして広めようとしている.この「ミーム」というミームは(その魅力に弱い心に)取り憑いて離れない.本章はプロパガンダであり,あなたの遺伝子とミームの概念に影響を与えていればと思っている.私がうまくやれていたならあなたはそれはまた他の人に広めるだろう.そのために私はあなたの注意を引くようなフレーズを創り出し,自分の心にある概念を明晰化するように努めた.
  • この過程には,自分が効果的で章を通して一貫性を持つために必要だと考える標準的な方法に対するあらゆる代替案をテストすることが含まれる.私は自身のテキストを読んで改訂することを繰り返した.私はそのアイデアがコミュニケートしようとする目的よりも自分の意図に沿うように表現できたと思っている.しかしその過程で私は本当に完全に自律的だったのだろうか.書いている中で多くのアイデアが競合する.しかし最終産物はたった1つで,それは最初に書こうとしていたものとかけ離れている.最終バージョンは私の注目を集めたアイデアが盛り込まれている.そしてそれらのアイデアが私を利用しているように感じられる時がある.どの部分が私のオリジナルで,どの部分が誰かからのアイデアなのか.知的影響の網は複雑で不明晰だ.
  • ダーウィンの弟子でオクスフォードの生物学者で心理学者だったジョージ・ロマネスは1895年「Darwin, and After Darwin」においてこう書いている.

  • 獲得形質の遺伝とは別に,我々は文化を累積するために獲得された経験の知的伝達を予想以上に多く行っている.・・・このような特別の文化効果は個人にとどまらず世代を越えて伝わる.・・・このような純粋に知的な伝達の領域で,非物理的な自然淘汰が最良の結果を生むように働いている.ここでは生存競争が心理的な環境においてアイデアや方法の間で生じている.より適応していないものはより適応しているものに置き換わり,それは個人の心だけでなく,言語や文学を通じて大古の心に生じている.
  • ドーキンスなら「誰のための適応なのか?」と問いかけるだろう.

 
以上で第3章は終了だ.この最後の段落はとても深くておしゃれだ.深い考察に満ちた本を読んだときだけ得られる喜びがここにあるように思う.