書評 「Survival of the Friendliest」

 
本書は進化人類学者で比較認知学者でもあるブライアン・ヘアとやはり比較認知学者でジャーナリストであるヴァネッサ・ウッズの夫妻による協調性の進化に関する本.中心となるテーマは「自己家畜化によるヒトの協調性進化」になる.
 
導入章の冒頭ではアメリカの公民権運動時代の(人種混合)強制バス通学時代の逸話が語られている.強制バス通学による人種ミックスクラスが始まった当初,白人児童はマイノリティ児童を侵入者と見做し,クラスは過剰に競争的でとげとげしい雰囲気だった.そこでジグソーメソッドを導入し,それぞれの子どもがテーマの違う部分を教えられ,児童間で教え合わないとテストでいい点が取れないようにした.すると児童たちはそれぞれが競争者ではなく協力が必要だと理解し,一気にクラスは融和的になったそうだ.
著者たちはこれが友好性(Friendliness)の力であり,ヒトの成功の秘密なのだとする.そして本書のテーマはそれがどのように進化したのかに関するもので,自己家畜化がキーコンセプトになると予告される.
 

第1章 思考について思考する

 
まずヒトは9ヶ月ぐらいから指さしをはじめ,それが心の理論のキーになると説明される.では他の動物ではどうか.著者はトマセロと一緒にチンパンジーで実験するが,チンパンジーたちはなかなか指さしが理解できない.実験に疲れ果てた著者は「僕の犬オレオならできるのにな」とつぶやく.トマセロは「飼い主は皆自分の犬は微積分ができるというんだよ」と取り合わない.著者はいや絶対できると力説し,トマセロの前で実演してみることになる.やってみると果たしてオレオは飼い主の指さしを難なく理解した.こうしてイヌの比較認知リサーチが始まる(当時比較認知リサーチの中心は霊長類であり,イヌを扱ったものはほとんどなかった).リサーチはイヌがチンパンジー比べてはるかにヒトの意図を理解できることことを明らかにした.ではどうしてそれが可能になったのだろうか.
 

第2章 友好性の力

 
第2章は家畜の話から始まる.家畜化についてはいくつかの謎がある.ほとんどの家畜化された大型哺乳類は飼いやすく成長が速い動物で農業革命後にヒトが積極的に家畜化したものだが,イヌはその例外になる.そしてその謎を解く鍵として有名なベリャーエフのキツネの家畜化実験が紹介される.
 

  • ベリャーエフのキツネは人を恐れないという単一の淘汰圧がかけられたものだが,数十世代を経てキツネは人なつこいだけでなく,(イヌと同じように)白黒のブチ模様が生じ,垂れ耳になり,繁殖期が長くなり,一腹仔数も増えた.これは人なつこさへの適応に随伴した変化だ.当時の私のボスだったランガムは(指さし理解などの)認知能力も同じく随伴するのだろうかと考えた.
  • そしてそれを調べるために私はベリャーエフの実験場を訪れた.淘汰を受けたキツネたちは確かにヒトの指し示すジェスチャーを理解し,協力的なコミュニケーションが可能になっていた.
  • イヌの祖先であるオオカミのヒトの意図の理解能力はチンパンジーと変わらない.だからイヌも家畜化により協力的コミュニケーション能力を手に入れたのだろう.イヌも含めた多くの家畜は祖先に比べ頭部が小さくなる傾向がある.リサーチャーはこれは認知能力の減退を伴うと考えていたが,そうとは限らないのだ.
  • イヌは農業革命後にヒトが積極的に家畜化したのではなく,狩猟採集生活の時期に家畜化されている.これはよりヒトを恐れないオオカミがヒトの集団から出るエサを手に入れることができたことによるオオカミの自己家畜化から始まっていると考えられる.(ここでは似た例として現代の都市周辺のコヨーテ,アカギツネ,クロウタドリも紹介されている)

 

第3章 絶滅した我々の遠いいとこたち

 
イヌは人を恐れないという形で自己家畜化した.では同種個体を恐れないという形での自己家畜化は生じるだろうか.著者はボノボがその候補だと示唆する.
 

  • ボノボはその実例かもしれない.ボノボの脳はチンパンジーより20%小さい.歯も小さくなり,皮膚や毛皮の一部の色素が抜けている.遊び好きの性質を大人になっても失わない.ランガムはこれはベリャーエフのキツネと同じではないかと考えた.
  • ボノボは明らかにチンパンジーよりも同種個体に対して攻撃的ではない.群れにアルファメイルは存在しない.オスは赤ちゃんを恐れるように避ける.行動記述的に分析するとボノボの群れの最上位個体は赤ちゃんということになる.メスは排卵期を曖昧にして父性を不確定にし,子どもに害をなそうとするオスを共同で攻撃する.
  • ランガムはこの生態的要因は餌の豊富さにあると考えた.チンパンジーの森と違って(コンゴ川より南側の)ボノボの森は(ゴリラが不在ということもあり)豊かで,メス同士が餌を争うよりも友好的になって同盟を結んだ方が有利になるのだ.そしてメスはより攻撃的でないオスを好むので,オスも友好的である方が有利になる.これは同種個体への友好性に向かう淘汰であり,自己家畜化ということになる.
  • そして自己家畜化仮説から予測されるように,ボノボはチンパンジーより同種個体に寛容であり,そのための生理的なメカニズムがあり協力的コミュニケーション能力にも優れている.そして実験で協力が必要な課題を与えるとボノボの方が成績がいい.大型類人猿の中でボノボだけが同種個体間の凄惨な暴力を逃れているのだ*1

 

第4章 家畜化された心

 
では私たちヒトも自己家畜化された動物なのだろうか.最大の問題は私達の心の理論の発達がイヌやボノボを大きく凌駕していることだ.著者はまず共感的感情と心の理論につながりがあること,それは扁桃(感情と関連)と前頭前野(心の理論と関連)の活性に相関があるという最近の脳科学的な知見の裏付けがあることを簡単に解説し,そこから前頭前野と関連する自制心を使って比較考察を行う.
 

  • マシュマロテストを多くの動物で行うと,それは社会性ではなく単純な脳の計算能力(脳の大きさとニューロン密度)と相関することがわかる.ヒトの脳は非常に計算能力が高く,そして動物間ではずば抜けた自制能力を示す.
  • しかし単純に計算能力だけでは絶滅人類と私たちの違いを説明できない.おそらく社会的ネットワークの増大が重要だったと思われる.社会的ネットワークが増大すると技術は累積するが,同時に同種個体間の暴力が問題になってきただろう.その中では友好性が有利になり自己家畜化が生じたと考えられる(ヒト自己家畜化仮説).
  • この仮説はヒトにおいては更新世において感情抑制と同種個体への寛容性への淘汰がかかり,累積的文化蓄積を可能にする協力的コミュニケーション能力を進化させ,同時に形態や生理に家畜化に伴い変化が生じたことを予測する.
  • そして20万年前から1万年前までの化石人骨を調べると,(テストステロンの指標となる)眉上突起が縮小し,指の2D4D指標が上昇しており,頭蓋サイズも縮小している(これはセロトニンの上昇を意味すると議論されている).
  • ヒトには白黒のブチ模様は無いが,目の強膜は白くなり視線コミュニケーションが容易になった.私はこれも自己家畜化の産物だと考えている.

 

第5章 永遠の若さ

 
第5章では家畜化に伴う(淘汰を受けた以外)形質がどのように現れるのかが扱われる.
 

  • 発達パターンの変更はパワフルな進化エンジンだ.アホロートルは幼形時の形質をとどめて成体になっても鰓で水中呼吸できる.これは社会的な行動傾向にも適用できる.シロアリの社会性はゴキブリの幼虫の幼体時の行動傾向が維持されている状態だと見ることもできる.
  • イヌやボノボも幼い時の行動傾向を維持しているようだ.イヌはオオカミに比べて社会化の臨界期が広くなっている.彼等にとって友好性への淘汰は社会化臨界期の拡張への淘汰として現れたようだ.

 
ここから著者は幼体時の成長状態が早期に始まり長く続くようになる実際の発達の至近メカニズムについて神経堤細胞(neural crest cells)の遊走を用いて詳しく解説している.
そしてヒトにおけるこの傾向についてネアンデルタール人との頭蓋形状の違いから同様な淘汰がかかったのだと主張する.そこからヒトにかかった淘汰について話が進む.
 

  • イヌはヒトへの友好性に向けて淘汰がかかった.ボノボは同種個体,とくにオスからメスへの友好性に向けて淘汰がかかった.ではヒトにはどのような淘汰がかかったのだろうか.
  • 進化環境ではグループ内の食糧分配は保険として働いただろう.また協力的であるグループは有利になっただろう.これらはグループメンバー皆に利益があり相利的だ.実際に狩猟採集民はグループ内で暴力的にドミナンスをとろうとする男性を抑制する.また友好的であることは社会的パートナーを得るためにも有利だっただろう.ヒトには自分と同じグループの同種個体への友好性に向けての淘汰がかかったのだろう.
  • さらにヒトはなんらかのアイデンティティによる定義を用いることで自グループの範囲を広げられるようになった.これは「自グループ内の見知らぬ他人」というカテゴリーを作り,それらに対する寛容性を可能にした.この寛容性は広いネットワーク上の協力コミュニケーションを可能にし,社会規範の成立にも大きく役立った.
  • さらに既に大きかった脳は自制の能力を可能にすると共に協力の利益を意識的に理解できるようになり,さらに協力は広がり,文化蓄積の速度は大きく上がった.この傾向は現在に至るまで継続している.

  

第6章 必ずしもヒトとはいえない

 
第6章は「ではそのように友好性を進化させたヒトに時に同種個体への残酷行為が見られるのはなぜか」が扱われる.冒頭では著者に雇われていた乳母のレイチェルが被差別民族としてコンゴとザンビアでいかに残虐に扱われたかの逸話が語られている.
 

  • 自分のグループが他グループから脅かされていると感じると,ヒトのダークサイドが現れる.これも自己家畜化の一面なのだ.
  • イヌは見知らぬ人に向かって吠え立てることがある.ボノボのメスはチンパンジーのメスよりオスに対して攻撃的だ.これは自己家畜化による社会的絆とオキシトシンによる寛容性,そしてメンバー個体の防衛のための絆がない個体への攻撃性として理解できる.
  • 社会心理学はヒトが幼い時から自グループメンバーに好意的であり,他グループメンバーには否定的感情を持つことを明らかにした.自己家畜化から考えると,ヒトは他グループメンバーに対して心の理論を鈍らせると考えられる.これは他グループメンバーに対して単に偏見を持つのではなく,非人間化することを意味する.そしてこの非人間化能力は(社会的に構築されるのではなく)ユニバーサルであるだろう.(オキシトシンによる至近的な説明がある)非人間化とその結果としてのジェノサイドは歴史的地理的に普遍的に見られるのだ.
  • (類人猿からヒトへの一直線の進化を図示した)「進歩の行進」図は間違った進化理解を表しているが,「あるカテゴリーの人々がこのどの段階にあると思うか」と質問することで,人々のあるグループについての非人間化の程度を測定できる.(いくつものアンケート結果が紹介されている)
  • 調査結果によると非人間化程度に最も効くのは「そのグループからなんらかの脅威を受けているか」や「イデオロギーの違い」ではなく,「相手グループが自分たちを非人間化しているか」だった.

 

第7章 不気味の谷

 
冒頭でロボット工学で言われる「不気味の谷」の話をちょっと振った後で,非人間化の典型例として「サル化:Simianization」が取り上げられる.そして14世紀以降のヨーロッパにおけるサル化を伴うアフリカ系に対する差別の歴史が詳しく語られる.

  • サル化は奴隷貿易の終焉とともになくなったわけではない.19世紀以降英米ではアイルランド人,日本人,ドイツ人,中国人そしてユダヤ人に対して次々にサル化を伴う差別が生じた.1933年の映画「キングコング」には明確な黒人へのサル化の基調が見える.
  • 第二次世界大戦後,社会科学者たちは特定の文化的な要素*2がジェノサイドを引き起こしたのであり,進歩的な西洋文化と人種的な知識の蓄積と共に人種差別はなくなるだろうと論じた.
  • しかしながら人種差別は消え去らなかった.社会心理学者たちは差別の原因として偏見,同調,権威への服従を挙げた.(アッシュの錯覚実験,ミルグラムの服従実験などが説明される)
  • 非人間化の重要性を発見したのはバンデューラだった.彼は実験によりヒトの残酷行為を引き起こす要因としては権威への服従より非人間化の方が大きいことを示した.そして現代アメリカの差別事例にはサル化の影が見える(様々な実例が挙げられている)

 

  • このアウトサイダーを非人間化する能力は自己家畜化の副産物と考えられる.そしてこの能力は相互非人間化を生みだし,事態を破局に導きうる.そして状況はSNSの興隆と共に悪化しているようだ.
  • 解決策はあるのだろうか.より友好性への自己家畜化を進めるのは可能かとよく聞かれる.しかしそれは優生学への道であり,実務的にもうまくいかないだろう.ではテクノロジーによる解決はどうか.テクノロジーをうまく使うにはヒトの本性を良く理解していなければならない.そして基本的には解決は社会的になされるしかないのだ.

 

第8章 最高の自由

 
第8章で著者は本書の見方の現代社会についての含意を語る.

  • ヒトは小さなバンドを持つ狩猟採集民として進化した.そこでは権力を独占しようとするものは追放される.しかし農業が始まって社会が大きくなるとこの抑制は効かなくなり,サブグループ間の権力争いが不可避になった.そして産業革命以降の民主主義国家になって権力の規律の実効性が生まれ,サブグループ間の妥協が可能になった.そしてそれは人権と自由に結びつき,経済成長を可能にし健康や教育水準を上げた.
  • アメリカ合衆国はサブグループ間の敵意を良く理解していた建国の父祖により,真の民主制というよりはチェックとバランスに重きを置く共和制としてデザインされた.
  • これはうまく機能してきたが,今や(このデザインを理解していない)多くの人の批判に晒されている.
  • リサーチによるとオルタナ右翼の支持者は権威主義的であり,権威に従うだけでなく自分たちが権威であろうとする.そして攻撃されると相手を非人間化しやすい.特に白人至上主義者は極端な非人間化傾向を示す.
  • リサーチが示した重要なポイントは,教育によってこの傾向を是正するのは難しいということだ.
  • 自己家畜化仮説は他グループメンバーへの非人間化能力がユニバーサルであると予測する.個人差はあって中庸な人,イデオローグ,そして極端な非人間化実行者と分布しているだろう.そして同じような主張を持つ極端な人はSNSなどにより非人間化傾向を強め合う.そして同じ政治的主張を持つ人々に自分たちは脅威を受けていると説得できれば相手グループの非人間化が広がり暴力につながっていく.

 

  • ではどうすればいいのか.歴史を見ると過去ナチのジェノサイドからユダヤ人をかくまった人はほとんどの場合戦争前からユダヤ人と親しい関係を作っていた人だ.個人的なコンタクトが非人間化を抑制するのだ.それは脅威の感覚を取り除き,相互に非人間化を避けるという異なる形のフィードバックループを作る.
  • 非人間化しないように教示するのではなく,多様な人々と協力し合う経験をさせることが重要だ.そしてリサーチによるとそれは想像することでも効果がある.だから「アンクルトムの小屋」は奴隷廃止運動に大きな効果を上げたのだ.異なるグループのメンバー間の友情は稀だが,それは最も効果が大きい.
  • 政治学者のチェノウェスは市民抵抗運動もより平和的に行う方が効果が高いことをリサーチにより示している.暴力的な運動は相手に脅威を抱かせ,それは非人間化に結びつきやすいと考えられる.
  • ヘイトスピーチの規制は,ヘイトスピーチの定義が難しく言論の自由とのバランスをとりにくいことが問題になる.自己家畜化仮説から見ると規制対象として非人間化,特に動物化をとりあげるのがよいと考えられる.

 

第9章 友達の輪

 
著者は冒頭でコンゴ内戦の最中にボノボのために軍隊による公園の樹木の伐採をやめさせようと身体を張った女性の逸話を語る.ヒトが敵対グループメンバーを非人間化する傾向を持つなら,そもそも動物に対する態度が世界の平和にとって重大な要素になるかもしれないというのが本章のテーマになる.

  • 幼少時に動物を虐待することはサイコパスの症状の1つとされている.これは子どもや極端なパーソナリティだけの話ではないようだ.動物への態度は他の人々への態度と相関する.ホドソンとドントのリサーチによると「人と動物は異なる」「人は動物より優秀だ」と考えることがアウトグループのメンバーを非人間化する大きな要素であることを示している.また別のリサーチでは犬種間に大きな差を認める人ほど,人のグループ間の差が大きいと認知するということが示されている.
  • ここ数十年で西洋社会はペットのイヌを家族として扱うようになった.イヌを家族として扱うことは世界の平和に大きく役立つのかもしれない.私たちの人生はどれだけ敵を倒したかではなくどれだけ友人を作ったかで測られるべきだろう.それこそがヒトが世界で成功してきた秘密なのだから.

 
以上が本書の内容になる.
本書前半では自己家畜化現象が存在すること,そしてそれによる同種個体への友好性の進化が説明されている.ただし第5章でなされている進化ロジックはやや曖昧だ.まず食糧獲得の保険やグループ生産性という相利性と社会的淘汰によりグループ内同種個体への友好性への淘汰圧がかかった.そしてネアンデルタールではなくヒトだけがより大きなグループを認知し,協力の利益を意識的に理解できるようになり,大規模な協力が可能になったという議論になっている.
しかしなぜヒトのみにおいてグループ認知の拡大*3ができるようになったのかの進化的な説明はなされていない.そして本書のテーマである自己家畜化との関連も曖昧だ.ここは少し物足りない*4*5
 
後半ではこの自己家畜化の副産物である「他グループメンバーへの非人間化」がヒトの残虐行為や暴力の大きな原因になっていることが論じられている.ただしここもなぜこの非人間化が「副産物」と考えられるかの明確な説明はない.小グループが互いに襲撃し合うような進化環境ではそれは直接役立ったのかもしれない.イヌやボノボにそういう特徴が生じているようにも思えず,やや議論が飛んでいるようにも感じられるところだ.
 
とはいえ,本書は流れよくテーマが説明され,その中に啓発的な論点がいくつもあって充実している.全体の流れとして自己家畜化をキーコンセプトとしてヒトの成功を説明しており,そこでは友好性にキーにした「家畜化」という淘汰が広範囲な特徴を生じさせること,ボノボとチンパンジーを比較するとボノボは同種個体への友好性淘汰がかかったいわば「自己家畜化」が生じた動物だと考えられること,そしてヒトもどうやらそうらしいことが印象的な逸話と共に説得的に論じられている.また非人間化が特に大きな問題だという論点も説得的に説かれていて読みどころになっている.ヘイトスピーチの定義に非人間化を用いてはどうかとか,イヌの扱いが世界の平和に役立つかもしれないという議論は興味深い.なかなか楽しい読書体験だった.

*1:この議論は説得的で面白い.ただ前章とのつながりからみるとボノボとチンパンジーで比較したときにボノボの方が指さしを理解するのだろうかという疑問が浮かぶが,著者はそこには触れてくれていない.

*2:ドイツの階層的文化,日本の倫理的に破綻した政治軍事文化,権威主義的ロシア文化などが取りざたされたそうだ

*3:これはヒトの利他性についての議論でモラルサークルの拡大として良く取り上げられるものだ

*4:グループ認知の拡大(そしてそれがネアンデルタールでは生じずにヒトのみに生じたこと)自体がなんらかの進化的有利性を生みだしたというのか,あるいはそのような有利性はなく(自己家畜化による)副産物だというのか,ここについてはっきりした説明がないのは残念である

*5:また本書で議論されている同種個体への友好性と(しばしば進化的に議論になる)利他性の関係についても触れられていない.(ここでは利他性は全く議論していないということかもしれないが)あるいは自己家畜化は利他性の進化とも関連するのかもしれず,そのあたりにも言及があればより興味深いものになっただろう