From Darwin to Derrida その43

 

第5章 しなやかなロボットとぎこちない遺伝子 その8

 
個体内のゲノミックコンフリクトはどのように解消されるのか.ヘイグは単一遺伝子座での発現産物の量に関するコンフリクトはより多い量の生産を望む遺伝子が勝つが,2つ以上の遺伝子座が絡むと手詰まりになり得るのだと説明した.ヘイグは父由来遺伝子と母由来遺伝子のコンフリクト例としてインシュリン生産にかかる問題を挙げたが,さらに別の例を挙げて詳しく解説する.

 

冷たい肩

 

  • 群れで密集して寒気をやり過ごすような種の場合,体温調節は母方遺伝子と父方遺伝子の潜在的なコンフリクトの場になる.熱産生はコストがあり,周りの個体にメリットをもたらすので進化的にフリーライドの誘惑が生じる.父の異なる兄弟達で群れが形成されているなら,母方遺伝子と父方遺伝子の群れのための最適熱産出量は異なっていくる.父方のアレルはより低い熱産出を最適とするだろう.

 
これは寒さを防ぐための群れが形成されている場合,熱産出はコストがあって周りの個体に利益をもたらすので1種の利他行動になり,そこにはフリーライドの機会があることになる.包括適応度理論的に周りの個体との血縁度に応じて最適熱産出量が異なってくる状況だ.父由来遺伝子からみた周りの個体との血縁度が母由来遺伝子から見たそれより低いなら,父由来遺伝子にとっての最適熱生産量は,母由来遺伝子のそれより低くなる.
 

  • ゲノミックインプリンティングは実際に褐色脂肪細胞のシグナリング経路に影響を与えている(母方インプリント遺伝子のみが褐色脂肪細胞で熱産出を増進するXαsタンパクを作り,父方インプリント遺伝子のみがそれを抑制するXLαsタンパクを産出することの分子的な詳細が説明されている)

 
これが理論通りに発見されているのには理論の力を感じるところだ.
 

  • 褐色脂肪細胞は熱産出器官であり産出レベルは非インプリント遺伝子,母方インプリント遺伝子,父方インプリント遺伝子の効果の合わさったものになる.「最もうるさい声が優先する原則」によると,母方インプリント遺伝子は産出を上げようと,父方インプリント遺伝子は産出を抑制しようとすることになる.ただし現在の理論ではなぜ信号経路の特定部分にかかる遺伝子のみがインプリントされるのかを説明できるわけではない.

 
この最後のリマークにも味がある.この信号系路にはほかにも遺伝子発現によって産出量が異なるポイントがあるということなのだろう.そしてそこでインプリントが抑えられているのはなぜなのか(他の遺伝子による介入なのか)というのは大変興味深い問題だ.
 

  • インプリントは遺伝子量が問題になる遺伝子座において表現型の差を作る.もし単一アレルが2倍の効果を出せるなら,対抗するサイレンシングには淘汰的効果がないことになる.Gαsの効果は複数のシグナリング経路をを持つためにかなり大きく遺伝子量に感応する(その分子的詳細が説明されている).(だからこれは母方インプリント遺伝子の勝利になるように思われるが)しかしGαsが体温調節の唯一のメカニズムであるわけではなく,実際にこのコンフリクトがどのように決着しているのかはわかっていない.

 
アームレースの帰結は基本的にその状況の詳細に依存するということだろう.いずれにせよコンフリクトのコストは高そうだ.