From Darwin to Derrida その32

 

第4章 違いを作る違い その7

 
ヘイグによる遺伝子概念の深掘り.遺伝子概念を定義する場合に境界が連続的で曖昧なことを解説した後に,遺伝子淘汰主義において重要な「戦略遺伝子」概念を深く考察し,それは表現型効果を持ちその効果を受けるあるタイプ遺伝子のトークン集合体であるとした.続いてヘイグは情報遺伝子を考察する.
 

歴史的種(historical kind)
  • 私が最初にタイプとトークンを用いて情報遺伝子(タイプ)と物質遺伝子(トークン)を区別したとき,私は情報遺伝子は古典的な「永遠の形態(eternel form)」に対応するものだと考えていた.今では情報遺伝子を「歴史的種(historical kind)」と考えた方が有意義だと思っている.それは生まれ現れ,コピーされ,コピーがなされなくなったり不完全コピーと入れ替わったりして消滅する.このように概念化すると情報遺伝子は通時的(historical)な視点からも,共時的(contemporary)な視点からも考察できるようになる.

 
なかなか難解だ.まず歴史的種というのはどういう意味だろうか.ここで「historical kind」についてはミリカンの論文「Historical kinds and the “special sciences”」(1999)が引かれている.どうやらメンバーが歴史的な因果的関連性(例えばある形式のコピーであること)を持つために似ている実在グループというほどの意味らしい.抽象的な情報の同一性からの定義ではなく,実際のコピーの連鎖から定まるものとする方がしっくりくるということらしい.ここからなぜそうなのかについてが説明される.
 
philpapers.org

 

  • 通時的視点からは情報遺伝子は特定の起源と歴史を持つ単一体になる.しかし共時的視点に立つと情報遺伝子は歴史的種であり,共通祖先を持つために似ているものの集合ということになる.

 
これは共時的視点からは情報遺伝子は1つの系統樹全体になり,ある特定時点の視点からは複数の共通祖先を持つ遺伝子の集合体と見なすことができるという趣旨だろう.
 

  • 戦略遺伝子も特定の起源と歴史を持つ通時的な単一体だ.戦略遺伝子はあるトークンが(変異により)元のタイプの他のトークンから離れたときに生まれ,そのトークンとその子孫からなる.そしてその子孫トークンは「死」や「分離」により因果的つながりを失ったときにその戦略遺伝子の構成要素ではなくなる.戦略遺伝子は単一体であるが,共時的な歴史的種ではない.なぜならある戦略遺伝子のトークンは(同じ情報遺伝子を構成する)別の戦略遺伝子のトークンと区別できないからだ.

 
最後のところは難解だ.おそらく同じ共通祖先を持つ情報遺伝子の中で,戦略遺伝子は表現型効果を与えたり受けたりする相互作用の範囲によって区分されている.だから歴史的には区別できないが異なる戦略遺伝子ということがあるので,これを歴史的種としては認められないということなのだろう.
 

  • このように情報遺伝子を歴史的種として定義すると問題が生じるように見える.それはもし同じ配列が独立に2つの系統で生じたなら区別できない2つの情報遺伝子が生じることになるのではないかというものだ.ならば共通祖先から定義するより(配列のみで記述する)本質的な「永遠の形態」的な定義の方がいいのではないか.
  • これに対する私のプラグマティックな回答は「それがある程度の長さなら,この宇宙の寿命時間内に同じ配列が2つの系統で独立に生じることはありそうもない」というものだ.もちろん2つの配列が共通祖先を持つために非常に似ているときには同じ配列への収斂が生じることもあるだろう.しかしそれは同じ歴史的種だと実務的に処理することが可能だ.
  • そして情報遺伝子を永遠の化学的物質種として定義すると特定の存在論的な問題を生む.1000ヌクレオチドのDNA配列を考えてみよう.その配列は4の1000乗通りある.これは全宇宙の素粒子数よりも多い.永遠の遺伝子定義は自然をジョイントにより説明しようとする存在論に宇宙の素粒子以上のジョイントを与えてしまう.これは実務的な存在論の範囲に収まらないのだ.

 
結局この最後の部分が情報遺伝子を情報の同一性のみで定義せずに共通祖先からなる(そして配列が変異しない限りの)系統樹全体として定義した方が良い理由となる.この哲学的なこだわりとその前段のプラグマティクな割り切りがなかなか面白い.