From Darwin to Derrida その64

 
 

第8章 自身とは何か その4

 
第8章前半ではヘイグはスミスを読み込んでいく.まず道徳感情の存在理由について,至近要因(アリストテレスのいう作用因)としての加害者への怒りと究極要因(同じく目的因)としての神の叡智を区別しているところをみた.続いてはなかなか取り扱いの難しい「本能」についてだ.
  

本能(Instinct)

 

それらの非常に重要な目的に関して,それを自然の好ましい目的と呼んでもいいかもしれないが,自然は人類にその目的に対する好みを植え付けるだけでなく,その目的を達成できる唯一の手段に対する好みも植え付けている.

アダム・スミス 「道徳感情論」

The Theory of Moral Sentiment : 6th edition (English Edition)

The Theory of Moral Sentiment : 6th edition (English Edition)

  • 作者:Smith, Adam
  • 発売日: 2020/05/14
  • メディア: Kindle版
  
前回の引用では究極因について「神の叡智(wisdom of God)」を用いていたが,この引用部分では「自然(nature)」を使っている.このあたりがヘイグのいうスミスの自然神学についての明晰性を欠いたぼかした表現の一端なのだろう.スミスは「自然」が植え付ける私たちの「目的」は自然がめざす直接的なゴールだけではなく,それを手に入れるために必要な手段などの間接的なゴールもあるのだと指摘している.
 

  • 適応度は私たちの遺伝的適応の目的(telos)だ.しかしそれぞれの感情は私たちになんらかの行動を起こさせる至近的な目的を持つ.飢えの目的は食物であり,渇きの目的は水,情欲の目的は性的喜び,(溺れる者の)呼吸への欲求の目的は酸素だ.社会的な欲望には社会的な目的がある.承認されること,賞賛されること,愛されること,恐れられることなどだ.この感情の至近的な目的を,私は「効用(utility)」と呼ぼうと思う.効用はより大きな方が望ましいが,単一の尺度で測れることは期待できない.
  • 効用は適応度と相関するが,同じものではない.子どもを持ちたいという欲求の効用は「子ども」だが,それは養子によっても得られる.感情は誤射して適応度を下げることもある.しかし私たちの視点から見れば,遺伝子にとってどうであろうが幸せは幸せだ.遺伝子は適応度上昇が私たちの幸せによって得られるか不幸によって得られるかについて無関心だ.しかし私たちは手段についての好みを持つ.

 
感情がめざす至近的な目的をヘイグは「効用(utility)」と呼ぶことにしている.
ミクロ経済学的な意味の「効用」は(どちらかといえば進化生物学的な「適応度」に近い)すべての物事の選好基準となる消費者の単一の満足の度合いを表す概念なので,このように究極因と至近因,適応度と効用で対比するような用法についてはちょっと気になるところだ.直接的には適応度とずれることがあることを明示したいということなのだろう.
私も経済学史にはあまり詳しくないが,ちょっと検索してみたところでは,アダム・スミスの「効用」の使用はこの道徳感情論における目的に関連した用法だけが上がってくるので,ミクロ経済学的な「効用」の使用はベンサムやミル以降ということなのかもしれない.ヘイグの用法はこのあたりを踏まえた深いものかもしれないが,私の手には余るようだ.