From Darwin to Derrida その35

 

第4章 違いを作る違い その10

 
ヘイグによる遺伝子概念の深掘り.最後のまとめになる.この節題はもちろんゴーギャンの「D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous? :我々はどこからきたのか?何者なのか?どこへ行くのか?」から来ているのだろう.

 

「我々はどこから来たのか」から「我々はどこに行くのか」へ

 

  • 戦略遺伝子についてフォーマルに扱うなら,表現型と環境についても再定義することになる.すべての選択(choice)には同じ物事からなる1つの背景(backdrop)の中での物事の差異にかかる淘汰(selection)が含まれる.この自然による「選択(choice)」の中で,異なるものが表現型で同じものが環境になる.自然淘汰による進化というのは,淘汰を受けた表現型を淘汰をかける環境に転化させるプロセスなのだ.このプロセスは生態系や個体の行動のような大きな物事の詳細構造を分子レベルで決定する.それはミクロコスモスがマクロコスモスを形作る方法なのだ.
  • 2つのアレルが単一ヌクレオチド分のみ異なるとき,遺伝的差異メーカーはヌクレオチドの差だ.この差がその他同一のヌクレオチドを環境として淘汰にかかる.もしあるヌクレオチド配列が固定したならそれは残りの差異にとっての環境となる.

 
いきなり晦渋で難しい.ここでは表現型と環境を遺伝子の発現から定義するのではなく,淘汰のかかり方から定義する(戦略遺伝子の定義と整合的に定義するにはそうするべきだ)ということが書かれている.同じ物事から構成される1つの背景(backdrop)の中で何かが異なっていて,その差異を選ぶ(choice)ようにかかるのが淘汰(selection)だとすると,背景は「環境」であり,選ばれる差異が「表現型」と定義できるということだろう.余談ながらこういう文章を読めば読むほどnatural selectionに「自然選択」という訳語を与えるのには実践的には問題含みだという感慨を抱かざるを得ない*1
一旦淘汰により選ばれた表現型は今度は環境となって淘汰のかかり方を決める.これをヘイグは,淘汰を受けて選ばれた表現型が,今度は淘汰をかける側である環境となるという言い方で表現している.
 

  • 「延長された表現型」と「ニッチ構築」は時に同じ概念の代替的なラベルとして提示されるが,しかし私は前者は淘汰における差異を,後者は同一に進化した環境として用いたい.身体とゲノムは構築されたニッチであり,それは遺伝的差異としての延長された表現型を淘汰にかける.

 
このヘイグの定義によれば延長された表現型とニッチは淘汰を受ける側と淘汰をかける側としてきちんと区別できることになる.この混同された用法にはかねがね不満を抱いていたのだろう.
 

  • 多くの読者は「差異を作る差異(difference that makes a difference)」というのはほとんどの人が遺伝子(gene)というときに思い浮かべる意味と異なっていると感じるだろう.確かにそういう面はある.文脈によっては「遺伝的差異メーカー(heritable difference maker)」を使った方がいいだろう.ただ(私はかつて淘汰単位を「usit」としてはどうかと提案したが,それは混乱をもたらしただけだったこともあり)これ以上新しい用語を導入するのには気が進まない.

 
このあたりはぼやきとも取れて面白い.そして最後はこう締めている.
 

  • (ローマ神話の)ヤヌス神は変化の神だ.自然淘汰は過去の差異から現在の物事への変化を含む.突然変異は過去の同じから将来の変化のもとになる現在の差異を作る.
  • 本章は差異としての遺伝子と物質としての遺伝子の話から始まった.しかしこれは変化の2つの側面とみた方がより有益だろう.遺伝子の淘汰は(単語の淘汰と同じく)過去なかった意味を作り出す.それぞれの選択(choice)には表現型の差異が必要だ.しかし結果は(なぜそれが選ばれたかの情報を含む)遺伝的な物質だ.

*1:特に性淘汰(sexual selection)の文脈においては配偶者選択(mate choice)があるのでこの訳し分けがある方がずっと文意が通りやすくなる