From Darwin to Derrida その63

 
 

第8章 自身とは何か その3

 

行動のガイド(承前)

 
アダム・スミスは道徳感情(処罰感情)の存在理由について,加害者への怒りというレベルと神の叡智(それにより社会はより協力的になる)というレベルを分けて議論した.このように理由をレベル分けするのは進化生物学では至近要因と究極要因の区別やティンバーゲンの4つのなぜでおなじみだ.ヘイグは早速そこにコメントしている.
 

  • 異なるレベルにおける複数の説明があるということは進化生物学者にとってはおなじみのものだ.マイアは至近的な「どのようにして」問題と究極的な「なぜ」問題を区別した.ティンバーゲンは4つの種類の説明(物理的因果,生存価,進化史,個体発生)を認識していた.私はここで「心理的な動機」を(物理的因果の説明のうち特殊なものではなく)4つの説明と相補的な第5の説明として取り扱いたい.私が「あなたはなぜあんなことをしたのか」を理解したいとき,私は普通あなたの動機の目的(telos)を尋ねる.私があなたを説得して何かをやってもらおうと思ったなら,私は(私の動機の目的のために)あなたの動機をどのように使えばよいかを知りたく感じるだろう.

 
このヘイグの取り扱いは面白い.ヒトの行動は適応価に応じて1つ1つの行動傾向が直接進化するのではなく,行動を生みだすメカニズムである「心理」の個別のモジュールが進化適応産物になるというのが進化心理学の基本的な考え方だが,そこを至近的メカニズムの中から区別して取り扱おうということになる.
 

  • 嘘の約束を使って手当たり次第に女を口説いてもてあそぶ遊び人のことを考えてみよう.彼は自分の遺伝子を次世代に残そうとしているわけではなく,小さなコストで性的な喜びを得ようとしている.うまくもてあそんで性的な喜びを得ると,彼はそれを繰り返すだろう(個体内再帰).しかしそもそも彼の性的欲望,誘惑,喜び,強化のシステムは彼の祖先がそれを使って子孫をうまく残したから備わっているのだ(進化的再帰).
  • この例には2つのレベルの目的論がある.性的欲望とそれが動機づける行動は,この遊び人の性的喜びの目的を達成するための手段であり,また同時に彼の遺伝子を複製するという目的のための手段でもある.遊び人は妊娠なしの性交を好むが,遺伝子は妊娠を「好む」という事実は,心理的動機と進化的機能は異なることを明確に示している.遊び人はコンドームを使って彼の遺伝子の目的達成を妨げるかもしれない.あるいは彼の遺伝子は「望まない妊娠」を生じさせるような「無責任な」行動を誘発させるかもしれない.

 
意識的な目的と進化的な究極因は同じではないというのはよく指摘されるところで,意識はコンドームを使って進化を出し抜くことができるというのは古くはドーキンスが「利己的な遺伝子」の中で指摘している通りだ.ここでヘイグは遺伝子の逆襲についてもコメントしていて面白い.
 

  • 進化的機能と心理的動機を区別し損なったためにヒトの道徳本性に関する多くの議論がぐちゃぐちゃになった.私たちは究極的には利己的なのか,あるいは私たちは純粋に他者を気にかけるのか? それは両方とも同時になり立ちうる.博愛的な動機が利己的遺伝子の適応として受益者になることがありうるのだ.

 
この進化的機能と心理的機能をごちゃ混ぜにした不毛な進化心理学批判は非常にしばしば目にするところだ.テーマが道徳になると賭け金が上がるためにヒートアップしやすいように感じられる.最近ではボウルズとギンタスが「協力する種」の中でこの種の誤解を振りまいていたのが思い出される.
 
ボウルズとギンタスの本.初歩的な誤解に基づく上から目線の既存理論の否定が見苦しい.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180314/1520983936