From Darwin to Derrida その85

 

第9章 どのようにして? 何のために? なぜ? その4

 
ヘイグによる至近因と究極因の読み解き.ヘイグはマイア論文の読み解きに入る前にさらにマイア論文の直前の歴史とそれが書かれた背景を掘り下げている.
  

エルンスト・マイアと目的論(teleology) その1

 
冒頭ではエドワード・ポールトンの「進化についてのエッセイ」からの引用がある.

  • 「Why質問」と「How質問」に答えること,つまり「どのような目的で?」と「どのような手段で?」に答えることは不可避的に互いに干渉する.・・・ある単一の自然現象に対してこの2つの質問は同時に問われうるし,その現象を真に理解するにはどちらに対しても答えられるべきだ.

 

  • エルンスト・マイアは1961年,科学的手法と概念についてのヘイデン会議で「生物学における原因と結果」を講演し,それをもとにした論文が同年サイエンス誌に掲載された.この論文は現在学生たちにHow質問(至近因)とWhy質問(究極因)の違いを「whyは適応的目的についての質問だ」として説明するときによく持ち出される.しかしこれはこのマイアのテキストを誤読している.

science.sciencemag.org

 
ヘイグは,学生が至近因と究極因を教えられる時にはマイア論文がよく持ち出されるとしている.アメリカではそうなのかもしれない.日本ではどうなのだろうか.初心者向けの解説書などではマイア論文ではなくティンバーゲンが持ち出されることの方が多いというのが私の印象だ.ともあれ,ヘイグはHow因とWhy因の区別はマイアが始めたものではないとする.
 

  • マイアはhowを至近因,whyを究極因とした最初の生物学者ではない.(マイア論文の)10年ほど前にジョン・マラヒはこう書いている.
  • 科学者たちは「なぜ宇宙はあるのか」「なぜ宇宙は進化するのか」といった究極因についての質問に答えるのに慣れていない.科学者はプロセスについて質問され,どのように宇宙が進化したのかを語るように要求される.
  • 科学者たちがそのような至近因についての問答をやめて,哲学的風味をけばけばしく付け加えてその職業的地位を(別の職業と)融合させようとするとき,その不毛な努力は私たちによくみかける別の融合的職業を思い起こさせる.

John Mullahy Evolution in the plant kingdom(1951)

 

  • またクロード・ワードローは,(1952年の「Phylogeny and Morphogenesis」において)生物学は「進化の究極因と至近因,生命のメカニズムと形態形成」の理解をすすめることができるが,進化の理由の理解を進めることはできない.それが,進化についてのwhyが生物学以外の分野で教えられるとされている理由だと書いている.

 

  • ここでワードローは究極因をremoteな物理的原因としている.マラヒと同じく(そしてゲーテやキングズレイとも同じく)ワードローはwhy因を科学の外側の問題ととらえている.マラヒとワードローにとってwhy質問は「進化過程そのものが何のためにあるのか」というものであり,進化適応産物が何のためにあるのかを問うものではなかったのだ.

 
このマイア直前史においてはwhyとして何かを問うことは科学の外側だという認識だったというのはかなり意外な印象だ.本当に20世紀半ばになっても生物学者は「なぜ」と問うことは科学の外だと思っていたのだろうか.
ヘイグはこのような状況下でマイア論文が書かれた背景には彼の政治的動機が重要だったと指摘する.マイアは集団遺伝学がダーウィンとメンデルを統合したあとに,さらに発生学,形態学,分類(体系)学を含めた(広義の)進化の現代的総合を推進させた立て役者だ.その動きにはきわめて深い政治的動機があったというのは三中の「系統体系学の世界」でも紹介されているが,それが至近因と究極因についての議論にも当てはまるというわけだ.

 

  • マイアの「生物学における原因と結果」の目的を理解するには,彼の「政治的動機」を考慮する必要がある.重要な動機は,快進撃を続ける分子生物学に対抗して系統学と進化生物学のアカデミアにおける地位を守ることにあった.この動機は彼のテキストからも,そして今なお進化生物学が受けている批判からも明らかだ.今でも進化生物学は非科学的な目的論的概念に汚染されており,ハードサイエンスに比べて厳格さも予測可能性もないといわれることがある.
  • そして同時にマイアは,当時流行っていた雑多な生命力的な理論と進化生物学がはっきり切断されることも望んでいた.彼の論文の冒頭はドリーシュ,ベルグソン,ルコント・デュ・ノイの理論を引き合いにしており,最後の部分は「生物学の因果の複雑性は生気論や目的因論(finalism)などの非科学的なイデオロギーを抱きしめることを正当化しない」と締めくくられている.これを読めば,マイアがこの論文を書いた意図は至近因や究極因を論じることではなく,すでに虫の息だった生気論を打ちのめすためだったと思いたくもなる.しかし彼のこの「死んだ馬への鞭打ち」は戦術的なものだった.生気論はデカルトのメカニズム的生命の解釈への不可避の反動だった.マイアは,機能的生物学者の因果の概念は物理科学に由来し,それは生物世界を理解するには貧弱で不適切であり,これに対して進化生物学者はより豊かな視点を持っているのだと議論したかったのだ.しかしそれをするためには,まず自分が生気論を振り回しているわけではないことを明らかにしておく必要があったというわけだ.


 
当時分子生物学は圧倒的に斬新で「生物のすべては分子的なメカニズムで説明できるだろう」という期待と輝きに満ちていた.そしてアカデミアの中での地位や講座数や研究資金の獲得において(やっと苦労の末に現代的統合を果たしたばかりの)進化生物学を守ることがマイアの大きな動機であり,それには進化生物学は広い視野を持ちwhy質問にも答えられるものだと示すことが必要だったということになる.
 
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三中による体系学の論争史.私の書評は
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