From Darwin to Derrida その49

 

第6章 個体内コンフリクト その4

個人の中の意思決定のコンフリクト.衝動的な決定と理性的な決定について,ヘイグは基本的に衝動優先だが,特定条件で理性が上書きできるというモデルを提示した.このモデルの特定条件を「強い動機」とするとヒトは衝動を意思の力で克服できることになる.しかし物事はそう単純ではない.ヘイグの説明は核心に入っていく.

 
<心のモジュールからの説明>

  • しかし現実は上記のモデルよりはるかに複雑だ.本能は単一に統一されていないし,理性(これもある特別な種類の本能と考えられる)だってそうだ.脳の異なるパーツは異なるタスクを担っている.そしてどのパーツも全体像にアクセスできない.複数の心のモジュールが注意と影響を取り合う中での調整というのが心の構成原則になりうる.異なるモジュールは行動の指針を作るために異なる種類のデータを処理する.

 
進化心理学的には単に衝動的決定と理性的決定だけでなく,様々な(包括適応度上昇のための)目的ごとに多数の(適応産物としての)モジュールがあることになり,そして通常はモジュールとは呼ばないが)一般知性も1つの適応産物だと考えられる.この多数のモジュール間の調整はどうなされるのか.
 

  • 集合的決定のためにモジュール間でコミュニケートされるのは正当化の理屈ではなく選好性だろう.選好性を足し合わせて決定がなされるのだ.
  • ケネス・アローは社会的決定のために選好性を足し合わせるどんな方法も基本的な合理性の要求を満たし得ないことを証明した.彼の証明の前提はコミュニケートされる情報はランク付けされた選好性のみで,個人間で選好性の強さを比較できないというものだった.個人内の集合的選好性についても同じような制限があるのだろうか.

 
ここでアローの不可能性定理が登場する.アローの定理は要するに異なる基準を用いたランキングを合理的に統合することはできないということを意味している.もしモジュールの選好性が単純なランキング的選好であるのなら,これを合理的に統合して意思決定することはそもそも不可能だということになる.つまり意思決定は投票システムと同じであり,意思決定コンフリクトは不可避だということになる.
 

  • 私の主観的経験からいうと,動機が共通の通貨で表現されていないときに決定がより難しくなる.不倫の喜びとそれを我慢するメリットを直接比べられたら人生はずっと簡単になるだろう.しかし不倫の喜びと我慢によるメリットは全く違う種類の報酬になっている.

 
これは多くの人が経験することだろう.つまりモジュールの選考基準は同じでなく,いかにもアローの定理が当てはまりそうだということになる.
 

  • おそらく報酬の通貨が単一でないことには機能的な理由があるのだろう.長期的なメリットを得る場合と短期的なメリットを得る場合で報酬が異なる方がうまくいくのだろう.しかしそれは個人内の比較を困難にする.為替レートがあれば通貨間の価値を比較できるはずだが,この場合うまくいかないようだ.何故そうなのだろう.ある心のパーツと別の心のパーツの推奨行動の食い違いを比較なしにどう解決できるというのだろうか.
  • おそらく単一通貨制を用いないことにはコストだけでなくメリットがあるのだろう.多通貨制だと為替レートを変動させられる.これは様々な状況に対応するためにそのときどきの最適レートを設定できるという意味で適応的なのかもしれない.不倫の誘惑に駆られた女性はニューヨークにいるのとリアドにいるのでは全く異なるペイオフマトリクスに直面しているだろう.変動通貨制だと,彼女は状況を学習して為替レートを設定できる.

 
このヘイグの説明は興味深い.適応的に機能させるためにはそれぞれのモジュール(や理性)の選好基準は異なるものにした方が良く,その場合アローの定理が当てはまることになり合理的な統合的意思決定は不可能になる.だから私たちはしばしば個人内のコンフリクトを経験するというわけだ.